その者は赤き奈落と共に生まれ出ずる 15
門をくぐり、黒い馬車が目抜き通りを進む。住民達は堅く扉を閉じて二人の帰還に息を潜めている。
「何なんですかこれは」
小さな窓から国民の冷たい仕打ちを眺めながら、フォルトの顔は不愉快さを隠そうともしていなかった。
確かに世界から忌避されてしかるべき力で勝ち得た勝利だ。だからこそ自国の住人だけはアイビスの味方をしなければ、彼女の孤独はますます深まるばかりではないか。
「しょうがないの。あんなことがあったから」
意に介した様子も無く、アイビスは大事そうにティアラの入った箱を抱えてご満悦だ。その様子にあんなことがどんなことだったのかも聞けないまま城に到着する。ティアラを抱えて離さないので、フォルトはアイビスの荷物を代わりに持ち後ろに続いた。アイビス妃の私室まで行くのは初めてだ。騎士付きとなった今では自分を咎めるものも居ないので、階段を昇り皇族のプライベートエリアに踏み入った時はまじまじと周囲を見渡してしまう。下の階の軍の使用するエリアとは違い、金に糸目を付けずにに施された装飾に目がくらくらした。
「ここが、僕の部屋なの」
案内された部屋は、軍服にビキニというアイビスの突飛な服装からは想像もできないほど、普通の部屋だった。普通、というのはフォルトの想像する皇族の私室その通りだったと言う意味だ。
「普通、ですね」
思わずそう言うと、アイビスは首を傾げてぱちぱちと長い睫を瞬かせた。
「来た時からこうだった。前に住んでいた姫の趣味らしいの」
なるほど、彼女のセンスで作られた部屋ではないのか。てっきり、髑髏や呪具や禁書で溢れかえって居ると思った床は、草花を刺繍した絨毯が敷かれ、壁には心を洗ってくれるような名画が数枚掛かっている。天蓋付きのベッドは淡い藤色のカーテンがかかり、清潔にベッドメイクされていた。
「次の出陣は三日後なの。ゆっくり休んで」
侍女と入れ替わるようにフォルトは部屋を出ると、来た方向と反対方向に歩き出した。折角ここまで入れたのだ、散歩がてら皇族の様子を見るもの面白い。だがその目論見は数歩進んで角を右に曲がった瞬間に大きく外れた。一際重厚感のある扉が突き当たりに一つあるのみで、しかもその前には重そうな白い鎧を無意味に城内で着込んだ近衛騎士が四人も屯している。まずいと踵を返したが、がっちりと近衛騎士の一人に肩を掴まれて引き戻された。壁に押し付けられ、喉を槍の柄で押さえつけられて動きを封じられる。ここは地上三階。フォルトの能力は地面から離れるほど弱くなり、ここでは碌に能力も使えない。諦めて両手を上げて無抵抗を示す。
「お前――腐り姫の騎士か」
「はっ、モワノーから帰還し、アイビス妃を部屋までお送りしたところで、迷ってしまいまして」
城は広いのでとすっとぼけると、馬鹿にしたように近衛騎士達が薄ら笑いを浮かべる。
「迷子の騎士ちゃん、覚えておくと良い。ここは王のお部屋だ。お前や、お前の主が決して踏み入ることのできぬ場所だ」
じゃあなぜ親衛騎士(クロアリ)ではなく近衛騎士(シロアリ)のお前らがここにいるんだ、とフォルトは言ってやりたかったが、嘲笑を浮かべる近衛騎士達の下衆さに辟易して閉口する。アイビスは王に寝室に呼ばれた事など無いのだろう。
「尻尾を撒いて腐り姫の部屋に戻るといい。だが気をつけろよ、確かに見てくれは良いかもしれないが――あそこまで腐るかも知れぬぞ」
限界だった。そもそもフォルトは日和見主義的な外見に反して、実は揉め事を厭う性質ではない。
「――さすが毎日王室の褥を出歯亀なさっているだけはある。夜の手ほどきを声のみで学ぶのも大変でしょう?」
先輩方、とフォルトは普段は見せない侮蔑をこめた笑顔を近衛騎士達に向けた。その目が気に入らなかったのか、騎士の一人がフォルトの顔を殴りつける。そこで完全にフォルトの意識が戦闘のそれに切り替わる。一方的な暴力を甘んじて受けるほど育ちは良くない。それが例え、曲がりなりにも同じ派閥である近衛騎士同士だとしてもだ。
「最初の一本を、国の仲間に使うことになるとは、皮肉ですね」
