第7話 僕と猫と深音


結局、腕時計型のコンピューターの指示に従いこの星を一周したのか、僕は別荘の裏側に辿り着いた。


良く考えてみればこれは世界一周を成し遂げたことになるのではないだろか?


そう考えると少々誇らしい気分になれるのかも知れない。

しかも世界初という快挙のおまけ付きだ。


地球に居た頃の極々平凡な僕では到底達成できない偉業なのだけど、これが偉業と呼べるかどうかの難題について議論する気分にはなれなかった。


深音が話してくれた内容を信じる事により失う物が大きすぎて、その他大勢の中の一人に過ぎない僕にとってはどのように処理すれば良いのか、正直困惑しているからだ。


結局は、成るようにしか成らないと思うけど…



今僕は別荘の裏側に居るので、玄関から別荘に入るには反対側まで建物をぐるりと回り込む必要があった。


向かって右手側から正面へ回り込もうと思い歩いていると、別荘の側面、壁を挟んで浴室や洗面所がある場所にて、小春日和の散歩道でよく見かける、とある光景に遭遇したのだった。


それは屋外に設置された給湯器の上から、時間が止まっているこの世界とは全く別の次元にでもあるかのように気まぐれに揺ら揺らと揺れている。


僕が爪先立ちをして給湯器の天板を覗き込むと、随分ふっくらとした虎縞模様の猫が壁にもたれ掛かるように仰向きで大の字になって寝ているのだった。


「何を食べたら、ここまでふっくらできるんだろう?」


僕が思わず考え込んでしまう程、この猫は綿アメの様にもこもことしていたのだった。


「にゃー。」


覗く込んでいる僕の視線を感じたのか、猫は目を細めたまま面倒臭そうに鳴き声を上げる。


「ごめんごめん、起こしちゃったかな?」


「にゃー。」


正解。と言わんばかりに鳴き声を上げる仕草に、僕の口元が自然と緩むのだった。


「放って置いて良いのかな?」


この世界の現状を考えると、この猫をこのままにしておいて良いのかどうか疑問に思った。


首輪をしているので何処かの飼い猫だとは思うけど、今この世界に存在している人間は僕と深音だけだ。


深音は人工生命体と言っているけど、僕にとっては人間と区別が付かない。

今後も一人の人間として接して行こうと思っている。


「決めた。」


僕はそう言うと、この重そうな猫を抱き上げるのだった。


「にゃー。」


猫は不機嫌そうな鳴き声を上げるものの、特に暴れたり逃げ出すような仕草はしなかった。

それどころか、心地良い場所を探しあてたのか小さな寝息をたてて鼻提灯まで膨らましている。


「うっ、重い。一体何キロあるんだよ?」


僕はずっしりと重みを感じ愚痴をこぼしてみるけれど、地球が弾け飛んだとされる時から初めて動物と接触できた事に嬉しい気持ちで溢れ返っていたのだった。


僕が猫を抱いたまま玄関のドアを開け中に入ると、深音が出迎えてくれた。


「ん。おかえり…なさい。」


「ただいま。」


反射的に挨拶を交わした僕の目に飛び込んできたのは浴衣姿の深音だった。


「あれ?着替えたの?」


「ん。」


僕が出発する前までの白いワンピースも可愛かったけど、浴衣姿の深音も違った雰囲気でとても魅力的だった。


「ん。今日…和装…気分。」


「そうなんだ。似合ってるよ。」


僕は気恥ずかしくなって、ほんのり頬を染めながら目線を逸らす。


「ん。ありがと…飲む。」


そんな僕とは対照的な深音は、相変わらずのポーカーフェイスで水の入ったペットボトルを差し出すのだった。


「うん、ありがとう。でも全く喉が乾いてないんだけど。」


初夏の日差しをもろに浴びて、止め処なく汗が流れていたのだけど、時間が止まっている影響なのか全く喉が渇くことは無かった。


それに、喉が渇いてないのに無理に飲むのも結構苦痛だったりする。

僕が受け取ったペットボトルを手に躊躇っていると、深音がおもむろに僕の右腕の時計型コンピューターをタップした。


「ん。見て。」


先程と同じ様に3Dホログラムのような映像が浮かび上がる。


「ん。」


映像は人を象ったメーターになっているようで、水位によってメモリが表現されている。

現在のメモリはお腹の下辺りで黄色の領域を指している。


「ん。」


「分かったよ。無理してでも飲むよ。」


僕はそう言うとペットボトルの水を一気に飲み干すのだった。


「ん。お疲れ…さま。」


そう言うと深音は僕からペットボトルを引き取り、視線が僕の胸の中で鼻提灯を膨らませながら眠る猫に移った。


「ん。」


「ああ、先程別荘の壁にもたれ掛って寝てた猫と出合ったのだけど。」


「ん。」


「そのまま放っておくのも心配だから連れて来た。」


「ん。」


「もしかして駄目だった?」


「ん。問題…ない。」


深音はそう言いながら猫をじっと見つめている。

最初は気にする様子も無かった猫も、深音の無表情な視線ビームを前に次第に髭をひくつかせ、最後には鳴き声を上げて僕の左腕を踏み台に飛び降りると、リビングの方へ走って行った。


「ん。逃げた。」


深音は、去って行った猫の方向をいつまでも見ているのだった。


僕は内心猫に同情の念を抱きつつ、浴衣に合わせてアップした髪から覗く深音の首筋とうなじに心を奪われるのであった。


「ん。チェック…必要。」


僕には深音が何のチェックを必要としているのか分からなかったけど、小走りで去っていく深音に声を掛ける事も無く見送り、汗でベタついた体を何とかしようと浴室に向かうのだった。



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