あなたが愛する玩具の庭は 02

「はぁ!?敵が既に退却している??」

 ラーストチカの山麓にある街フェルゼンにフォルトの間抜けな声が響いた。目の前には困ったように肩を縮める伝達係の兵が立っている。

「よくあることなの。僕の名前は最近抑止力になりつつある」

 アビスは特に興味も無さそうだ。そわそわと「なら早く扇を取りにいこうよ」とフォルトの袖をしきりに引っ張っている。

「ああ、わかってますから、少しだけお待ちください!」

 叱られた子供のように少し離れて、アビスはフォルトの背中をじと目で睨む。

「よいのですか?アイビス様が……」

「いいんです、とりあえず現状を詳しく」

「はっ!元々はこのラーストチカ山脈の中でも、一番低いドヴァー山を越えて隣国が接近しているという情報でした。実際こちらの偵察隊は山の中で敵の行軍の確認をしていたのです。だが山の中腹を越えた辺りで向こうの伝令が司令官に何かを伝え、急に敵軍が慌て出しました。連絡が伝わってものの一時間もしないうちに敵軍は荷物をまとめて退却して行きました」

「伝令が……それは、」

「会話からして腐り姫――いや失礼いたしました、アイビス妃が向かっている事は分かっているようでした。『なぜこんなに早く』とも言っていたそうです」

 フォルトは顎に手を当ててその言葉の意味を考える。こんなにも、とは何と比較しての言葉だ?

 アビスが国を出てから此処まで到着するのにか?

 それとも、ヴァローナのゲリラ戦が早く決着がついたことで、この出撃が早くなった事までの期間を指しての事か?

「――わかりました。戦うべき敵がいないのであればしょうがない」

「腐り姫はそれで納得されるでしょうか……?」

 伝達係の兵士が怯えるように聞いてくる。フォルトは呆れた顔で背後のアビスを示す。

「別に死肉を喰らわないと生きられない体じゃないんだ。不戦勝なら大いに結構」

「し、失礼いたしました……」

 逃げるように去っていく伝達係を睨みつけてから、フォルトはアビスに向き直る。

「お待たせしましたアビス様。では、扇を取りにいきましょうか」

「ああ!!」

 アビスは嬉しそうに石畳の上を軽やかに歩き、教えられている工房へと向かう。

「偶には、こんな日があってもいいでしょう」

 はしゃぐアビスの後ろに付き添って、フォルトも突如与えられた休日を満喫しようと大きく深呼吸をした。

 フェルゼンは家も石畳も、そのすべてがラーストチカから豊富に取れる質の良い石で造られている。その灰青色の石はラービーナ・ニウィスの城にも使われているため、城を模った石の置き物がそこかしこで土産物として売られていた。

 ひとつばあやにでも買って帰ろうかと歩きながら物色しているうちに、街外れの工房に辿り着く。今にも壊れそうな古めかしい建物の戸を、アビスは何の躊躇いも無く開け放った。

「いらっしゃいませ」

 そこには、青い髪を結い上げてお団子にした娘が、店番なのか一人椅子に座っていた。またか、とフォルトの深層意識が揺れたが、その違和感が口をつくことは無い。人の口に戸は立たないというが、先日からフォルトの口には見えない戸が立っている。

「これを、取りにきたの」

 アビスが差し出した箔押しの立派な注文書受け取り、娘は「しばらくお待ちください」と工房の奥に引っ込んで行く。

「不思議ですね、どの町でも青い髪の娘が嫁入り道具を守っているのですね」

「そうだった?僕の集落は皆同じ髪の色だったの」

 思考を塞ぐように立てられた戸の隙間から、フォルトが何とかそれっぽい疑問を口にするが、アビスは何の疑念も感じていないようだ。

 出会った娘達を思い返す。雰囲気はそれぞれ違っていたが、良く似ていた気がする。そもそも一瞬会った程度の相手だ、記憶は混じり顔も曖昧になってしまっているし、ラービーナ・ニウィスでは青髪など腐るほどいるのだ。気にはなったが固執してもしょうがない、フォルトは頭を振ってそれ以上一旦思考を停止する。

