第三話 防人と天獄の涯と防人の敗北

旅情 -ツカノマ ノ キュウソク-

 エグゾーストノーツを響かせて、その機械マシーンは疾走する。

 可変型強化車輪フレキシブル・ハイ・タイヤが超構造体の床を切り刻む勢いで噛み締め、凄まじい速度で加速を始める。

 カーマが乗っていた車輪付きの機械――前時代の遺物、変則的三輪車サイドカー・トライクは、俺が走るよりも何倍も速く、ストラクチャー・ネスト内部の移動を可能にした。

 その、バックミラーに視線を転じる。

 左に見えるのは、側車におさまる星色の髪に浅黒い肌の少女、カーマ。

 そして、わずかに写りこむ俺の姿は――


「……なにも、かないのですか」


 少女の放つその声音の、冷たい響きは変らない。

 先程、俺の燃料だからといって立ち寄った浄化槽で水をんだ時と、何一つ変わらない。

 ただ、ほんのかすかではあったが、不思議そうな色合いが、その問いかけのなかには混じっているように思われた。


「知りたいことが多すぎてね……何から訊きゃーいいか、わかんねぇのさ」


 肩をすくめ、おちゃらけてみるが、実を言えばそれほど尋ねたいことがあるわけでもなかった。

 不思議な話だが、知るべきことはもう知っているような、そんな気さえしていたのだ。


「俺をこの体にしたのは、もう助からなかったからだろう?」

「…………」

「リノベイトに噛みつかれて、助かった人間はいない。。生身のままじゃ駄目なんだ――こうするしか、助かる方法がないんだろ?」

「……その通りです」


 カーマは、言った。


「再誕者はその性質上、唾液腺から分泌する同化促進物質〝アナボリシン〟によって人類を再誕者にします。アナボリシンは真っ先に心臓をおかし、改変し、全身に同化促進物質を送り出すため、なによりも早く破壊する必要がありました」

「結果、俺が死んでもか?」

「あなたは死にません。あなたに死はない。マイトレーヤである限り、絶対に。何よりあなたの脳髄が汚染される事だけは防ぐ必要がありました。ですから――マイトレーヤ? なぜそのような顔をするのですか?」


 訳が分からんのでへの字口になって押し黙ると、カーマは小首を傾げて見せる。きょとんとした表情から、あの苛烈なまでの冷熱は感じない。見た目相応、年齢相応の少女がそこにいるだけだった。

 俺は手を振り、続けてと促す。

 カーマが頷く。口を再度開く。


「〝ア・バオ・ア・クゥーの心臓〟は超高純度克己石――ハイ・マテリアル・エルガリウムをさらに圧縮し、密度を高めた触媒を中核とする疑似永久機関です。その性質は、存在を輪廻りんねさせることにあります」


 輪廻。


「宗教的な物言いは苦手ですか。ならば言い換えますが、変遷へんせん、螺旋進化、置換、物質の生まれ変わり……或いは新陳代謝。この場合はエルガリウムから生じるブラフマー・プラズムが内蔵された固形化2H₂Oを昇華し、それを体内で循環させることでエネルギーを発生、心臓内に戻ってきたものを再び輪廻させ凝固、昇華し無制限の出力を産みだします。また副産物としてリノベイトに対して強い致死性を――」

「待て待て待て、なんだそれは。意味わからん」


 2H₂O?

 物質の昇華?

 無制限の輪廻?

