第18話 夢の続き

 わたしは広い草原の中にいた。空を仰げば夕焼けの一歩手前のような色をしている。視界の端で動いた草を見下ろせば、黄色っぽくくすんだ草が柔らかな風にそよいでいる。どこを見ても、淡くくすんだ景色が広がっていた。


 視点を前に遣ると、目の前に川がある。見るからに浅く、流は緩やかだ。綺麗に清んだ水の中から水草が顔を出している。向こう岸には一面に花畑がひろがっていた。

 この川に足を浸けたらさぞ気持ち良いだろう。ついでに川を渡って花畑にも行ってみたくなる。そう考えた時、猫が足元から声をかけてきた。


「お嬢さん。川を渡ってはならないぞ。こちらに戻って来れなくなる」


 それを聞いて思わず背筋がぶるりと震えた。つまり、この川は俗に言う「三途の川」ではないか。確認するために足元を見るが、猫はもういなくなっていた。

 ふと、わたしは視線を右へずらした。すると、今にも川に片足を入れようとしている人がいる。総髪で寝間着のような着流しの後姿のその人は、骨ばった細い足の片方をちゃぽんと川に入れた。彼には見覚えがある。沖田さんだ。

 わたしは駆け出した。これが本当に三途の川なら、彼を向こう岸に渡してはいけない。幸い、沖田さんの動き始め緩やかだ。まだ間に合う。


「沖田さん! 」


 わたしはすぐに追い付いて、沖田さんの手を後ろから掴んだ。彼が驚いてわたしを振り返ると、周りの景色が音も無く割れた。息を呑む間にバラバラと崩れ去り、真っ暗になった。

 捕まえたはずの沖田さんもいなくなり、わたしは黒い空間にぷかぷかと浮かんでいた。いつか沖田さんの過去を見た時と同じ感覚だ。わたしは辺りを見回す。すると、沖田さんと、別の男性がすっと表れた。沖田さんは浅葱色の羽織を着て、月代をきれいに剃っている。二人とも刀を持って睨み合っている最中だ。

 しかし次の瞬間には、沖田さんが相手をバッサリ斬り伏せていた。圧倒的な強さと速さで、全く負ける気がしなかった。

 斬り合いを見ている間にも、あちこちにたくさんの沖田さんが現れていた。

 子供達と遊ぶ沖田さんや、隊士達と酒を酌み交わす沖田さん、素振りしていたり、子供の沖田さんが誰かに叱られていたりもした。いろんな姿の沖田さんが、次々と浮かんでは消えてゆく。

 中には猫の姿で扇風機で遊ぶ沖田さんまでいた。彼の人生の様々な場面が、何パターンもそこに集まっている。どの沖田さんも溢れる光のように溌剌としていた。

 けれど一ヶ所だけ様子が違った。そこだけ黒い陰が差したように、生気のない虚ろな沖田さんがいた。病に臥せ、忍び寄る死と潰えた希望に抗う力もないほど衰弱して見える。


 沖田さんは一人、狭い部屋でひっそりと布団を腰まで掛けて座っている。わたしは導かれるように、まっすぐ彼の元へ向かった。

 わたしは敷き布団のすぐ脇に腰かけた。だが沖田さんの表情は全く変わらない。微動だにせずに何もないところを見つめたままだ。わたしを認識しているかどうかもわからない。わたしはそれに構わずに、沖田さんに手を伸ばした。


「沖田さん。わたし、ここにいるよ」


 沖田さんを抱き締めた。骨ばって、折れそうなほどやつれているが、暖かい。それだけで泣きそうになる。

 沖田さんがぴくりと動いた。そして一瞬の間を置いて、沖田さんはそろそろと手を動かし始める。やがて沖田さんの手がゆっくりとわたしの背中に辿り着いた。力は無い。けれど確実にわたしを抱きしめ返してくれている事に、言いようのないほど安堵した。


「わたし、待ってるね」


 沖田さんの肩口に顔を埋めた。すると、頬に暖かい滴がポタポタと落ちて来る。


 沖田さんを、おきたさんの魂を捕まえた。わたしは確信した。何の根拠もないけれど、きっとそうだ。

 抱き合ったままの姿勢で沖田さんを見上げた。けれど、彼の顔は見えない。そこでまた意識が途切れた。

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