毒の沼底に沈む光をそこに見た 11
月の無い夜。闇に沈む村は、鬼灯(ほおずき)のような形のランタンがそこかしこに下げられて、幻想的な雰囲気を村全体で醸し出していた。甘い匂いを漂わせてアイビスが歩くと、村の住人達は驚嘆の視線を向けてアイビスに釘付けになる。
「どこのお嬢様だい――?」
「お忍びでいらっしゃっているのかねえ、いやぁ美しい」
「あの髪、ドレス――生きているうちにこんな綺麗な方を見る事が出来るなんてなあ」
沢山の賞賛の視線や囁きに、アイビスは戸惑うように瞬きをして視線を下げる。
「なんだか……恥ずかしいな。皆僕が誰かわからないのかな?」
「少し郊外に出ればこんなものですよ。貴女は特に人前に出ない妃だから、誰も気付かない」
手売りの果実酒を飲みながら、ランタンの柔らかな灯りの下を楽しげに歩く村人を眺める。
「アイビス様が、守った村ですよ。あの傭兵達は、この辺りの村を占拠して根城にするつもりだったようです」
「そうか――」
感慨深い顔でアイビスは再度ゆっくりと祭りに華やぐ村を眺める。やがて、弦楽器の美しい音色や、控えめに叩かれる木琴の音が村を包みだした。
「行ってみましょう」
村の中心の広場では、男女がペアを作り、ゆったりとした動作でダンスを踊っていた。手を取り合い、シンプルなステップでくるくると回る。初見で大体の動きを把握したフォルトはアイビスに手を差し出した。
「さあ、お手を」
そっと手を重ねたアイビスをそっと促し、ダンスの輪の中に入っていく。花のようにいくつものペアが踊る中で、アイビスの動きは周りにぶつからないかとびくびくしてぎこちない。
「進行方向は私が決めますから、まずはステップに集中してください」
右、右、左。左、左、右。声に出してアイビスの歩調を整えていく。
「お上手ですよ」
単調なステップなので、コツを掴めば足元を見なくてもすぐに踏めるようになる。
「次は上体ですね。右手は、そうです、繋いで――左手を私の肩に、ああ傷の事なんて気にしなくて大丈夫ですので」
アイビスは飲み込みが良かった。教えられた通りフォルトの肩に手を回して、音楽に合わせて身体をスイングさせる。周りを見るほどの余裕はないが、そこはフォルトがリードしているので問題ない。
広場を飾るランタンの灯の下で、アイビスの宵闇色のドレスが夜明けのように裾を揺らすたびに色を変える。何時の間にか、二人は笑っていた。
「この音楽の切れ目では?」
「少し離れて、そう、背を反らせて。私が支えているので思いっきりどうぞ」
「ははは!世界が逆さに見える」
大胆な動きで踊りをアレンジして、アイビスは単調な動きに変化をつけていく。周囲の男女達もそれに合わせて踊りを変化させて、いっそう場の華やかさは増していく。
「この祭りは、鎮魂のためにあるらしいの」
「さっきの酒売りが言っていた事ですね」
「死者の魂を迎え、慰め、共に憩う。そのために火を灯し、踊りを踊り、皆で騒ぐ。なんとも面白い考えなの」
「貴女からすれば、ままごとのようですか?」
「違うの、みんな喜んでる。魂の海が穏やかに細波をたてている――そう、この国の人達は、死者の魂の事なんて考えて無いと思ってた。僕にこんな事を命じているんだもの!」
ステップが段々早くなる。
「すごく楽しいのフォルト。この国に来てから、今日が一番楽しい!ねえフォルト、僕の名前を呼んでくれないか?」
「ええ、アイビス様」
「違うの!それは僕の名前じゃない」
アイビスはリズムに合わせて首を振って、アイビスという名を否定する。
「アビス。これが僕の本当の名前。ラービーナ・ニウィスでは発音しにくい名前だからって、それだけの理由で改名させられた。皆の前で名を呼ぶときに、王が舌を噛んじゃあいけないからってね。馬鹿みたい!」
けらけらと笑う姫を見つめながら「アビス……アビス」とフォルトは何度も呟く。
「そう!これからは、二人の時はアビスって呼んで欲しいの。魂に刻まれた名は、高々二三年じゃ変えられない」
二人だけの秘密なの、と笑いかけられるとフォルトはたじろいでしまう。騎士と妃の健全な関係とは一体何なのだろう。だが、次の言葉を聞いてそれは杞憂なのだと理解する。
「ティアラもドレスも集めた、ダンスだって踊れる。あとは扇だけなの。ちゃんと集めて城に戻ったら、王は喜んでくれるかな?私をダンスの相手に選んでくれるかな?」
期待と不安に滲んだ声でアビスが呟く。
幸せになってほしい。この時ばかりは、フォルトは妃付きの騎士として心からそう祈るばかりだった。
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