「お待たせしました」

 やがて木の箱を持って娘が現れた。箱の蓋には皇室の紋章が焼印で押されていた。

「ご確認を」

 促されるままにアイビスが箱を空けると、そこには鋭く細い羽根で組みあげられた扇が、広げられた状態で安置されていた。まるで触れるもの全てを傷付けてしまいそうな刃めいた羽根は、このラーストチカ山脈の特定の木にしか巣を作らない、ヘリファルテという鳥のものだ。黒と銀の斑模様の羽根が組まれる事で、自然と幾何学的な模様が広がった扇の表面に創り上げられている。

「これで、全部揃った……!!」

「お喜びですね、お妃様」

 その言葉に、はっとフォルトが身構えた。娘は何も気付いていないかのように、にこにこと笑っている。

「早く、城に戻ろう」

「いやですわ、お妃様。まだ宴は先の話ですよ」

 アビスの正体を言い当てた上で、娘は知った顔で話を続ける。

「だって、準備があるの!踊りだって、お作法だって、この髪だって手入れしなくちゃいけないの」

「十分お妃様は美しいですよ。真実のみを告げる魔法の鏡だって、貴女様を世界で一番美しいと答えるでしょう」

 奇妙な事に、アビスは娘と本来この場でするべきでは無い会話を、何の違和感も無く行っていた。フォルトはまるで劇の観客のように、その二人の間に差し挟まる余地もなく見ている事しか出来ない。口に立った戸が、言葉を発することを良しとしないのだ。

「お妃様、せっかくだから、その扇を僕達にも見せて上げたらいかがでしょう?」

 娘の提案に、アビスが目を丸くする。

「僕達に……?」

「そうです。ここはラーストチカ。お妃様の生まれ故郷ではありませんか」

 気持ちが悪い。フォルトは眉を顰める。だが、開いた口はぱくぱくと金魚のように開閉するだけで、肝心の音は何一つ出ない。

「会いたくないですか?」

「会いたい。もう一年以上帰ってないもの」

「じゃあ、会いに行きましょう」

「うん。わかったよ僕」

 二人の会話が終わり、振り返ったアビスが「じゃあ、山登りの準備が必要なの」とフォルトに話しかけてきた。「そうですね、すぐ買いに行きましょう」と返事をしてから、はっとしてフォルトは口に手を当てる。

 まるで劇を観ていて、次にくる台詞がわかりきっていて、それを台本通りに言ってしまったかのような、嫌な気分だった。

 顔を上げると、アビスの後ろで娘が哂っていた。人差し指を立ててそっと桜色の唇に当てている。黙することを美とする女神のように、その姿は神々しく抗い難い。

「馬もいるの。売っているだろうか」

 扇を抱えて店から出て行くアビス。娘とフォルト、残された二人が見つめあう。頭の中に木霊する声がある。青髪の娘に近づくな――一体どこで聞いた言葉だったか――娘の菫がかった青い瞳を見ていると、記憶が泡沫のように浮かんでくる――そうだ、王宮の廊下で近衛騎士に釘を刺されたのだ――だがその記憶もまた、泡の如く弾けてフォルトから消えてしまう。

 フォルトの混乱しきった思考と、困惑に満ちた表情に娘は口元に手を当ててくすくすと笑った。

「何も言わないで、一緒に行ってあげて」

「お前は――なんだ?」

 娘は答えない。ただ悠然と微笑み、人差し指で唇を押さえたまま、それ以上話す事はなかった。

「フォルト!早くしないと日が暮れるぞ」

 主の呼び声に、後ろ髪を引かれる思いをしながらフォルトは工房を後にする。

 閉めた扉の向こうには、もう青い髪の娘の姿は無くなっていた。

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