毒の沼底に沈む光をそこに見た 12

 賑やかな広場の様子を、宿のバルコニーから青髪の娘が見下ろしていた。緩く吹く風に髪を靡かせながら、手すりに頬杖をついて機嫌良さそうに鼻歌を歌っている。

 その背中に向かって、若い男の声が投げかけられた。

「流石に鎮魂の祭りの中を大手を振っては歩けませんか」

「ええそうね。とてもじゃないけど、かたちを保っていられないわ」

 娘は全く驚くことなく、振り返りもせずに答えを返した。その落ち着き払った態度に、背後の男は少しばかり怯んでから、さらに数歩近づく。

「――貴女は何を考えておいでなのですか?」

「なあんにも。貴方方の望むようなことは何一つ」

 光の無い空に、娘は白い指を掲げる。小魚が舞い踊るような動きで指が揺れると、微かに気持ちのいい風がバルコニーに吹き込んできた。その風を一身に浴びて男は息を呑み、それから意を決したようにさらに一歩踏み込む。娘の背はもう目の前にある。男は片膝をつき、深く頭を垂れ乞うた。

「私共に力添え願えませんか?」

 風がぴたりと止んだ。

 男はごくりと唾をのみ、恐る恐る顔を上げる。

 そこには、もう娘の姿は影も形もない。

「流石に、靡いてはもらえないか――」

 男は安堵とも後悔ともつかぬ溜息をつき、立ち上がる。その耳元に、桜色の唇がそっと背後から寄せられた。

「あたりまえでしょう?私は貴方方も、あちら側も、どちらも八つ裂きにしたいと思っているのだから」

「っ!?」

 男が慌てて振り向く。だがやはり娘の姿は無い。男は取り乱して娘の姿を探すが、視界に青い髪は見つからない。やがて、男の耳元に一陣の風に乗って声が届く。

「かくれんぼはもうおしまい。残念、見つかっちゃったわ」

 その言葉を最後に周囲に張りつめていた緊張感が、糸を切ったように解けていく。どうやら、娘はもう出現することは無いらしい。

「勘弁してくれよ……これなら戦場のほうがいくらもマシだぜ」

男は頬を伝う冷や汗を拭いながら、真っ暗な空を見上げて泣き言を漏らした。

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