敗北 -テンゴク ノ ハテ-
◎◎
前時代の遺物だと、俺がかってに思い込んでいたサイドカーは、発掘される医薬品や銃器がそうであるように、常識を超えたスーパーマシーンだった。
数百メートルを落下したあたりで、本体が反転。その可変車輪が鱗のように
滑空の要領で、そのイレギュラー・シャフト――通称〝奈落への入り口〟を無事に降下し終えることが出来た。
「到達点が
「そうですね、これは排気を行うため、時折開くダクトに近いもの。そして私も――まさかここに辿り着くとは思ってもいませんでした」
表情は至って平素なまま、しかしサイドカーに腰掛けるカーマは瞳の中には、一抹の光芒のようなものが宿っていた。
俺は、多機能なことが判明したサイドカーの頭を――そこに
黒地の壁に、
―― EMIGRANT. ――
「……何て読むんだ、カーマ」
「エミグラント……」
「意味は?」
「…………」
彼女は数秒口を閉ざし、押し出すように、告げる。
「〝移民〟」
……なに?
「かつて、壊滅的環境汚染を受けて脱出を余儀なくされた母なる
それが、あなたたち人類の末裔が、超構造体都市と呼ぶものの――正体です。
カーマ・パーピーヤスは、そう語った。
◎◎
遠い、遠い昔。
或いは、遥かな未来。
地球と呼ばれる緑の惑星で、大きな戦争が起きた。
人類を二分し、殺し合い、血で血を洗う大戦争。
その結果、地球は人が棲めない星になった。
地軸がずれ、異常気象が吹き荒み、何もかもが破壊され、海は干上がり、死の星と化した。
地獄になった。
人々は、新天地を求めて船を作った。
天国を目指した。
それ自体が惑星に匹敵するような環境を備え、破壊することも適わない、壊れることなど決してない、星々の海を渡る移民船を。
その船の名を――エミグラントと呼んだ。
「その――その、エミグラントっていう機械が、ゼタ・ストラクチャー・ネストの正体だって?」
無言で頷く少女に、俺は始め苦笑し、嘲笑し、そして徐々に困惑を隠せなくなり……やがて、呆然とすることしかできなくなっていた。
人類が、この場所以外で生きていた?
いま以上の技術水準でも耐えられないような戦争が起きた?
この都市が星の海を渡る船?
どれをとっても、信じられるようなことじゃなかった。
はっきりと、俺の許容量を超過していた。
だが、カーマはなおも続ける。
「証拠は幾らでもあります。何故、すべての区画が気密できるようになっているのか――絶対真空の宇宙を航行する為です。
そう言って、彼女は俺の左胸を指し示す。
「再誕者は、かつてエミグラントがこの惑星に不時着した際、外界の苛酷な環境に適応するため、科学者たちが遺伝子的改造を行った結果生まれた産物です。屈強な身体構造と、不変であるが故に死なない肉体、精神を連続的に接続することで、意志の消滅にも対処しています。あれは本来、人類の進化の、その先にあるものでした」
人類の進化の先って……
「じゃあ、なぜそれが人間を襲う! 人を殺す!?」
あんな化け物がいなければ、俺みたいな防人は必要なかった。
何よりあの娘は、ヴァルナーは――
「言いましたね、彼奴等は噛みつくことで同化液を流し込むのだと。仲間を増やすのだと。それは《《人類を自らと同じステージにまで進化させるためです》」
「ッ!」
「意識の統合は、思わぬ効果を生みました。処理能力の増大と連続性の維持だけではない――自我の肥大を招いたのです。彼奴等の
カーマが指先を動かす。
その指示に合わせて、サイドカーが勝手に動き出す。
彼女が向かう先、ライトが照らし出したのは、超構造体の一部、埃の積もった真っ黒な銘板のようなものだった。
「運よく、本当に運よく、ここに辿り着きました。僥倖や天の導きと言っていいでしょう。ここは第三艦橋と呼ばれていた場所。私が目指していた場所。ここからなら、すべての中核――
その言葉に、お決まりの台詞を返し、ツッコミを入れようとした。
その時だった。
「さて――気安いお喋りは、その
酷く、
何かが、
ゆっくりと、それは影の世界から歩み出る。
バイクのヘッドライトが、それを照らし出した。
ピッタリと下半身に張り付く、白いズボン。
腰に巻かれた鎖のベルト。
身体を隠す意味を持たない上着は、首筋に赤い毛皮を巻きつける。
緑色の肌。
黄金の髪。
そして――カーマと同じく、そんな物よりよほど
奇妙な出で立ちの男が、暗がりより現れる。
「ハジュン!」
先に動いたのは、カーマだった。
怒りに塗れた声音でそう叫び、その両の腕を掻き抱くように振るう。
ほぼタイムラグなし、完全なシームレスで、バイクがエグゾーストノーツを放ち――変形。
その各所から無数のアーム(俺を改造した時に見せたそれだ)を這い出させ、緑色の肌の男へと踊りかかる。
だが――
「っ!」
「……相も変わらず短気でございますねぇ、カーマ様。これは我らが
その全ての金属アームを目にもとまらぬ速度で打ち砕き、金属の
「マーラ様もお嘆きのことでしょう」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
激発するカーマ。
普段からは想像もつかない凄まじい形相で、感情剥き出しの顔付きで、彼女はバイクごとそのハジュンと呼んだ男へ体当たりを決行する!
