その者は赤き奈落と共に生まれ出ずる 10

 幸いな事に、酔いを引き摺ることもなく起床したフォルトは、目の前で紅茶を注ぐ家政婦が昨晩残した言葉を反芻しながらポーチドエッグをもぐもぐと咀嚼していた。朝日はまだ柔らかく時間的余裕がある事をフォルトに伝えてくるので、寝癖もまだ直していない。

 出陣の日に精神を波立たせるなんて愚の骨頂だ。己を鼓舞し、忘我させられる時間などそう長くは続かない。それは死ぬ物狂いで戦場を駆け回る時に必要な心の在り様だとフォルトは考えていた。

 だからビーニャに急かされ、私室に戻され、軍服を着て改めて下賜された剣を手に取った時も、高揚は起こらなかった。むしろ芸術品めいた流麗な五振りの小剣を前にこれからの泥沼の戦場を想い、刀匠に申し訳なくなったくらいだ。フォルトは申し訳なく思いながらも腰に剣を留めたベルトをぐるりと回す。その場で軽く跳ねステップを踏む。想像以上に軽く、自分の動きを疎外しない。

「流石だ……」

 次の瞬間には、この剣を投擲して敵兵の喉を刺し貫く想像をしていた。さっきまで美しい美しいと崇めていたのにすぐこれだ。だから軍人は芸術を解さないなどと言われるのだろうな、とフォルトは苦笑して屋敷を出た。

 良い天気だ、モワノーの戦場の天候は如何程だろうか。雨や濃霧、とりあえず悪天候であって欲しいと切に思う。腐り姫とたった二人で戦場に出るのだ。敵味方の区別などつける必要も無いし、もしかしたら雨が噂に聞く腐臭を抑えてくれるかもしれない。暖かい日差しの下ゆっくりと歩いていると、周りの屋敷の周囲を掃除していた家政婦達がちらちらと視線を送ってきた。皆フォルトの着けている勲章と腰に下げた剣が気になっているようなので、フォルトは胸を張り陽光の下で剣の柄がより輝くように意識して歩く。賞賛の視線を気恥ずかしいとは思わない。それよりも王都に出戻りして数年間、中古の屋敷から出るたびに向けられていた侮蔑と嘲笑の方が余程辛かった。

 戦地に出てばかりのフォルトの留守中、ずっと独りで愛着の無い屋敷を守り続けてくれたビーニャはどれだけの屈辱に耐えていたのだろう。フォルトには想像もできない。口煩く皺だらけの手で自分の曲がったタイを直してくれた老婆は、今日を以って堂々と屋敷の外に出て買い物をして、庭を掃き、繕い物を近くの品の良い店の頼める筈だ。そうであって欲しい。

 城門の前には、既に馬車が止まっていた。青毛の二頭立てで、黒塗りの木で組まれた頑丈な箱型車両は弓矢ぐらい防いでくれそうだったが、如何せん霊柩車めいていていただけない。馬車の前には大きなトランクを脇に置いた少女が立っており、近寄ると表情を輝かせて手を振ってきた。

「おーい騎士様!おっはよーございまーす!!」

 ベリーショートの髪は勿忘草色、瞳も淡紅色で儚げなカラーバランスだが、溌剌とした印象がその天賦の雰囲気を完膚なきまでにぶち壊している。服装も城壁のように愛想の無い灰色の改造ツナギで、せめてもの可愛げか額に固定された防護ゴーグルにごてごてと輝石の欠片のようなものが貼り付けられてティアラのように光を放っていた。

「天剣良く似合ってますねーあー良かったよかった!」

「君は、えっと――」

「ウィズダリアっす!」

 そうだ、一度しか会ってないのでもう忘れていた。三ヶ月前戦場にいきなりやってきて、サンプルだアンケートだと散々フォルトの戦法や能力を調べまわって、あの激戦の中怪我の一つもせずに帰って行った少女。またガルマンが安請け合いしたのだろうと諦めて協力していたのだが。