フォルトは上げていた両手を背中に回し、一本の天剣の柄を握った。大理石だろうか、粗さの違うマーブル模様の石を組み合わせた柄をした【雲翳】を躊躇い無く引き抜くと、首を拘束していた槍の柄を切りつけ、僅かに削った。まるで雲が棚引くように、薄く白い線が剣の軌跡を空中に描く。
「何!?」
近衛騎士達が手持ちの槍を構えて臨戦態勢になる。
だが遅い。フォルトは一人目の騎士の大振りした槍を「狭い廊下でまあ」と言いながらしゃがんで避けつつ同じように削り、二人目の騎士がフォルトがしゃがんだ位置を狙って突いてきた槍の穂先を床を横に転がりながら避けて同じように削り、そのまま低く走って奥に控えていた三人目の騎士が攻撃動作に入る前にその槍の柄を削る。
フォルトはそこでぴたりと静止した。
動きを止めたフォルトに向かって騎士が再び槍を振りかざそうとした時には、すべてが終わっていた。
「チェック!」
フォルトが指を慣らすと、騎士達の手にあった槍が音も無く崩れ落ちた。驚く騎士達の足元に積もった砂鉄が、フォルトの意志に応じて蛇のように動き騎士達に絡みつきを拘束する。
「お前――能力者か!?」
「いやー、本来であれば僕はここでは無力なんですけどね」
フォルトの使った天剣【雲翳】は、一時的に鉄で出来ているものを自らが寄添う砂鉄のように操ることができる魔術が込められている。自分がフルに使える能力の十分の一も発揮できていないが、この場に置いてこれ以上に自分の助けとなる術はない。
「本当だったら鎧を砂鉄に分解することもできたんですが、流石に素っ裸で城を歩きたくは無いでしょう?これでも穏便に戦う方法を選んだんですから」
優しく笑いかければ信じられないような汚い言葉で騎士たちに罵倒された。意外だ、そんな言葉も知らないお坊ちゃま騎士様だと思っていたのに。
「では職務に戻ってください」
その言葉と同時に鉄の蛇が男達の腕や脚に撒き突いて人形のように操り、四人はぴったりと壁際に整列させられた。これで術が切れるまでの数時間、彼等は微動だにできず立ちっぱなしだ。
「おのれ……!!覚えてろよ」
「はいはい、今度からはこの廊下には入りませんから、好きなだけ猥談でもなんでもしててください」
剣をしまい立ち去ろうとするフォルト。その背に、騎士の一人が嫌に硬い声で問いかけた。
「フォルト・バーリオル。お前に聞く!モワノーで、長く青い髪をした、二十歳ぐらいの娘と会わなかったか?」
「?いや、少なくとも私は会っておりません」
フォルトはさらりと返答し立ち去ろうとする。念のため記憶をたどるが、そんな女には会っていないはずだ。フォルトはそう確信していたし、その表情には一点の曇りもなかった。
なぜなら今、フォルトの頭から、宿に訪ねてきた娘の出で立ちは完全に消え失せていたからだ。
「――なら、いい」
「では」
「待て」
この期に及んで、と呆れた顔で振り返ると。怖いほどに真剣な顔で、騎士の一人が自分を見つめている。
「忠告する。絶対にその女には近づくな」
「だから、会ってないんですって」
「そして、お前は皇族付の騎士を辞退しろ」
「次から次へと何を言っているんですか。それで誰か、代わりにアイビス妃を守ってくれるのですか?」
「ああ、守ってやる。俺達近衛騎士団がな」
「――ご冗談を。この前マディス王子が、アイビス様をいつか亡き者に――と申しておりましたよ?」
現在近衛騎士団は王以外の王族の中でもっとも継承権の高い、マディスの意向が色濃く出ていると聞く。少なくともアイビスを守る気は無いだろう。だから騎士団に所属していなかった自分に白羽の矢が立ち、近衛騎士に外部から組み込まれたに違いない。多数の能力者を抱える軍の中で、どうして自分が指名されたのかは未だにわからないが。
フォルトとアイビスを取り巻く周囲で、目にみえない何かが蠢いている。
その尻尾でもつかめればいいのだが、とフォルトは巨大な城を見上げ、短い休息のために屋敷への帰路についた。
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