後輪が白煙をあげて回転数を急上昇、ウィリー状態での突進!
それを
「ああ、訂正いたします」
その男は、片手で受け止め、
「呆れ果てて――見限ってしまわれるのではないですか?」
嘲笑した。
「~~~~ッ!! マイトレーヤ! 撃ちなさい!!」
狂相を浮かべた
「
――再誕者だ。
「――――」
カーマは、そう叫んだ。
憎しみのすべて、怒りのすべてを吐きだすように、告げて見せた。
俺は。
リュウカジュ・ミロクは。
――聴く耳など持たず、引き金を引いた。
BANG!
響く銃声は一つ。
だが、射出された弾丸は二つ。
リノベイター化によって向上した俺の神経系がその神業を可能にする。
吠えるカーマ、その顔の真横を抜けて、二発の銃弾が再誕者ハジュンに叩きこまれる!
「――と、思いますよね。普通は」
「――!?」
ゾッと。
機械化して粟立つことなどありえない俺の背筋を、悪寒が走り抜ける。
聞こえた声は、聴覚器官のすぐそば、ほんの数センチ隣だった。
反射的にその場から飛退く。
ガシャン!
そんな音を立てて、サイドカーが遅れて床に、前輪を落下させる。
俺はカーマと合流しながら、囁き声が発せられた位置、つまり今の今まで俺がいた場所から微動だにしないハジュンのニコニコとした笑みを見据え、問う。
「なんだ、あれ。あれは本当に、リノベイトか」
「……正真正銘のリノベイト、です。ただし、最も進んだ科学によって生み出された最初期の一体。最強の再誕者。唯一ひとり自我を
俺達が高速で会話を交わす間にも、その男、ハジュンは動きを見せない。
ただ微笑み、こちらをやんわりと見詰めている。
そうして、カーマがそれを言い終えようとするタイミングで、
「ちなみにあなた。いまリミッターを切っていたら、死んでいましたよ?」
そう、悪魔的な表情で囁いた。
「あなたの肉体――唯一の生体パーツという意味ですが――は、こちらの諸事情を
では問題でございます。生命維持にも使われ、同時にあらゆるものを輪廻させる無限の粒子。
「そんな代物を全て、一切の制御も予断もなく吐きだしてしまえば――その周囲の環境と使用者は、一体どうなってしまうのでしょうかねぇ?」
「…………」
カーマは答えない。
その口を固く閉ざす。
だが、故にそれは答えだった。
彼女が先ほど言った通りだ。
「超構造体ごと、すべてを革新し吹き飛ばす」
御名答!
そいつは喝采を上げた。
「リミッター解除、圧縮粒子の開放、永劫輪廻の終焉――それは命と引換の奇蹟でございます。放ったが最後、魂さえも輪廻を余儀なくされるでしょう。ああ、そうそう。付け加えるのなら、こんなところで投射的に使えば、最上位階層まで一気に穴が開きますよ、そうなってしまえばどれほどの死者が出るか――どうか、ゆめゆめ、乱用されぬように」
「人間が死ぬのはお前らには願ったりかなったりじゃねーのか、なあ、口を利くさかしい再誕者の親玉よ」
「……わたくし、決して親玉などでは。いえいえ、……人類の死滅を我々は望みません。あくまですべてを再誕者に進化させることが、わたくしの仕える方のお考えなのです」
……で、そいつの名前が、マーラってわけか。
どうしたもんかねーと考えつつ、俺は愛銃の内部で蒸気を圧縮、弾丸へと変成する。
考えるまでもない。
こたえは――決まり切っているのだから。
「カーマ、二つだけ俺の質問に答えろ」
「…………」
「ヴァルナーを救う手段、本当にあるのか」
「…………」
「おまえは――俺の脳みそを、何に使うつもりだった?」
「――――」
――答えはない。
応えはない。
だから、俺のやるべきことは決まっていた。
「逃げるぞ」
「――え?」
小声で呟くと同時に、俺は両手の蒸気式機械拳【マテバ10-71-10】のトリガーを引き絞る。
射出される二つの弾丸。
音速の壁を破る音は一つ。
「芸のないこと――っ!?」
テンマオー・ハジュン。
そいつが
弾頭同士が激突――蒸気となって爆発する!
「クッ、猛毒の煙幕とは――考えましたねぇっ、
莫迦が、一生ほざいてろ。
俺は口元を吊り上げながら、脱出を図る。
「行くぞ、カーマ!」
戸惑ったように俺を見る、彼女の手を執り走りだそうとして――
「――あ?」
すり抜ける。
貫通する。
カーマの手が、俺の手から。
鋼鉄の腕は、その手を掴むことすらできず。
「――ごめんなさい、マイトレーヤ」
聴こえたのは、この数日ですかり聞きなれた少女の冷たい声。
見えたのは、その姿が粒子となって消え去る、その瞬間だった。
刹那、俺の後頭部に衝撃が走る。
意識が
振り返り、一
「……殺しはしません。そう言うご命令ですから。代わりに……追ってきなさい、マイトレーヤと名付けられたものよ。この閉じた世界――天獄の果ての、その真理を得たいのなら!」
追撃の一撃に、俺の意識は完全に刈り取られることになった。
機械の身体でも、意識を失うのだと、俺はその時、初めて知った。
『――ごめんなさい、マイトレーヤ』
その言葉が、やけに脳裏に、こびりついていた。
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