「君がこれを作ったのか……!?」

「うっす!半年で十口なんて、王室ってところは工賃は弾むけど鬼っすね!」

 けらけらと笑うウィズダム。この細腕の少女が刀鍛冶とは俄かに信じ難い。「装飾師か?」と思わず聞くとウィズダムは足元に置いてあったトランクを大きく開け放った。

 そこにあるのは鑿、槌、鉋、螺子締め等の工具、果ては魔術式を組み込むための呪具までがびっしりと詰められていた。道具達は持ち主にとって最も効率的なように整然と並べられていて、まるでトランクの中身自体が一つの精密機械のようだ。

「失礼っす!設計から仕上げまで全部自分っす!最後に天剣の調整をさせてもらうために王妃に同行させてもらったっすよ」

「天剣――?さっきから言ってるのは、俺の腰にさがっているこれの事か?」

「そうっす。如何に偉大なる皇族付騎士へ下賜される剣といっても、その銘は打ち手である刀鍛冶が決めていいもんなんす――まあ呼びやすいように勝手に刀匠達がつけてるだけなんすけどね」

 ぐるぐるとウィズダムがフォルトの周りを回る。一周目は興味深そうに、二周目は眉根を寄せて、そして三周目でおもむろにトランクから複数の工具を取り出すと、フォルトの腰に着いたままのベルトをあらゆる角度から調整し始めた。

 金属と革で作られたベルトは一見するとフォルトにぴったりだったが、ウィズダムが僅かな革と金属の隙間を詰め、ほんの少し革の丸みを、金属の曲がり方を変えるだけで見違えるほどぴったりと体にフィットしていく。

「ベルトの次は肝心要の剣っすね」

 ウィズダムが別の工具を取り出してフォルトの腰から剣を一本引き抜き、曲芸師地味て手慣れた様子で手の平や甲の上で小剣を回す。刀匠も結局の所、刃物の扱いのプロフェッショナルか――とフォルトが感嘆の声を漏らすと、ひゅっとという風切り音と共に鼻先に刃が突きつけられた。

「ほら、やってみてっす騎士様。まさか特殊技能系だからって剣の取り扱いは自分以下なんてないっすよね?」

 さらりと癇に障る事を言う。フォルトは無言で刀を奪い取ると少女と全く同じ動きで剣を踊らせた。おまけに、とさらに多少無理な回転を加えて宙に放り投げ、落ちてきた剣をキャッチして見せた。

「正直これで鍔を競り合わせて戦う気はないんだけどな。あくまでも戦況での起点や転機、後はトドメかやけっぱちだ」

「知ってるっす。それでも最高の刃を使い手の為に用意するのが自分の仕事っすから。そのやけっぱちの時に剣が相手に届かなくっちゃあサーカスの投げナイフの方がマシってもんっす。剣を納めた騎士様に直ぐに死なれたら、うちの工房の名も地に落ちるってもんなんすから」

 毒を吐いたらそれを飲み込まれ吹き返されたようなものだ。降参してフォルトは大人しくウィズダムの仕事っぷりを眺めることにする。槌や鑿で柄や刃の反りを直されて者の数分で返される。促されるままに先ほどと同じく剣を舞わせると、落ちてきた剣の柄が、吸いつくように自分の手にするりと滑りこんできた。格段に宙を舞う剣の動き、キレが格段に改善されている。

「すごい……!!」

「へへんっす!投擲向きの短剣ばかりだと剣は消費物だと思って使い勝手が置き去りにされがちっすけど、自分等が真剣に作ったらこんなもんっす!どやっす!!ほら、次々回してみるっす!」

 言われるがままに次の剣を抜いて同じようにナイフ捌きを見せる。ウィズダムが春の花のような淡紅色の瞳を大きく見開いて、その短剣の舞う様を目に焼き付けるように見つめる。キャッチした短剣を渡すと、先ほどと同じく手際よく調整されて返された。

