あなたが愛する玩具の庭は 04

 ラーストチカに入ってからは敵の撤退、突然の主君の里帰りに高山病。やっと辿り着いた天上の集落の食事は口に合わない――散々な目にあって疲労困憊のフォルトだったが、唯一至福を感じられるものと出会えたのは僥倖だった。

 もうもうと白く煙り周りが殆ど窺えない中、フォルトは打ち身だらけの身体をそっと足先から泉に浸した。浅葱色に濁った湯が、冷え固まった身体を包み温めてくれる。

「ふわぁー、これは何と面妖な……」

 湯の湧く泉など初めてだが、いや心地よい。

「ふぅ……極楽極楽」

 天上の頂でこの言葉とは、今にも昇天してしまいそうだ。フォルトはとろりと溶けた顔で肩までお湯につかる。淡い水色の湯は地中の特殊な成分を含んでのもので、効能は筋肉の張りや疲労に良いらしい。

 母の胎内にいるような安心感。フォルトが思わず船を漕ぎそうになっていると、ちゃぽん、という水音がした。それから背中に触れるやわらかくすべらかで――冷たい人肌の感触。

「……貴女とは、麓の街で別れたはずですが?」

「おいかけてきちゃったの。ふふっ♪」

 湯気で煙る温泉の中、青い髪の娘が至近距離で笑っていた。お作法なのか髪は頭の上でざっくりとまとめられている。首に貼りついた後れ毛が妙に色っぽい。

「やっとゆっくり話ができるわね」

「――何者ですか?」

 魔術師でも空間転移が使える者は国で数えられるくらいしかいない。また術を使う儀式も大掛かりかつ厳格で、下手をすれば歩いて行った方が早いのでは、と言われるほどに効率の悪い魔法だと言われている。

「ふふっ、お友達よ。あのお妃様の。だってあんなに仲良く話していたでしょう?」

 肩を生温い手で撫でられフォルトの肌がぞわりと粟立つ。やっと話を、などと言ってはいるがその実彼女は何も話す気は無いのではないか。そんな気がする。

「だから、あなたは友達の友達♪」

「いい加減に」

 苛立ったフォルトが娘の手を掴もうとすると、想定以上の反射神経でさっと避けられた。「何っ!?」と驚くフォルトの顔面に、娘の放った水鉄砲が命中した。

「弱いな。お前」

 娘の目が、刃物のように一瞬鋭くなる。思わず身構えたフォルトを見て、娘は頬を緩める。敵意が無いことだけをコミュニケーションで示すためだけの、儀礼じみた笑顔。

「けど、お妃様はあなたに御執心。きっとあなたの虚無とあの奈落は相性が良いのでしょうね。あの子の世界には、本当にがらんどうが良く似合うわ」

「アビス様の、何を知っている?」

「彼女を包む空虚な夢想と、彼女を沈める奈落の罠と。私はその両方を知っている――そして、その片方に、今あなたは肉薄しているわ。気付いている?――この集落の違和感に」

 フォルトは黙り込む。集落を子供達と駆け回り、一日ここで過ごすうちに何点か気になる事はあった。

「思い当たる節はあるようね?それは重畳」

 ざざぁーっと言う音を立てて、唐突に娘が立ち上がった。真っ白な裸体がフォルトの目眼前に露わとなる。同時に纏めていた髪を解いたので、すぐに青く長い髪にその身体は隠されたが、堂々と立っている娘をフォルトは真ん丸に見開いた目で見つめていた。

「あら、意外と初心?鼻血でも出しちゃう?」

「――いや、気付いたことがあるんです」

「なあに?」

「私は、どうやら巨乳じゃないと興奮しないらしい」

 フォルトの発言に「やだわ、フェティズムなんて」と眉を顰めて少女は踵を返し湯からあがる。去り際にふっと少女の白い唇が開く。

「ねえ、騎士には主しかいないのかもしれないけど、案外、主にも騎士しかいなかったりするのよ」

「……それは、嘘でしょう。主には我等など捨て置いて守らなければいけないものが、それこそ抱えきれないほどある」

「ええ、そうね。だから、あなたしかいないってことなのよ」

 全く理解できない。湯気の向こうへ消え行く少女を見送りながら、フォルトはもやもやする胸を癒そうとするかのように、再び顎まで湯に沈まった。

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