その者は赤き奈落と共に生まれ出ずる 02

 人参を鼻先に吊られた馬と同じだと思っていた。走り続けても有り付けることなど無く、それ故に足を止めることを許されない。そしてその内走っていることに安心するようになる。得られる事など出来ないもの。それがフォルトにとっての武勲であり、更に言えば形を成したものを勲章と呼ぶ。

 上官の目の届かない辺境の最前線で戦いに明け暮れていた彼にとって、望む未来は夢想というより妄想に近く、だからこそ勲章授与という名目で戦場から呼び戻されたときには、ついに自分も狂ってしまったのだと思うより他無かった。

 だが連れて行かれた先は冷たいサナトリウムではなく瀟洒な王宮で、目の前には使えない上司の顔がある。どうやらこれは現実らしい。

「この度はおめでとうフォルト君。」

「はっ、自分には過ぎたる栄誉、誠に有難く存じます」

「そんな堅苦しくしなくてよいよ。勲章の授与は明日だから今日はゆっくり休んで――と言いたい所なのだが、折り入って相談があるんだ」

 上司の素晴らしく胡散臭いのに憎めない笑顔を前に、何度転属願いを出すべきか自問した事だろう。つやつやとした丸顔に赤い頬、裕福な貴族の出で毎年国に多額の寄付をしている――ガルマンは、戦場に殆ど出たことが無い。富める者特有の優しさがある反面、死地を潜り抜けたことも無いその精神に軍人としての知識も矜持も無い男だった。

 だから、こんなに簡単にとんでもないことを言い出すのだ。

「フォルト君、君にアイビス妃付の騎士となって貰いたいんだよ」

 フォルトは目を剥いて立ち尽くしたまま固まった。今まで何度も敵戦力を見誤ったり、軍師の組み立てた戦略を読み間違えたりと、いっそ愛嬌さえあるミスで我が隊は死に掛けた。その度に立場は弱くも実力のあるシエルやフォルトがその尻拭いをしてきたのだ。その功績がこんな風に実を結ぶなんて。

「えっと……ガルマン隊長、誉れ高いお役目、非常にありがたいのではありますが……」

「そうだろう!皆フォルト君がもっとも相応しいと王に推してくれたんだ!」

 ああ話はもうそこまで行ってしまっているのか。次の瞬間フォルトは辞意を告げることを諦める。そうでなければ、自分の能力がいかに人の警護に向いていないかということや、現在の戦況から鑑みて自分をそろそろ北の陣地あたりに投下すべきだという言い訳で、目の前の無知な上官を丸め込む事は簡単だったのに。

「勲章を以って君の実力が認められたということだ。フォルト君のバーリオル家なら家柄としても申し分ない旧家だ」

 今となっては何の価値もない没落貴族の家名を良く言ったものだ。フォルトは笑いたくなるが仕様が無い。妃付きともなれば実力があったとしても叩き上げの軍人は流石に無礼。だがあの有名なアイビス妃だ、まともな神経の名家の騎士達ならば丁重にお断りするだろう。

 そういう意味では、そこそこの家名を持ち、そこそこの実力を持つ自分は、適任に違いない。

 そしてその対価が勲章であるというならば、フォルトに断る理由も無い。

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