とある女子高生の日常
今日は期末考査の結果が張り出される日だった。私は女子高生で、皆と少し違うところは、薄闇の街中で刀を振り回し目に見えない正体のわからないアブナイ奴を殺しまくっている所。おとといの夜も血みどろの惨劇を演じてきたばかりだった。翌朝には日本史と化学と英語の試験をやっつけた。
「みーおー」
「どうだった?」
「ちょっと上昇したよ!」
「おー!!」
「みおは?」
地域有数の進学校において、全八クラスある中で堂々の総合七番。
「おお!すごい!!トーダイ狙えるんじゃない?狙っちゃう?狙っちゃう?」
茶化す友人を適当にあしらって彼女が持ってきた噂話を教えてもらう。その対価は購買のコロッケパンと焼きそばパン。
「なんかさ、六月のすごい雨降った日あったじゃん?その時からちょいちょい出没するようになったんだって」
「どこで?」
「えっとね、共同墓地があるじゃん?そこの裏手?お寺があるとことの」
「あぁ、あそこね」
「あんまりご飯食べる時にする話じゃないんだけどさぁ」
前置きして友人が語ったのは、一か月ほど前から血を抜かれた小動物の死体が落ちているようになったこと、ここ一週間の間に同じ場所で、得体のしれない血を吸うイタチめいた何かが人間を襲うらしいということを話してくれた。
「気持ち悪いね」
「巳緒顔広いじゃん、何とかなんないの?」
「いや、それはじいちゃんの縁でそんな・・・・・」
「えぇ!?じゃあなんでそんなにブランド品買えるの?こないだもJILLstuartの洋服プロパーで買ってたし」
友人にはヤツラと戦うとか、そういうややこしいのは秘密にしている。じいちゃんの誼で、不思議なことが起こったらその筋の人が知りたがるから教えてとだけ伝えている。
「いや、それは、その」
先月の給料は二十万だった。先々月は十六万。勿論非課税の闇取引である。税務署にばれたら夜逃げせにゃと、生前祖父はにやにやしながら言っていた。そして彼は税務署の目をごまかすべく預金は最小限に、箪笥貯金は最大限に行った。勿論私もそのようにしている。
「今まで臨時収入とかを貯めてたからさ、それで、ね?そ、それで噂のこと、誰か具体的に襲われた人とか紹介できる?」
「あっ、うーん、文鳥がいなくなった人と犬が怪我した人なら」
「分かった。ありがとう、相談してみるね」
その日はそれでお終い。みな試験後の解放感で浮足立っているようだった。
紫紺の髪をなびかせて、でこぼことした石畳をローファーで歩く。日の傾きかけたうす暗い路地の一角、表札も部屋番号もない小汚い雑居ビルの一室に入ると、ピンキ―ショートヘアのごついオカマに私は昼休みの顛末を語った。
「その案件さ、ロシアの方でこっちにお世話になるコが来るんだって。その子と組んでやってみたら?」
「えっ?こういうなんかその団体って、国際派なの?」
「国際派ってなによ。アンタ大吉おじいちゃんから聞かされてないの?」
「なにを?」
「センソーのことよセンソー。あんたのその物騒なモノも戦争がらみでしょう?」
何もかもを見通す者。パノプテス。胆が冷える。彼女はこの刀にまつわる秘密をどこまで知っているのだろうか。
「全部、知ってるわ。おじいちゃんのこともその二振りの由来もね」
「そ、そう」
戸惑い、怯えているのを隠すようにウーロン茶に口をつけた。“あのなまえ”は私と祖父しか知らないはずだ。いかに千里を見通す魔眼をもってしても、それは秘せられるべき事だ。
「ま、それはいいとして、あのね、ここは私とだいきっちゃんで始めたの。最初はたった二人でね。焼け野原の戦後すぐのこの場所で」
いきなり昔話が始まって、混乱した。せんご?七十年以上も隔たった過去について語るしのさんは一体幾つで何者なのか?
