第15話 夢のまた夢(後編)
気付けば何もない真っ黒い場所にいた。ぼんやりする頭で、これまでどこでどうしていたのかと、必死に思い出す。
「そうだ、黒猫はどこへ……」
はっとして辺りを見回すと、黒猫も一緒にいた。わたしの足元で、猫はうんと大きく伸びをしている。猫は「やっと目覚めたか」と言って、その場に座り直した。
「あの後すぐ、彼は死んだ」
「そう……」
「彼は最後まで新撰組のために生き、戦う事を望んだ。誰の役にも立てず、落後したまま死ぬことを最も恐れた。あんな身体でも、戦場に戻り戦いたいと願っていたのだよ。吾輩を斬ろうとしたのも、その現れだろうな」
聞きながら、わたしは沖田さんと出会った頃のことを思い出していた。飄々として、明るく、あまり悲壮な印象は受けなかった。沖田さんは「庭先に現れる猫をどうしても斬れずに、体力の衰えを痛感したのだ」と言っていた。わたしが思っているよりもずっと、辛い思いをしていたのかもしれない。
「そこでだ。吾輩は、彼にもう一度チャンスをやろうと思った。だが、彼は人を斬りすぎた。どんな理由であれ、その事実は消えない」
「沖田さんは、自分のために斬っていた訳ではないと思うわ」
わたしは、同意を求めるように猫を見つめた。猫もこくりと頷き、話を続ける。
「わかっているさ。吾輩は彼の思念なのだからな」
「だったら」
「あの時代には、そういう役割を担う者は何人もいた。彼らにとってそれが当たり前の事だったとしても、それとこれは別なのだ」
猫は続けて熱弁を振るう。熱のこもった演説するような話し方だ。
「殺生をせずに生きることができるならば、ということさ。しかし、彼は腕が立つ。そこで、剣の通用しない時代へ、猫の姿にして送り出した。これなら、間違っても殺してしまうことはあるまい。特別に吾輩と同じ身体だぞ」
「変わった色だとは思っていたのよね」
「ふふふっ、そうだろう」
猫は得意げに鼻を鳴らした。心なしか、ふんぞり返っているようにも見えないこともない。
「その上でお嬢さんの所へ遣ったのだ。君も寂しそうだったからね。我が輩の狙い通り、彼を受け入れてくれた」
あの日、突然現れたのはそういうことだったのか。密室だったはずの部屋に沖田さんがいて、何事かと驚いたものだ。
「彼はまず、言葉を欲した。彼は温厚で誠実だったから叶えてやった。そうそう、お嬢さんのこの首輪。実はこれがミソなのだよ」
猫は、自分の首に付いている紫色の首輪を前足で指した。前にわたしが買って、さらにアメジストを取り付けたものだ。今朝、沖田さんだとは違うと思いつつ、縋るような気持ちでこの猫に付けてから出勤した。
「これが? どこにでも売っているわよ」
「厳密には、この石だな。ここに沖田くんの願いと、吾輩の猫妖術を込めたのだ」
「猫妖術……。思念って言っていたけれと、つまり化け猫なのね、あなた」
わたしがそう言うと、猫はさほど気にすることもなくあっけらかんと答えた。
「まあ、そうだな。人は我々をそう呼ぶ。100年も生きれば仕方あるまい」
「あなた、一体いくつなの……? 」
驚いて聞き返したが、猫は特に気にすることもなく続ける。
「そんなものは忘れたよ。ただ、猫の力だけではこんなにも長く生きられない。吾輩の場合は沖田くんの思念を頂戴し、糧にした」
「食べちゃったの? 」
「ほんの少しだけな。彼はたまたま我が輩の縄張りへ養生に来ていたから、頂くことにしたのだ」
ただし、誰のものでもいいわけではないと猫は続ける。
「猫が思念を喰らうと昇華され、能力が大幅に底上げされるのだ。吾輩はその恩恵を受けて、こうして今も生きている。沖田くんの思念は鋼のように強靭、それでいて清水のように清らかでね。強い力になったよ」
まさかそんな物を食べていたとは思わなかった。わたしはますます驚き、思わず上ずった声が出た。
「思念って……まさかわたしのも、食べちゃうの? 」
今更ながらはっとして、わたしは猫をじいと見つめた。急に緊張して、こめかみに冷や汗が流れる。
「いいや、それは無理だな。我々は、死んだ者の思念しか食べることはできない」
