第四話 防人と決戦と防人の――

開幕 -マクヨ イザ アガレ-

 暗い、くらい、敗血はいけつのような黯紅あんくの玉座。

 その領域に至るまでのありとあらゆるゼタ・ストラクチャーとは一線をかくす、よどみと、恐怖と、絶望に塗れた領域に、三つの存在があった。


 一つは、再誕者。

 自我を持つ再誕者。

 白い衣装に、首筋に巻いた赤の毛皮、慇懃無礼な長身の男。

 テンマオー・ハジュン。

 最強のリノベイトにして、裏切りを知らない隷僕れいぼく

 主に対して牙剥くことなき、忠実なる狂犬。


 もう一つは、揺らぐ粒子の塊。

 ゼロとイチが連なる青い鎖で四肢を拘束された、美しく豊かな体持つ、儚い少女。

 無数の札を束ねられたような衣装はほつれ、その端から塵となって来ていく。覗く胸元、瑞々しい尻、星色の髪に、浅黒い肌……それすらもほどけていく。

 カーマ・パーピーヤス。

 最悪の女神の名を冠する、亡霊。

 冷たく燃えるその瞳も、いまは伏せられ虚ろににぶい。


 最後の一つは、無二の王。

 完全なる支配者。人と再誕者を統べるものロード・オブ・エミグラント

 それは、空中に浮かんでいる。より正確に述べるのなら、暗き城の中心、そこにそびえる巨大な円筒の、その透明な内部に満たされた虹色の液体の中に座して佇む。

 こぽりこぽりと時折生じる気泡を従え、そこに浮かぶ、巨大にして絶対の〝〟として。

 濃緑色の、人間の数倍はあろうかという肥大化した脳髄のうずい

 それこそが王の姿だった。支配者の御身おんみすべてだった。

 ファジー回路搭載型・第756世代式・多元量子コンピューター【ヴェーダ】。

 つまりそれは、曖昧な解釈を可能にする端末によって処理を多元高速化した超越の演算装置。

 その外部端末こそが、中枢を、ヴェーダを乗っ取り、いまエミグラントを支配している魔王であった。

 マーラ・パーピーヤス。

 かつて人間だったもの、かつて再誕者だったもののなれの果てが、脳だけとなって玉座に君臨しているのだった。


 三者三様な存在が、その領域に集っている。

 ふいに、白き再誕者が口を開く。


「――はてさて、カーマ様、お加減はいかがですか? お聴きするまでもないとは思いますが、マーラ様を裏切った御気分はどうです? それが、失敗に終わったお気持ちは?」


 苦しげに、消え入りそうな、ザーザーとノイズが混じる声で、カーマは答える。


「……私は、マーラを裏切ってなど……いません。私は、マーラを、救う為に……狂気から、解き放つために……」

「まったく……傲慢ごうまん極まりないです――ねッ!」


 彼女の何かが気に入らなかったのか、ハジュンがその右手を振り上げる。

 途端にカーマが、絶叫をあげた。

 彼女の全身のほつれが酷くなる。

 再誕者は、異様なほど白い歯を剥き出しにして、愉快そうにわらう。


「再誕者になることを拒み、だがヴェーダの支配権を選らんとして。投影もままならないほど、データが損壊し始めたようですね」


 もっとも、それをやっているのわたくしですが。

 言って、くつくつと、喉の奥で泥が煮立つような音を、ハジュンは上げた。

 嗤っているのだった。

 カーマは、強くその下唇を噛み締める。


「ヴェーダは取り戻します。それが、人類存続の唯一の道。そして、マーラを解放する最後の――」






























『――わきまえよ、カーマ』





























 血の色の王座より、凄烈せいれつな声が走る。

 万雷よりもなお轟き、湖畔こはんの波紋が奏でる音色よりもなお静かに、その声は再誕者と少女の脳裏で反響した。

 