「アンタねぇ、オンナに歳聞くんじゃぁないわよ?」
「う、うん」
「ふふふ、それでねえ大吉じいさんはシベリア抑留兵だったでしょ」
「うん!」
祖父は満州に送られた一兵卒だった。一九四五年にロシア軍に捕まりシベリアのどこかに抑留されていた。祖父の軍籍は戦時の混乱で抹消され、復員したのは一九四九年、軍籍の復活は一九七〇年だったと聞く、それくらいしか知らないし彼も多くを語らなかった。
「抑留中に彼はロシアの組織に、日本に帰って私を探せといわれ、ここを作るよう説得されたわ。それでできたのがここ」
「そんなこと、ちっとも知らなかった。じゃあしのさんのお店みたいなのって日本にまだ他にあるの?」
「さぁ、どうかしら。視たことがないから分からないわ。そんな気にもならないし」
しのさんはシガ―に火をつけて一服する。
「それで、復員時に大吉はポン刀を携えて帰ってきた。いつ、どこで手に入れたかはあなた、聞かされていないでしょう?」
「え!?これ先祖代々のお宝じゃないの?」
「違うわ。あなたのそのだいきっちゃんそっくりの瞳の色は戦争が終わってから発現したのよ勿論その力もね」
だから力の伝世が不安定なのかもねとシガ―を灰皿に落とした。
「“その時”ではないけれど、“言うべき時”だから言うわ。その刀の由来について」
「う、うん」
私書箱の討伐依頼の確認と噂話の検証をしに来ただけなのに、大事になっちゃったなあと、ウーロン茶を飲む。
「それね、戦車と隕鉄でできた刀なの」
「は!?」
「ソ連か日帝かどっち製か知らんけど、戦車の砲塔に使われていた鉄と、シベリアに墜ちた鉄隕石を使って造られた刀なの」
「いやいやいや、意味分かんないよ。これ日本刀だしちゃんと組成も新々刀の日本刀だし」
「仮にそうだとしても、この刀の由来はそれよ。だからあんなバケモノを斬っても刃零れ一つしないの」
「あ、そうなんですか?」
「普通はね、虫みたいなやつとか爪がすごいヤツとか斬ると普通の刃物は刃零れするの。でも、ちっともしないって、つまり何かやばい力が宿ってるに決まってるじゃない」
「そりゃぁそうだけど、なんで砲塔と隕石なの」
「私が作ったわけじゃないからそこは聞かないでよ。それでも、だいきっちゃんがこの刀を満州で手に入れたことは間違いないわ。きっとロシアの組織が絡んでいるわ。その件に関してはあまり深く探ろうとは思わないけれど」
背中の大きく開いたスパンコール盛り盛りの衣装をきらきら揺らしながら、薄暗い出窓の棚に置かれた私書箱の、そのひとつに掛けられた神原々巳緒のプレートをひっくり返す。不格好なひらがなで、かんばるばらだいきち・みおと書かれている。六年前に私が名前を書いたものだ。
「それで、バケモノと戦う力を携えて大吉は私に会いに来たわ。痩せっぽちのガイコツみたいな形相の、彼に会ったの。それはあなたのおばあさまに出会う前よ」
「えぇぇ・・・・・」
「来るのが分かっていたから、私も準備はしていたわ。亡者のような彼が有象無象の魑魅魍魎を引き連れてくるのをね」
「うわぁ」
「彼のコードネームがどうしてアヴァロキテシュワラか知らないのよね。あなたは彼の全盛期を知らないのだから」
しのさんは手酌でグラスに炭酸水を注ぎ、ぐいっと煽った。瓶の中で飲み残しがぱちぱち泡がはじけ踊っている。
「アヴァロキテシュワラ、観音菩薩。祖父はそんないい人じゃなかったですけど」
芋焼酎と祖母と私のことが何よりも好きだった祖父。酔っぱらって酒臭い息を吹きかけてきた祖父。たまに競馬で大負けしてばあちゃんに内緒だとなんども私に頼みこんでいた祖父。そして私と同じ金糸雀色の瞳で棺に入った祖母を見つめていた祖父、数年後、棺に入って永久にその金糸雀色を開くことが無くなった祖父。それ以外の祖父の姿を私は知らなかった。
「大吉は、震電と雷電両方を振るう時、千手観音の如く、十一面観音の如く振る舞うのよ」
「なんじゃそりゃ・・・・・」
生前の喜怒哀楽に富んだ祖父の顔を思い出しながら首をひねる。