恐る恐る聞いたわたしに「だから安心したまえ」と、猫は言った。わたしは思わず胸をなで下ろす。
「化け猫って、もっと恐ろしいものだと思っていたわ」
「猫にも色々と事情があるのさ。場合によってはこの限りではないぞ。例えば、吾輩の友人にタマ君というのがいてね。彼は昔、人間に無残な殺され方をしたらしい。以来、彼は恨みのあまり……」
「そ、そう。怖いから、その話はもう止めましょうよ」
「そうかい?では、続きといこう。彼は次に、人に戻りたいと願った。お嬢さんを守るためならば、とな。これも叶えてやった。しかし……」
猫は、一度息を吐き、大きく吸った。そして、急に語気を荒げ、怒り始めた。
「奴はまた人を傷つけた。吾輩が止めなければ、危うく人を殺めるところだった」
恐らく、木島に襲われた時のことを言っているのだろう。けれど、それは何も沖田さんが好き好んでしたことではない。
「それは不可抗力じゃないかしら。襲われたのはわたし達の方なのよ。それに、いくら何でもまさか本気で殺そうだなんて……」
「いいや、奴は本気だったよ、お嬢さん。力の差も歴然だった。同じ過ちを繰り返すことは許されない。よって、吾輩は彼を猫に戻した」
理不尽な猫の言分に、わたしはむっとして反論した。けれど、猫も譲らない。
「そんなの、ひどいわ。戻してよ。沖田さんのせいじゃないのに。まだ少し、現代の感覚に戸惑っているのよ」
「吾輩の責任上、危険な者を放っておくわけにはいかないのだよ」
「よく言って聞かせるわ。それに、またあの男が来たらと思うと、怖いの。わたし一人ではどうにも出来ないわ。警察にだって相談はしているけれど、何か起こらないと動いてくれない。沖田さんがいてくれて、わたし本当に心強かったのよ。だから、お願い。お願いよ」
わたしは頭を下げた。沖田さんを戻して貰おうと必死だった。猫はしばらく考える素振りを見せ、こう言った。
「……今後の生活次第だな」
「どういうこと? 」
猫に聞き返したとき、ぷつりと何かが切れた。途端に目の前が真っ暗になり、上も下もわからなくなるような妙な感覚に襲われる。すうっと何かに吸い込まれるような感覚を最後に、それ以降の記憶はなかった。
気がついたとき、わたしはリビングに戻っていた。ゆっくりと起き上がり周りを見回す。ふと視線を落とすと、黒猫がわたしの膝の上にいた。金色の目をぱちくりとさせて、わたしを見つめている。首には見慣れた首輪が付いていた。
「……沖田さん? 」
「ええ、そうです。つい今し方戻りました。
「沖田さん……良かった、良かった……。戻って来てくれたのね! 」
涙が滲んでよく見えない。本当に戻って来てくれたのだ。わたしは沖田さんを抱き上げ、そのまま抱きしめた。彼はいつかのように、涙を舐めとってくれる。それが嬉しくて、わたしはしゃくりあげてまた泣いた。
「そうだ、お仕置って、聞いていたの。大丈夫? 」
しゃくりあげながら、沖田さんに聞いた。聞きたいことがたくさんあったが、言葉になったのはこれだけだった。
「猫じゃらし地獄でした。我ながら、よく耐えたと思いますよ」
沖田さんは、にっと笑った。彼曰く、小さな空間のなかで、たくさんの動く猫じゃらしに絶えず囲まれて続けていたそうだ。どうしても捕まえたい衝動に駆られ、つい追いかけてしまうらしい。そのため、相当な体力を消耗するが、力尽きるまで追い続けてしまったと、ため息をついた。
「よかった。どこも悪くないわよね。怪我してないわよね」
「大丈夫ですよ。でも、また猫に戻ってしまいました。今度は、私があなたを抱きしめて差し上げたかったのに」
沖田さんは耳をぺたんこにし、いかにもがっかり、という出で立ちだった。それでも、わたしは沖田さんが帰って来てくれたことが嬉しくて仕方ない。ふわふわとして暖かい沖田さんを、さらに優しく抱きしめた。
ようやく一息つくことができた。
だが、わたし達は気付いていなかった。木島が、私たちの居場所を嗅ぎ付けていたことを。
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