第6話 あなたはだあれ

「ふふふ。沖田さん、やっぱり猫だね」

「もう……だから、私は、猫じゃないんです……って、ああ、もう」


 わたしたちは木島が来た後、すぐに新しいマンションに引っ越した。

 今のところ、木島には居場所が知られていないようだ。わたしたちは平穏な日々を取り戻している。


 沖田さんは相変わらずの様子だ。日向ぼっこをしたり、近所を散歩したり、しゃべること以外はまるで本物の猫のような生活をしていた。

 そこで、わたしは猫じゃらしの玩具を買った。「自分は猫じゃない」と言い張る沖田さんだが、くねくね動く猫じゃらしへの衝動には抗えない。むしろしっかりとじゃれついている。

 沖田さんは猫じゃらしを追いかけて右往左往し、猫パンチを繰り出す。彼が言うには、どうしても体が勝手に動くらしい。


「やめてください。こ、これじゃまるで……猫……ごろごろごろ……」


 沖田さんは、遂に猫じゃらしを捕まえた。床に寝そべり、猫じゃらしをしっかり抱えて離さない。満足そうに喉まで鳴らしている。


「その割に、ごろごろ言ってるじゃないの」

「私の意思じゃありません。勝手に鳴るんです」

「まあまあ、いいじゃない。かわいいわよ」

「みのりさん……男にかわいいはないでしょう……」


 沖田さんはすっかりしょげてしまった。がっくり肩を落とし、耳もしっぽもぺたんこにしてちる。どうやらわたしは止めを刺してしまったようだ。武士にかわいいは禁句らしい。


「ごめんね、沖田さん。機嫌なおして。チョコレートタルト、一緒に食べようよ、ね? 」

「もう、食べ物で釣られると思っているんですか。全く」


 などと言いつつ、沖田さんは甘いものに目がない。結局いつも喜んで、猫には大きいと思われるサイズのお菓子を食後のデザートにペロリと平らげてしまうのだ。

 もともと甘党だったという沖田さんは、和菓子は勿論のこと、最近は洋菓子にも手を広げている。


「沖田さん、それ食べたらお風呂用意するね」

「はい、ありがとうございます」


 わたしが声をかけると、沖田さんは口元をチョコレートでいっぱいにしていた。既に機嫌は戻っいる。

 お風呂と言っても、沖田さんは猫だ。桶にお湯を張って行水するくらいである。わたしがシャンプーをしてあげる事もあるけれど、彼がひどく恥ずかしがるのであまり頻繁にはしない。

 けれど、今日はタルトのせいで、沖田さんの体はあちこちチョコレートだらけだ。久しぶりだったこともあり、わたしは彼を丸洗いする事にした。


 沖田さんは抵抗したが何とか洗い上げ、ようやく彼の身体を乾かす。沖田さんはドライヤーが好きらしい。暖かさが心地良いようで、今回もすぐに眠ってしまった。

 洗う時に沖田さんが嫌がって暴れたので、首輪を外せなかった。首輪も少し汚れているし、まだ濡れている。わたしは沖田さんから首輪を外して洗い、一晩干しておくことにした。


 わたしもお風呂を済ませて床についた。沖田さんがしゃべるようになる前は一緒に寝ていた。だが、その後彼が話し始めてからは、彼が「気を使うから」と言い、別々に寝るようになっていた。

 けれど、この間のストーカー事件から、わたしが一方的に沖田さんを抱いて眠っている。暖かさが心地よく、安心して眠れるのだ。子供のおしゃぶりのようなものかもしれないけれど、そこにいてくれるだけでほっとする。

 沖田さんはそわそわして落ち着かないようだったけれど、それでも大人しく黙って毎夜抱かれてくれていた。

 その日もわたしは沖田さんを抱いて、ぐっすり眠った。



 うっすら開けた目に、明るい光を感じる。朝になったのだろうと、わたしはまだ重い瞼をまともに開くことなくまた閉じた。そのまま枕元の時計を取ろうと、身体をよじって手を伸ばす予定だった。けれど、何故かそれができない。身体が動かない上に、重い。

 そういえば、何かに挟まれているような気もする。枕元に何か変な物でも置いていただろうかと考えていると、今度はわたしの直ぐ後ろですーすーと寝息のような音が聞こえた。更に、何やらムニャムニャ言っている。

 考えてみれば、夜中にも何度か目が覚めた。重いと思いながらまた寝ていたのだが、これはおかしい。わたしは恐る恐る目を開けた。


 目の前に、わたしの物ではない長い黒髪が見えた。そして逞しい腕が、何故かわたしを後ろからがっちり捕えている。恐らくこの腕は男性だ。そこまで理解したわたしは、一気に目が覚めた。


「きゃー! 何! 何なの! あなた誰よ! どうしてここにいるのよ! 離して! 」


 男も目を覚ました。取り乱し暴れるわたしを見て、はっとしたように彼も勢いよく起き上がった。


「どうしました、みのりさん。まさか、またあの男ですか! どこです、どこにいましたか! 」

「え? あ、き、きゃー! 」


 男は裸だった。わたしはさらに驚いた。けれど、声には聞き覚えがある。わたしは、同じベッドで寝ていた男をじっと見つめた。

 黒い髪は背中に届くほどあり、体つきは細身だが筋肉質でがっしりしている。精悍な顔付きは不細工ではないが、かといって特別男前でもない。けれど、涼しげな目元は優しく、印象的だ。


「みのりさん? どうしたんです。私の顔に、何かついていますか? 」

「……もしかして、沖田さんなの……? 」

「そうですが……ん? 」


 やはりこの男は沖田さんだった。

 自分が人間の姿をしていることに気付いていなかった沖田さんは、自分の手のひらを眺めて驚いている。そしてそのすぐ後、素っ裸であることにもさらに遅れて気が付いた。


「……あ、すす、すみません」


 沖田さんは大慌てで彼の側にあったタオルケットで身体を隠した。顔どころか、耳や首まで真っ赤にしている。


「お、沖田さん。どうしちゃったの? 猫じゃ、なくなってる……」

「私にも何がなんだか……でも、確かに私の身体です」

「息、苦しくない? 咳は? 」


 元の身体に戻ったのなら、先ず気になるのは結核のことだった。なんせ、そのために一度死んでいるのだから。


「いいえ。何ともありません。労咳ろうがいにかかる前のように、すごく体が楽です。ああ、これはいいや」

「本当? 良かったわ。何だかよくわからないけれど、とりあえず良かったのよね」

「ああ、嬉しいなあ。もう猫はこりごりです」


 沖田さんから満面の笑みがこぼれた。嬉しくて仕方ないらしい。抑えても抑えきれない程、笑みがこみ上げてくる。


「わたしに遊ばれるものね」

「はは、そうですね。もう猫じゃらしも怖くない」


 とりあえず、わたしは沖田さんの服を買いに行くことにした。いつまでも裸のままではお互いに落ち着かない。

 それから、一応病院にも連れて行った方が良いかもしれない。沖田さんの身体の中で結核が今どうなっているかはわからないけれど、予防や治療が出来るのならそれに越したことはないだろう。


 それにしても、本当に不思議な事ばかりが起こる。沖田さんが人間に戻ったのなら、次はどうなるのだろう。

 沖田さんは幕末に戻りたいのだろうか。もう一度、新撰組のために戦うのだろうか。

 元の時代に戻る方法なんて見当もつかない。けれど、もしもこのまま別れてしまうとしたらあまりに寂しい。わたしは考えたくなかった。

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