「これが有明っす」

 鮮やかな空色の柄の剣の名を、ウィズダムが告げる。

「これが降雪っす」と白い柄の剣を、

「これが雲翳っす」と灰色の柄の剣を、

「これが驟雨っす」と青色の柄の剣を、

ウィズダムは誇らしげに、そして愛しそうに剣に手を入れていた。余程集中しているのだろう、額にはじんわりと汗が滲んでいる。驟雨を鞘にしまい、フォルトは何倍も使い勝手が良くなった天剣を携えて、ウィズダムに深々と頭を下げた。真摯に仕事をした相手に対して礼を言うのは当然の事だ。

「ありがとう」

「どういたしましてっす」

 五口の剣の柄は全て違う色だが、ぐるりを腰に回すと微妙な色の濃淡でグラデーションがかかったように見える。全ての空を網羅する。ゆえに天剣か。

「――あぁ、そう言えば最初のこれは何ていう銘なんだ?」

 一番手が届きやすい位置にある黒い柄の剣を撫でながらフォルトが問うと「虚空っす」とウィズダムが答える。

「これだけは最後まで残しておいてほしいっす。実は全部の剣に魔術発動機を組み込んだんっすけど、いかんせん一つずつ説明させてもらえるほどお妃様の気は長く無いっすからね。とりあえず簡単なマニュアルは用意したので呼んで欲しいっす」

「剣の……取り扱いマニュアル??」

 渡された冊子は思った簡単なと言うには幾分分厚い。自分が普段読む娯楽小説と同じ厚みだ。

「現代っ子マニュアルに拘るっすよ!魔術も定型化が著しいから、自分みたいな齧った程度の知識の奴でもこれだけのバリエーションを用いることができるんす」

 魔術産業なんて言葉が最近台頭して来ていると思ったら、こんなところでその片鱗をお目にかかるとは。

「……とりあえず、普通に剣としても使えるんだよな?」

「あ――!!なんすかそのそもそも当てにしてない発言は!?五口分ッすよ!最後の方殆ど寝ずに魔術の組み込み作業に明け暮れたんすよ!? 朦朧とした頭でどの剣と魔術の組み合わせが正しいか確認しながら頑張ったんすよ!?」

「なんだ?だから君そんなに朝からハイテンションなのかい?……尚のこと怖くて使う気になれないよ。知っての通り私は特殊能力者だ、元より魔術に頼る必要は無いと思っているから」

「ムキーーーーーーーッ!!」

 ウィズダムが槌や鉋を握ったまま自棄になって殴りかかってきた。思わずフォルトは手の平を上に向け、軽く人さし指を空を掻くように振り上げる。

 ガキン、という音をたてて、ウィズダムの振り下ろした槌が弾かれた。反動で大きく尻もちをつき、ウィズダムは唖然としてフォルトの前のそれを見上げる。

「こんな速度で出せるんすか……」

「この程度のものであれば」

 フォルトが笑いながらウィズダムに手を差し出した。手を引かれて起こされながら、少女はバツが悪そうに地面に視線を落とす。

「……まあ、剣として使ってくれればいいっすよ」

 唇をきゅっと噛んでウィズダムはフォルトを見上げた。その悔しそうな表情にフォルトは申し訳なくなって「ちゃんとマニュアル読むから」とウィズダムの短い髪をわしゃわしゃと撫でる。

「何するっすか!やめてくださいっす!」

「あはは。そうそう、元気出して。今日はゆっくりお休み」

 嫌がるウィズダムとじゃれあっていると、おもむろに甘い匂いが鼻をつく。首を横に向けると、黒い箱の扉が開いており、中は水面の反射光のような薄い光がゆらめいている。その光が大きく波をたてた。

「いい加減、出立の時間だよ」

 甘い匂いを撒き散らしながら、不機嫌そうな顔のアイビスが二人を見下ろしていた。

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