晩夏に堕ちる

蝉の声と夕立がワンセットになったような騒々しい日の暮れに、ネコを抱いて雨宿りをしていた。顎下を執拗に撫でながら遠雷が過ぎるのをひたすら耐えていた。

 気だるい湿気をはらんだ風が夕立の去ったことを告げ、ネコを膝から下ろし軽く毛を払い立ちあがる。雨が上がった為かまた蝉の声が一段と膨れ上がった。

 暮れには少し早い時刻だったので、図書館で時間を潰した。影が伸び斜陽の時が迫ると図書館を出て家に帰った。なんのことは無い平凡な一日がまた過ぎようとしていた。信号待ちの交差点でぼんやり空を見上げると、上空に火球が尾を引いて墜落して行くのが見えた。

「わあぁ・・・・・すごい」

 行き交う人はたった今起こった出来事に無関心で、雑踏の中で一人、呆けたように火球を見つめていた。

 信号が青に変わり横断歩道を歩いているとなんだかさもしい気持ちがこみ上げて、どこかここではない、家でも、自分の部屋でもない安らげる場所にもう一度戻ってみたいという本当にどうしようもない気持ちに囚われてしまった。

 火球は隕石のなれの果て、最期は空気に揉まれて焼かれて消える。今でも遥か上空では無数の石ころが溶けて消滅している。たまたまさっきの奴が大きくて目立っていただけだけで、たまたまさっきの奴は最期を看取られる人に巡り合った。

 そこまで考えると胃のあたりがずしりと重くなり、雨上がりの陰鬱な空気と混じり合って、とぼとぼと歩いていくしか他に手段がないように思えた。

「生理前だからかな?」

 生理は四日前に済んでいたがしかしそう思っておかないと膝から崩れ落ちてしまいそうな喪失感に囲まれていた。

 夕方のニュースで、各地の車載カメラが火球を捉えたと報道されたが、それが心の安寧をもたらしたとは言えなかった。奇妙な精神の興奮と虚無に突き落とされた喪失感が身体を満たしていた。

 一週間が経って、アルバイトを終え弓道着に着替え神棚に二礼二拍手一礼して、安土を均す。ざっと水を撒き、熊手で丁寧に傾斜を整える。本来一人でやる作業ではなかったのだが、全てこなしてしまった。

 出口のないまま鬱積した感情は未だ消え去ることもなく、練習が始まって猶留まり続けた。

「ねえ、手繰っているよ」

「えっ!?」

 先輩に初歩的なミスを指摘され、鏡の前で射を確認する。確かに、手首と腕が直線にならず広角に曲っている。

「なんか心配事あるの?」

「いや、そんなことはないですけど」

 その日は練習に身が入らず、ずっとあの日の流れ星のことを考えていた。

 夕立が立ち去るまでの憂鬱を不貞寝でやり過ごし日の翳り行くのを眺め、人生の終わりについて考えていた。人の身で流れ星の一生分の孤独を背負うにはあまりにも孤独の作法を持て余し過ぎている。

 社務所に自転車を止めて今月最後の勤労奉仕に向かう。ネコがすり寄ってきた。遠慮なく、腹を、額を撫でまわす。

体温の宿った柔毛と血の通っている淡紅の皮膚は確かに命そのものだった。ネコの体に触れるうちに、凝っていた得体のしれない何かが溶けていく。あの日見た流れ星はきっと、空へ失墜するときに何千、何万もの瞳に見守られていたのだ。孤独な岩と氷でできた命が尽きるあのひとときの間に、火の塊は地上からの眼差しをそそがれ、擦り減ってゆく体で天空から地上のものに眼差しを注いでいたのだ。

「あら、そこにいたの?今日はまた朝から暑いわねぇ。三十六度くらいになるらしいわよ。いやになるわよねえ」

 むせかえるほどの熱気と濃い影が周囲にあった。否、それしかないのだ。

緋袴に身を包んで、竹ぼうきを手に拝殿へ向かう。花崗岩に挟まった石英が日の光をうけて煌めいていた。

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