第7話
ドングリさんは良い方だ。柔らかな口調で大らかで、どんな時でも相手の行動を待つ余裕がある。
なんてったって、半狂乱の俺たちを叱責するでもなく、無責任な言葉で慰めるわけでもなく、ただ何も言わずに待ってくれたのだから。
壊れてしまった我が家を見て、オメガはちょっと壊れてしまった。俺の声も届かず、それどころか俺が身体を動かすこともできなくなってしまうほどに、オメガはおかしくなってしまっていた。
オメガは落ちてたいた腕を見てひとしきり泣いた後、我が家の瓦礫を素手で掻き分けボスがどこかにいないか必死に探していた。
付近に生体反応が見られないなんて無視して、爪が割れて血が出ているのも無視して、なんかの破片で指が裂けてしまうのも無視して、がむしゃらにボスを探していた。
俺といえば、痛いなとか、辛いなとか、なんでかなとか、身体を動かしてオメガを止めなきゃとか、考えるだけで何もできていない。
正直現実感がない。数年過ごした家がぶっ壊れているのも、いつもあんなに身近にかんじていたボスの気配が感じられないことも、オメガが変になってしまっている事も。そもそも死んだはずの俺が今こうして何かを感じていること自体おかしいんだから、現実感なんてモノは俺が覚える感覚ではないのかもしれないなとすら考えていた。
視界に入る瓦礫の中に変な動きをしている物体がチラつく。俺が掛けていたお片付け魔法がエラーを起こしているのかもしれない。空間が壊れてしまったせいで定位置を失ったアレコレが、片付く側から散らかって、浮いては落ちて、浮いては落ちて。あの出来損ないの魔法は今のオメガに似ているのかもしれないなと俺は思った。
いや、魔法じゃない。ボスは魔法なんてものは無いと言っていた。便利で素敵な万能の力なんて無いと。確かにあそこでエラーを起こしているっぽいお片付け魔法には、微塵も魔法っぽさを覚えない。
もしかしたら俺たちはボスの魔法で作られたのかも、なんて思っていたけど、きっとそれもない。
だって、オメガがマジカルな万能の力で作られていたのなら、今のこんな状況はありえないのだ。泣き叫びながら、手を真っ赤にしてボスを探しているなんて、全然合理的じゃないし。生体反応が確認できない以上ボスはここにいるわけないのだ。探すだけ無駄なのだ。手を傷つける意味なんてないのだ。
だから、意味のない動作を繰り返すオメガも、意味のない動作を繰り返す俺の作った法も、似ているんだ。どちらも揃って出来損ないだ。
虚無、もう俺は虚無感でいっぱいだ。
そして俺の虚無感が伝播したのか、オメガが唐突に動作を止めた。慟哭の叫びも消え、狂ったリズムのシャックリが変拍子みたいなリズムを刻む。
諦めか、絶望か、オメガからどろどろした感情の波が伝わってくる。心を色に例えることがよくあるが、じゃあこれは何色だっていうんだろう。黒? いやそんなのじゃない。無だ。色んな色が足されてどろどろの無になったんだ。もうここに色なんてない。
静止した時間は、優しいドングリさんの言葉でゆっくりと動き出した。
「君たち、何も言わずにただ聞いて。今から言うことはきっととても大切」
俺もオメガも何もする気力がない。ドングリさんの声も、聴いてるというより、ただ入ってくるだけの空気みたいな、そんな感じ。
「まず、テクネさんは簡単に死なない。これは絶対。というより、彼女は死ねない。彼女が死ぬなら僕たちは多分ここでこうやっておしゃべりもできないよ」
オメガが少しだけ反応した。でもまだ心の隅っこだけ。
「次に、落ちてた腕だけど、君たちちゃんと見てないよ。もう一度みてみなよ」
オメガからは明確な情動を感じた。これは拒否だ。
「オメガちゃんは無理みたいだから、トラックくん動いてあげて。大丈夫、こわくないよ」
俺は無感動のまま、やけに重たい身体を動かす。
「ほら、見てみて。この手、知ってる手?」
幾度となく俺たちをシバいた手だ。それは今でも触感を思い出せる。ボスの手は、小さな小さな子供の手だった。
そう、小さな子供の手だった。
じゃあこの手、誰の手??
「これテクネさんの手じゃないよね、絶対。少なくとも、ここで手を吹っ飛ばされた、あるいは手以外を吹っ飛ばされたのはテクネさんじゃないよ。恐らくここで何かがあって、何かの結果誰かが吹っ飛ばされて、吹っ飛ばされた結果家も削れちゃったんじゃないかな」
オメガが生気を取り戻して行くのを感じる。
俺も少しだけ何かを取り戻してきた気がする。
「結構ゴツゴツした手だから、ここに来た誰かは男じゃないかなぁ。まあそれしかわかんないけどさ」
男?
「いや、多分だけどね。僕もテクネさんの交友関係とか詳しく知らないし、そういう手をした女の人がいたのかもしれないけど、今の段階でそれを考えても仕方ないさ」
思考力が次第に戻ってきた。
こんな四方に山しかない辺鄙な場所へわざわざやってきた誰かがいて、それは多分男だったって、何でだ。
「今色々な事に何でだって思ってるでしょ? 君たちはすぐ顔に出るね。それも露骨に。テクネさんと似ているようで全然違って面白いよ。まあ、それをこれから考えればいいんじゃないかな。元気を出す足がかりにしてみよう」
ドングリさんは優しい。慰めというにはあまりに状況説明的な言葉が、俺たちに染み込んで行く。俺たちに必要な言葉をゆっくりと、的確に授けてくれる。
「もう一度言うね。テクネさんは死んではいない。その理由を僕の口からいうことはできないけど、これは確実。君たちより生きてて、テクネさんとの付き合いも長い僕が言うんだから、とりあえずそういう事にして。無理に信用しろは言わないけど、心の隅っこに僕が言った事を置いといて」
俺はこの優しいドラゴンを信じる。お前だって信じてるだろ? オメガさんよ。
うん、大丈夫だ。半狂乱だったオメガはもういない。言葉は帰ってこないけど、こいつの心はもう無じゃない。
「とりあえず、お家も住める状態じゃないから、どっかに行かないとね。でも、もう夜なんだよなあ、どうしよっか? 僕が風除けになるから、君たちはマシな状態の部屋で寝てきたら? おっと、でもその前にその手をどうにかしなきゃね」
ドングリさんがそういうと、ジンジンしていた手が元の感覚を取り戻してゆく。
なんじゃこれ、どうなってんだ。巻き戻し?
「あ、多分君たちニンゲンにはできない事だから、考えなくてへーきへーき。そういうものだと思って」
人間にはできないってどういうことだろうと思いつつ、手の感覚が完全に回復したとわかった。
「多分喉の方もあれになってるかもしれないけど、そっちはいっか。何でもかんでも元どおりにすればいいってもんじゃないよね」
ドングリさんに言われて、この短時間で喉が使い物にならない状態になったのだとわかった。
これまともに喋れるまでに何日かかるんだろう。
「さ、とにかく睡眠睡眠。明日にはもう移動を始めようね。ここにいてもちょっとよくない事ありそうだし。長距離の飛行になるから英気を養ってね!!」
促されるままに俺たちは壊れた家の中に入って行く。
とりあえず寝よう。
このぶっ壊れかたからして俺たちの部屋は消し飛んでしまっているだろうなあ。地面に寝るのかなぁ。
そうして見方によっちゃあ箱入り娘だった俺たちは、いよいよもって外の世界へ進んで行く事になったのである。
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