毒の沼底に沈む光をそこに見た 09

 倒したゲリラ兵を一箇所に集め、場の安全を確認してからフォルトはアイビスを鉄の鐘から解放した。暗闇から外へ急に出され、アイビスしゃがみこんで瞳を光から守るように覆っている。

「フォルト!!」

 フォルトが死んでも能力は解ける。何が起こったのかを確認しようと、覚束無い視界でアイビスはきょろきょろと辺りを見回している。その隙だらけのアイビスの大きな胸を、急に二本の手が揉みしだいた。

「ひゃあう!」

 ぷっくり艶のある唇から、妙に色気のある声が漏れる。

「すごいーほんものの胸なの―?」

「あっ、こらメルトやめなさい!アイビス妃、お怪我は無いですか?」

 アイビスは事の顛末が分からずにきょとんとしたまま胸を揉まれている。悪戯の犯人のメルトはまじまじと腐り姫を見て、なぜか頬をぷうっと膨らませた。

「フォルト兄の彼女にしては、可憐さが足りないんじゃない?」

「だーかーら、違うって!この方は正真正銘のお妃様で、私はこの方をお守りする騎士なんだ!」

「お前が王族付きとはなあ……畑でも耕しているのが似合いだと思うが」

「そんなこと言わないのあなた。フォルトはきっと、私達のために思いつめて空回りするくらい頑張ってたのよ。そうでしょう?この子はいっつも真面目で融通が効かなくて」

「母さんやめて……なんかすごい恥ずかしいから」

 わーわーと賑やかにやり取りするバーリオル家を前に、アイビスはまだ理解が追いついていない。フォルトは逆に驚いてアイビスに問うた。

「アイビス妃が、私を助けるために家族を蘇らせてくれたのではないですか?」

「フォルトの、亡くなった家族がこの僕達――?」

「ええ、ご自覚が無いのですか?」

 感謝に満ちたフォルトの声に対し、アイビスは若干苦々しい表情で視線を逸らす。

「モワノーで話したネクロマンシーの特徴、いや欠点か――のその③なの」

 フォルトは以前アイビスが言っていたことを思い出す。確か①が蘇らせる対象が大雑把。②が死者を支配できない。そして、その結果が③だと言っていた。

「じゃあ③は……まさか!?」

「……僕には自分が死者を蘇らせているという自覚が、無いことがあるの」

「無意識の内に、能力が発動していると言う事ですか!?」

「元々能力を発現する時の感覚も、限りなく希薄なの。今回みたいな繊細な選別が必要な時以外は、息をするのと同じように死者を蘇らせている。灰と化していたとしても、骸がそこにあれば、条件は満たされる」

 末恐ろしい発言だった。そこまで天賦の才を使いこなせる人間など、この世にそうはいない。

「だから、街を歩いていてすれ違った人間が自分の能力で生き返らせた死者だとしても、僕は多分気付けないの」

 確かにバーリオル家の三人は死者だと言う自覚こそあれ、自由意志で動いているようだ。父が太い腕で首をばきばきと鳴らす。

「だから、我々を蘇らせた事も、自覚がなかったと?その割には的確にこの三人だけを魂の海から引き上げるといういう選別があったように思えたが」

「――さらに性質が悪い事に、僕の力は感情や周囲の環境に影響を受けやすいの。今回は、 フォルトに死んでほしくないというその強い感情が引き金になって、僕の力が一番フォルトが必要としている人間を無意識下で蘇らせた」

「確かに、魂の海から引き上げられる時に胸の内に響いたわ。『フォルトを助けて』って。だからてっきり貴女はフォルトの恋人だとばっかり思っていたのに」

「かあさーん。駄目だって。お妃様だって」

「あら残念。あなた戦ってばっかりでちゃんと恋はしているの?結婚の相手は?」

「そんな話をここでしない!」

「むー、ここでしかできないからいいじゃない!」

 女性二人の横槍に顔を赤くするフォルトと、そのやりとりを見て豪快に笑う父の姿。

ふと気づいて、フォルトは思わず呟いていた。

「――首が無くても生き返るんだね」

「ここには儂の身体が眠っているからな」

「…………ごめん」

 家族の身体はフォルトの力の暴走でみな沼に沈み、二度と浮き上がることはなかった。父の首は、返って来なかった。

「気にするな、どこにあっても骸は最後に土に還る。バーリオル家は大地と共に生き、最後には大地に還る。それが全てで、それ以上を望むべくも無い」

「そっか」

 変わり果てたヴァローナの地で、何も変わらない家族との逢瀬。フォルトは不意に泣きたくなった。

「もっと、恨まれていると思っていたよ」

「貴方に?冗談でしょう?」

 母が微笑む、少しも変わらない柔らかな笑顔で。

「だって、私は――皆が酷い目にあっている間、ずっと」

 ずっと裁いてほしかった。皆と同じ目に、いつか自分も遭わなければいけないと。

そして、今がその時だとフォルトは思っていた。

「勘違いするんじゃなーい!」

 項垂れるフォルトの顎を、容赦なく細い鉄の腕が打ち抜いた。尻もちを付いて目を白黒させるフォルトの前に、腰に手を当てたメルトが仁王立ちしている。

「もーイヤイヤ!!フォルト兄は面倒臭くて根暗なんだから!!私達が、何で助けてくれなかったの?何でフォルト兄だけ生きてるのって?早くおいでよ魂の海に!っておどろおどろしく八年間も呪ってると思ってた?お生憎様!こっちはこっちでもう楽しくやってますー!!」

 弾丸のように言葉が続く。

「そりゃあ死ぬ時は最低だったわよ!辛いし痛いし気持ち悪いし、ほんとあいつら苦しんで死ねって思ったわよ!だけどねえ、私は――殺されるその瞬間まで――フォルト兄は、せめて、フォルト兄だけは生きて、幸せにって――……」

 メルトの兄と揃いの色の瞳から、ぽろぽろと涙が溢れ出す。声が続かなくなったメルトを抱いて母が言葉を繋ぐ。

「――死者のために、生きるのはやめなさい。私達は、時々私達のことを思い出して、祈ってくれるだけで十分な生き物なのよ。これまで頑張ってきた貴方には残酷かもしれないけど、正直に言って、貴方には復讐も、家の再興への尽力も望んでいないの……」

 尻持ちをついたままのフォルトの軍服の襟を、父が子猫にするように掴んで持ち上げて立たせた。

「遅かれ早かれこっちには何時でも来れるんだ。ならせめて生きているうちに出来る事をしろ。我武者羅に、思い残りのないようにな。そして憎ったらしいくらい満足した顔で死ぬといい……俺より若い姿でこっちに来たらどうなるかわかっているか?」

 その言葉一つ一つが、フォルトの焦げ付いてぼろぼろだった心を癒していく。頬から一筋、涙が流れる。

「なあ妃よ、そろそろ力を解いてくれぬか?無自覚に蘇らせているにしても、我等を魂の海に還すことはできるのだろう?」

「ああ――もういいの?」

「会いたければまた会いにくるだろう?まあ、そうしょっちゅう来られても困るがな」

 アイビスが目を閉じると、煙が空気に溶けるように三人の姿がほどけていく。フォルトの濡れた頬を、父の太い指が乱暴に擦った。掬われた涙は、消えていく指をすり抜けて散っていった。

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