その者は赤き奈落と共に生まれ出ずる 14
その日はもう遅かったこともあり、モワノーの街で一泊してから城に帰る事になっていた。夜の帳の下りた町に、棺桶のような黒い馬車がするりと入り込み静かに宿の前で停まる。宿にはただの軍人二人の宿泊だとだと伝えられているので大仰な歓待もなく、勝利の宴からは程遠い田舎料理の晩御飯を二人は黙々と食べた。幸いだったのはモワノーの地ビールが美味しかったことで、若干青みがかった琥珀色のビールを二人で五本以上空にしたころには、数時間前の戦のことなどどうでもよくなっていた。
ほろ酔いで部屋に戻り寝支度を整えていると、こんこんとノックがあった。アイビスに視線を送るが特に心当たりは無いようで、フォルトは少し警戒をして扉を直ぐに開けずに「どうしました?」と返事する。
「皇室からの依頼の品を持って参りました。明日早朝には発たれるとのことでしたので、失礼を承知でこのような時間に。申し訳ございませんがお受け取りだけでも――」
「依頼の品……?」
「王からの、嫁入り道具のことじゃないの」
思い出した。フォルトが扉を開けると、娘が箱を持って立っていた。素早く左右に目を送るが特に人陰はない。一人だった。
長く青い髪を一本の太い三つ編みにし、質素な麻のワンピースを着た娘が恭しく箱を差し出す。飴色に磨き上げられた木の箱で、側面や蓋には皇室の紋章が描かれている。
「ご確認を」
アイビスが背後で気にしているのを知りながらも、念のため箱の蓋は一旦フォルトが開ける。そこには、雪の結晶を模した硝子細工に、金の細枝が絡み合う意匠のティアラが鎮座していた。
「なあ、僕にも見せてくれなの」
内部に危険物は無かったので娘からは箱を受け取ろうとすると、それよりも早く娘がアイビスに駆け寄り箱の中身を見せていた。
「なっ、無礼だぞ――!」
「見てください!なんて素敵なティアラなんでしょう!」
勢い付いてアイビスにティアラを見せる娘の頬がほんのりピンクに上気している。素晴らしい細工を前にときめいてしまったというやつか。アイビスもおずおずと箱の中身を覗き、ぱっと顔を明るくする。女性のこの辺りの感性と共振はフォルトにはいまいち理解できない。
「これは何と言えば良いのか……美しいの」
「貴女の瞳に映ると更に美しいわ!どちらの皇族の方が身につけるものなのでしょう」
どうやら娘は二人を皇室特注品の輸送役だと思っているようだ。身に着ける張本人である、万華鏡の瞳をきらきらと輝かせたアイビスが恥ずかしそうにはにかんで笑う。
「そうか――喜んでくれるだろうか」
「ええ、きっと受け取った方は大喜びされるはずです!」
ちぐはぐの会話をこれ以上続けられてボロが出てはまずいと、フォルトが娘から箱を取り上げる。
「確かに品は確認しました。後は我々で届けるので安心してください。夜分遅くにご苦労様でした」
「し、失礼いたしました!ではお休みなさいませ」
娘は青い三つ編みを尻尾のように揺らして慌てて退散する。その後姿が消えてから扉をしっかりと閉じて。箱を改めてアイビスに渡した。彼女はおっかなびっくりと言った動作で箱を開け、うっとりとした表情でティアラを見つめる。一段を甘い匂いが増した気がする。
「こんな美しいものを見たのは、初めてなの」
アイビスは何度もそう言い、触れることも躊躇われたのか散々眺めただけで、そのティアラを着ける事無く箱にしまって眠りについた。枕元に箱を起き、猫のように丸くなって眠るアイビスに布団を掛けて、フォルトも静かに目を閉じる。
こうして、アイビスとフォルトは、モワノーで予定調和の勝利を納めたのだった。
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