 それは変らない事実なのだ。



『ハジュン。なんじも控えよ。カーマは余が妻ぞ』



 無機質な王命に、最強の再誕者は身を固くし――ハッと顔を伏せる。濃緑の顔色が蒼褪あおざめるほどの恐怖を、ハジュンは覚えているようだった。

 彼にとってすら、マーラとは畏れ敬うべき絶対の存在だった。

 そんな恐ろしき者に対し、カーマは敢然と口を開く。


「マーラ!」

『……発言を許す』

「いまからでも遅くはありません! 人を全て再誕者にする――そのようなしき振る舞いはやめましょう! あなたは、あなたはもう、解放されてもよいのです!」

『…………』


 少女の決死の訴えを、巨大な脳髄は聞く。

 星色の髪の少女は、声高に言葉を重ねる。


「あなたがヴェーダの補助脳サブ・コンピューターに選ばれたのは確かに悲劇でした。外宇宙間移民船エミグラント。その量子コンピューターを以てしても、人類滅亡の未来を回避することは難しかった。この不毛な惑星に不慮の事故によって不時着したことが、それに輪かけたのも事実。だから、コンピューターの更なる性能の向上が必要とされ、そして、あなたは選ばれた。再誕者の被検体に。そしてヴェーダを補助するものに! それは……それは確かに非人道的な振る舞いです。ですが! だからと言ってエミグラントの中枢を乗っ取り、船の自己修復を阻み、なおかつ人類すべてを廃滅はいめつしようなどという暴挙は――」

『廃滅など、せぬ。これは、革新である。リノベイトである。余の祝福、再誕の御業みわざである』

「マーラ!」

『人は弱く、また愚かだ。捨て置けば遠くない未来、滅びる。再誕者。それだ。必要なのだ。――』



 王の電子合成された声音は、無機質でありながら、いつしか熱を帯びていた。

 カーマには、それが狂気にしか思えなかったのだろう。

 目を伏せ、その瞳を曇らせて。


「そんなこと――あなたがする必要は――」


 そう、苦しげに呟くだけになっていた。

 だが、王は止まらない。

 語り続け、その脳髄の内部で幾つも思索が疾走、電子を経由しヴェーダに干渉を起こし、その思想を現実に反映させる。

 王の号令は一つ。


『――つどえ』


 その一言に応じ、玉座の間、そのすべての扉が開閉する。

 現れるのは再誕者。

 無数、無量、無尽蔵のリノベイト。

 エミグラント内部に残存するすべて、あらゆる再誕者が、そこに集結しようとしていた。


『これより、余の軍勢は外界を目指す。その行く手を阻むすべてを蹴散らし、同化し、不変の命と同一の精神を与えながら、新天地へと突き進む』


 忠実なる従者、白き再誕者がその先をいだ。


「無論〝兜率天とそつてん〟も、その進路上にあります。やがては滅ぼされることでしょう。さして密度の高くない克己石エルガリウムが何処まで楯となるか。さて――」




















































 ――いつまで、高みの見物を決め込むつもりですかな〝マイトレーヤ〟?






































「まったく……やれやれだぜ」









































 心底辟易へきえきと苦笑して、手に持っていた中折れ帽子ボルサリーノ・フェドーラを頭の上に乗せる。

 壊れたバイクの中から回収するのは骨だったが、やはりこいつがないと締まらない。

 しっかりと帽子の角度を整えて、潜んでいた闇の中から歩み出る。

 眼に映るのは僅かに三色。

 暗褐色の玉座と。

 濃緑色の軍勢と。

 虹色の王様気取り。


 この場に居合わせた唯一の防人は。

 人類の楯は。

 ――は。






 両の手で愛銃を抜き放ちつつ、高らかに叫んだ。

 



































「こちとら救うって約束しちまった女が待ってるんだよ! テメェらのくだらねぇ野望なんざ、一切合財、欠片も残さず、粉微塵に撃ち砕いてやんよ! この――ないどもめ!!!」
















 BANG!





 亜音速で放たれる弾丸が、緑と蒼の花を咲かす。


 それは開幕の砲火。


 泣いても笑ってもこいつで最後の――最終決戦の幕が、いま上がった。



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