その者は赤き奈落と共に生まれ出ずる 16
夜も昼もない、日の入らない深く暗い場所で、じゃらりと鎖の音が鳴る。四方を石を積み上げた壁に囲まれて、腐った水の酷い臭いが常に鼻をつき、富栄養化した下水道から生える苔や水垢がそこかしこをてらてらとぬめらせている。百足や甲虫が蠢き、溝鼠がそれを手当たりしだい食い荒らしているばりばりという音が鎖の音に反応してぴたりと止まる。
じゃらり、じゃらりと不規則に音を立てる鎖には、一人の女が繋がれている。痩せ細った裸の体は何年も梳かれたことの無い乱れ絡まった長い髪によって隠され、哀れな生贄の羊にも見える。もう逃げる力など無いことは明白なのに、彼女の前には冷たい鉄格子が張り巡らされ、その光景は見る者に終わりだけを連想させた。
その様を見つめる、一人の青年がいた。
丁度繋がれた女に対面するような位置で、数メートル離れた場所から青年は黴の生えた木箱に腰掛けている。青年の側にだけたった一台燭台が設けられており、着けられた火が青年の菫がかった青髪と精悍な顔つきを闇の中に浮かび上がらせていた。
毛玉のようになった頭を微かに動かして、繋がれた女は闇の中のその姿を見つけたようだった。僅かに覗く鼻筋から顎にかけての顔のラインは骸骨のよう。乾いてがさがさに罅割れた唇がわななき声にならない音を吐き出す。まるで獣が言葉を話そうと躍起になっているかのような不恰好な音を何度も吐き続け、その後彼女の口から唯一人が聞き取れる単語が零れた。
「――デェ――アァ――サ――サマ――――」
青髪の青年――マディスは一切返事をしない。何度か同じことを繰り返し、彼女の声は次第に小さくなりやがて聞こえなくなる。眠っているのか、黙しただけなのかはわからない。
「――いい加減。話してくれてもいいのではないかミレーユ?」
マディスは心底困ったように苦笑して、表情すら窺うことのできない姿のミレーユを見つめた。
「私を見て反応するということは、主の事は覚えているんだろう?……なあミレーユ、まだ正気を保っているのか?それとも狂気に思考は沈んだか?……その沈黙に理性はあるのか?」
マディスの他愛無い問いかけにも、ミレーユは答えない。まるで電池が切れたように元の角度に顔を傾け、一切の刺激を受け付けないかのように黙し続けている。
「わかった。また来よう。もう十年だ、後何年でも通うさ――まるで逢引きのようだね」
マディスはそう言って笑うと、燭台を手に取って地上へとつながる階段に足をかけた。
「何度も言うが、期待するな。ここに張られた結界は、力の強さなど関係ない。死んでいる限り、ここへ下りてくることはできぬ」
階段には一段飛ばしの間隔で燭台が置かれており、マディスは慎重にその燭台に火を灯しながら階段を上って、光差す地上へと消えていった。重い音を立てて、天上に開いていた出口が再び塞がれる。
部屋が沈黙に満たされたのを頃合いに、再び溝鼠がばりばりと虫を齧る音が響き渡った。
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