 ――


「どっかの区画のかなにかか?」

「……なるほど、理解しました。文明レベルは随分と衰退しているようです。噛み砕いて説明しましょう」


 彼女が言うに、つまりはこうだ。


 俺はリノベイトに噛まれた時点で心臓が奴らと同じになりかけていた、だから壊すしかなかった。

 そのままではもちろん死ぬから心臓の代わりを用意しなくてはいけなかった。それが〝ア・バオ・ア・クゥーの心臓〟。

 ついでに肉体も深刻な損傷があったので(加えていえば生身では脆弱すぎるので)機械の身体に作り替えた。

 結果、疑似なんたら機関の力で、俺は殺せないはずの再誕者を殺せるようになったと。


「つまりは、そういうわけか」


 確認のために尋ねると、彼女はこくりと頷く。


「はい、リノベイトは完全無欠。絶対不変の存在です。故に二度と輪廻はしない。彼奴等きゃつらにとっての輪廻とは〝死の獲得〟に他ならず、異常環境下に適応した結果、変化の意味を失った肉体は耐えきれず瓦解がかい、最終的に昇華します。そして、あなたは彼奴等にまさる超人となりました。強靭無比な機械の肉体です。756気圧ないしゼロ気圧下でも行動でき、駆動燃料たる水素の補給が絶たれた状態でも75600時間以上の活動が可能。放射線、腐食、高熱、低温にも耐えることが出来ます。それに」


 カーマが、一度口を閉じる。

 ジッと、その瞳で俺を見る。

 それは燃える色ではなく、なぎのような色彩で。


「投射技術で、もとの外見を再現することもできます」

「できるのか」

「できます」


 彼女の言葉に、俺は素直に驚いた。

 星色の髪の少女を凝視してしまうぐらいの驚きっぷりだった。


「それを望みますか、マイトレーヤ」

「リュウカジュ・ミロクだ」

「……望みますか」

「…………ああ」


 元に戻るというのなら、戻して欲しいという思いはあった。

 俺の意思を確認して、彼女は頷く。

 その薄い口唇が、滑らかに聞き覚えのない言葉を紡ぐ。


投影準備プロジェクション・レディー――記憶領域より抜粋メモリーサーチ――投射、開始スタート


 ギジジジジ……と、俺の機械の全身から駆動音が一斉に鳴りだし、一瞬の燐光。

 その燐光が鋼鉄の肌に吸着し、様々な色合いに変化する。

 白、桃色、黒、そして、肌色に。

 ハッとバックミラーに自分の顔を写す。

 そこにあったのは――


「元通り……じゃないか!」


 黒髪。

 アッシュグレイの瞳。

 無精髭。

 変わらない、何一つ変わらない冴えない中年の顔。

 俺の顔が、そこにあった。


「も、戻ったのか、身体が」


 そっと頬に触れると、カチンと音が鳴る。

 帰ってきたのは、硬質な響き。

 これは。

 つまり――


「はい、文字通りの投影です。あなたの体の上に、立体映像をともしているに過ぎないのです。いいですか、マイトレーヤ。あなたの体でオリジナルの部分は脳髄のみ。そして、それこそが最も重要で」

「なあ、俺の帽子は。中折れ帽はどうしたんだ? あれがないと、どうにも調子が出らんのだが」

「……保存してあります。このバイクのなかです。あとでお渡ししましょう。それよりも、です。あなたの脳髄、それは、マイトレーヤの証であり、天文学的な確率の果て、奇蹟のように――」

「あー、わかった。わかった」


 俺はハンドルから手を伸ばしてカーマがそれ以上のたまうのを静止し、軽く頭を抱えた。

 うんざりしたというのが本音だった。

 結局、俺はもう元には戻れないし。

 戻れないなら、やるべきことは一つなわけで。

 否――もとより俺がやるべきは、たったひとつの――


「マイトレーヤ」

「だから、俺はリュウカジュ・ミロクだ」

「……マイトレーヤ」

「――。なんだよ」


 額に手を当てたまま、ため息を吐きカーマを見遣ると、彼女はその炎のような瞳を胡乱うろんそうに細め、こう言った。


「手放し運転、及び、よそ見運転は大変危険です。例えばこのように――」


 ギュルン。

 空転するタイヤ。

 吃驚きっきょうを告げるエンジン。


「落下する危険が――ありますから」

「さ」





 先に言えよ、この莫迦女バカオンナぁぁぁぁぁぁぁー!?





 俺の絶叫は、ゼタ・ストラクチャーにぽっかりと空いた穴に――奈落への入り口、不測通気口イレギュラー・シャフトへと、エグゾーストノーツとともに吸い込まれていったのだった。

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