「うっすらと、笑みを浮かべて彼は戦うの。死は救いだと彼らに諭すように切り刻み、どんな猛きモノも、何千もの敵が立ちふさがろうとも、彼は剣を振るった」
しのさんが抱く祖父への思い。愛情、思慕、恋心。それよりも高次の感情に何と名前をつければいいのだろう。しのさんはカウンターに置かれた一揃えの刀を愛おしそうに撫でながら、深くため息をついた。
「祖父の振るう刀は慈悲に満ちていた・・・・・ということ?」
「同じ血潮が流れるあなたなら分かるでしょう?何故あなたが艦上戦闘機と呼ばれるのか。その理由と同じよ」
私の戦闘スタイルと同じ、つまり圧倒的な素早さと手数で押し切る。神秘の刀に斬れぬものは無い。あぁ、そういうこと。
「弾指のあいだに千手の太刀を浴びせ、どこにいようとも、例え真後ろを取ろうとも、その攻撃が当たる事は無く不意を突くこともできない。彼には圧倒的な疾さを身につけていた」
「御名答。そして私の千里眼があれば」
「戦術面に於いて多数を圧倒できる。だから幾多の困難も少ない人数で切りぬけることができた?」
「そうよ、その通り。まったく、あんな馬鹿男からどうしたらこんなに賢い子が生まれるのかしら」
くすくすと笑いながら、しのさんはウィスキーを継ぎ足して作ったハイボールを飲んでいた。祖父の話をするときはいつも上機嫌で饒舌になる。私の知らない祖父のことをもっと聞きたかったが、もう子供は帰る時間だ。夜の街が動き出す。
パチンコ屋の騒々しい音と光、闇に浮かぶ怪しげなネオン看板、黒スーツのキャッチ、胸元の大きく開いたドレスで着飾った嬢たち。いきかう人は皆気もそぞろでどこか投げやりだ。この猥雑な街の雰囲気は嫌いではなかった。私は“あの”大吉の孫だから、ここを通っても皆一目置く。置かずに絡むものはばかたれだ。今日もまたそんなばかたれに絡まれた。
「ねぇ、お姉さん?」
盛り場にたむろするイキった男の集団に囲まれる。五人。ちょろいな。
「誰に向かって口きいてんの?」
金髪の背ばかり高い男の顔がみるみる怒りに染まる。侮辱された怒りに。
彼が拳を振り上げるよりも速く、赤い靴は地面に弧を描き絡んできた男を引き倒す。後ろから羽交い絞めをかけてきた汗臭いデブを投げ飛ばし、バタフライナイフを抜いたニットキャプの男の手首の稼働域をもう六十度ばかり増やしてあげる。ILOVEBOSTONと描かれたダサTの男と、だるんだるんのタンクトッパ―はその光景に士気を折られている。勝負あったな。
「あんたたち、どっからきたの?」
頭をしたたかに打った金髪の肩口にピンヒールをめり込ませ尋問する。無礼には無礼を。ただし私はチュチュアンナで買ったふりふりのパンツを金髪に見せてあげているからまだ許される。なんてったってカワイイは正義だ。
痛がって呻くだけの男の側頭部をピンヒールで蹴りあげる。
「まともにしゃべれないの?口ちゃんとついてんの?」
「ず、ずんまっぜん、あぁっ、ずんません」
舌打ちしてからバタフライナイフマンに歩み寄る。
すらりと伸びた脚にほどよい肉つきの柔らかそうなふともも。そして白いぱんつと、安っぽいバタフライナイフを見せびらかしながら、ナイフの持ち主に先ほどと同じ質問をする。かわいかったから声をかけたということ、高校中退した仲間とつるんでここでたむろしている事を教えてくれた。
彼らはちょっと悪ぶってみたいだけの世間知らずのお子様だった。私は彼らの手首と足首と肋骨、それからプライドをへし折るなどの指導を行い解放した。
なまぬるい風がスカートを通り抜ける。鬱陶しく髪の毛にまとわりついてくる。不快だった。
ぴかぴかと色とりどりの電球がまたたく夜の街に美しい女子高生が歩いている。それは神原々大吉の孫だということを夜に生きる者たちはみんな知っていたのに、この街は少ずつ祖父を忘れていく。五年前までは、あんな奴等はびびって私に声をかけることなんてなかった。
祖父が愛した街は少しずつ彼の記憶をすり減らしながら変わっていく。それがとても気持ち悪くて、ふてくされてシャワーを浴びて寝た。
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