第13話 元の木阿弥
わたしは耳障りな音で目を覚ました。ガリガリと、まるで猫が柱を引っ掻いているような音だ。
ムクリと身を起こし、音のする方を見てわたしは唖然とした。沖田さんが柱で爪を研いでいる。それも、猫の姿で。
「お、沖田さん? 」
呼びかけてみたが、沖田さんは反応しない。無心に爪を研ぎ続けている。わたしはごしごしと目をこすった。
「猫に戻ってるの? 何で? ずっと人だったのに……あれ? 今まで爪とぎなんてしたことあったかしら? 」
沖田さんは顔だけ振り向いて、にゃーんと鳴いた。わたしは手を伸ばし、抱き上げようとする。しかし、沖田さんはそれに気づくと急に爪研ぎを止めた。
するりとわたしを避け、ひとりでさっさとリビングの方へ行ってしまう。わたしになど全く興味はない、と言わんばかりのその行動に、わたしはショックを受けた。
「本当に、どうしちゃったの? わたし、嫌われたの……? 猫だし。もう、わかんないよ」
昨晩ようやく思いが通じたはずだった。なのに、なぜ。疑問ばかり浮かぶが、何一つ解決しそうにない。
リビングに入った沖田さんはこちらを振り返り、にゃーと鳴いた。わたしはしばらく呆然としていたが、そこではっと我に返った。
そうだ、今日は平日だった。とりあえず朝食を摂る必要がある。仕事は待ってくれないのだから。
いつものように、2人分の朝食を作った。けれど、沖田さんはしっぽを立てて、わたしの足元に寄ってくるだけだ。一向に食べる気配がない。
「沖田さん、食べないの? 」
沖田さんは尚も足元にじゃれつく。仕方がないのでお皿を足元に置いた。すると、沖田さんは鼻をお皿に近づけ、においを確かめるようにしながら食べ始めた。
けれど、沖田さんは恐る恐る口に入れるものの、気に入らないのかすぐに食べるのを止めてしまった。
いつも最後の一かけまで綺麗に食べる沖田さんには珍しい行動だ。
もしかして、沖田さんはどこか悪いのだろうか。わたしはだんだん心配になってきた。
一方、沖田さんは食事に興味をなくしたようだ。食べかけのお皿を放ったまま部屋の中を歩き、ソファに飛び乗った。そして、ソファから窓際に飛び移り、ガリガリと窓ガラスをひっかく。
外に出たいのだろうか。けれど、こんな状態では出せない。それに、今出してしまったら沖田さんはこのまま返って来なくなるような気がした。
「沖田さん、ダメよ。わたし、今から出勤しないといけないし。ね? 」
沖田さんは、わたしをチラリとも見ようとしない。窓から降りて、次はソファのそばに置いてあった小さなバスケットの中に入ってしまった。中にはリモコンなどの小物も入っているのだが、邪魔にはならないのだろうか。
思えば沖田さんは、猫だった頃でもあまり猫らしくはなかった。けれど、今朝は本物の猫のような行動が目立つ。
何だか別人(別猫だろうか)が沖田さんの着ぐるみを着ているようにすら思える。
この猫は、沖田さんではない――漠然と、けれど確信にも似た直感がわたしに訴える。
では、沖田さんはどこへ行ってしまったのだろう。さっぱりわからないが、出勤の時間は刻々と迫っていた。
わたしは、とりあえず沖田さんとよく似たこの猫に首輪を付けて、慌てて出勤した。 何となく、この猫を見失ってはいけないような気がしたのだ。
その日もつつがなく仕事を終え、自宅に帰る。玄関を開けて中に入ると、沖田さんとよく似た今朝の黒猫が座って待っていた。
猫はあくびをし、立ち上がって伸びをする。もう一度座りなおして後ろ足で頭をひと掻きし、わたしに気づくと話しかけてきた。けれど、その声はやはり沖田さんのものではない。
「やあ、やっと帰って来た。待ちくたびれてたではないか」
猫はさも疲れたとでも言わんばかりに、大きく息を吐き出した。
「……あなた、だれ? 」
「ふむ。それもそうだな。吾輩は――」
「沖田さんはどこ? 」
この猫の正体なんてどうでもよかった。そんなことよりも、沖田さんが居なくなったことの方が余程重大だ。
「おい、聞ききたまえ。君から聞いたくせに」
猫は、さもおもしろくなさそうに口を尖らせて抗議する。
「そんなこと知らないわよ! なんで沖田さんが居ないの! 」
「まあまあ、少し落ち着きたまえ」
「落ち着けるわけないでしょう! 」
わたしは思わず大きな声を出してしまった。けれど、猫は少しも動じない。それどころか、すました顔で何事もなかったかのように振る舞う。
わたしは余計に腹が立った。
「彼は今、仕置き中だよ」
「……仕置きですって? 」
意外な言葉が飛び出した。あまりの唐突さに、事情が飲み込めない。わたしは思わず口を噤み、猫を見つめた。
「そうさなあ……よし、初めから教えるとしよう。吾輩と、沖田君とのことをね。しかし、ここじゃあなんだ。取り敢えず、居間へ行こうではないか」
猫はそう言うと、リビングに向かってさっさと歩き始めた。わたしの部屋なのに、我が物顔で歩く猫がどうにも腹立たしい。
すっかり食われてしまっているのが気に食わないが、今は黒猫が沖田さんの唯一の手掛かりだ。わたしは靴を脱いで部屋に入り、リビングで待つ猫を追った。
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