第5話 招かれざる客

 今日は休日だ。朝から溜まった洗濯物と格闘し、掃除に勤しみ、昼食の準備までを一気に済ませた。

 一通りの家事を終えて一息つこうとした時、わたしは沖田さんがいない事に気が付いた。


「沖田さーん? どこー? そろそろお昼にしましょう? 」


 家の中を探すが、沖田さんは見つからない。

 ひょっとすると外に出たのかもしれない。うっかり喋って変な人に目を付けられたら大変だ。そんな事になったら、猫の身で無事に帰れるかどうか分からない。わたしは俄かに恐ろしくなった。


 悶々と悪い想像を膨らませていると、外から子供達が遊ぶ声が聞こえた。キャッキャと笑い声が聞こえ、随分賑やかだ。わたしが窓から見下ろすと、沖田さんが近所の子供たちと遊んでいるのが見えた。

 沖田さんを迎えに外へ出る。階段を降りていると彼はすぐにわたしに気付き、こちらへ歩いて来た。


「沖田さん、ここにいたのね。そろそろお昼、食べようよ」

「もうそんな時間ですか。ありがとうございます、みのりさん」


 沖田さんは子供たちに大人気だった。いざ帰るとなると「また遊んでも良いか」「名前はなんだ」などと、しきりにせがまれた。

 部屋に帰ろうとした時、何となく視線を感じたような気がした。けれど、振り返って探しても、それらしい人影は見あたらない。気のせいだろうと思い直し、マンションの階段を登った。


 部屋に戻ると、沖田さんはほっと息をついた。うんと伸びをして、手足と背中をしっかり伸ばしていく。そしてしっぽも伸ばして頭を幾度か振り、その場に腰掛けた。


「沖田さん、大丈夫? 疲れてない? 」

「平気ですよ。屯所にいた頃はよく近所の子供達と遊んでいたんです。懐かしいなあ」


 沖田さんは遠い目をする。随分と上機嫌だ。けれど、不便さもあるらしい。


「けれど、猫のふりは難しい。うっかり喋ってしまいそうで、堪えるのに苦労しました」


 そう言って、沖田さんは苦笑いをする。


「子供、好きなの? 」

「ええ、好きですよ。どうせ遊ぶなら、芸妓げいぎよりも子供達と遊んだ方がずっと楽しい。隊士の皆には、そのことでよくからかわれていましたけれど」


 沖田さんはおどけた顔をして見せた。同僚達との遣り取りでも思い出しているのだろう。その表情はとても楽しそうだ。


「芸妓って、お座敷遊び? よく行ってたの? 」

「付き合い程度ですよ。時々、島原で隊の宴会があったんです。隊士達もよく女郎を買っていましたし、馴染みの女郎がいる者も多かった」

「……ふうん」


 わたしは、目をすっと逸らした。沖田さんの方を見ずに、適当に返事をする。

 昔と現代では感覚が違うのかもしれない。けれど、わたしは島原や女郎という言葉にあまり良い印象は持っていない。

 島原は体よりも芸を売ることがメインだったそうだ。けれど、要はそういう場所である。それに、売られてきた女の子たちの事を考えると、全く良い気がしない。

 昨今の事情はだいぶ変わっているだろうが、女の身であまり行きたいところではない。わたしは不愉快だった。


「どうしたんです、みのりさん。私、何かしましたか? 」

「いいえ、別に。沖田さんが何処で何をしようと勝手ですから」


 わたしはぷい、と沖田さんから顔を背けた。彼は少し焦った様子で弁解する。


「みのりさん、何か誤解しているでしょう。私は女郎が苦手なんです。酒は飲みましたが、女郎を買ったことはありませんよ」

「へーえ。そうですか」

「これには理由が……みのりさんてば」


 わたし達は、もちろんやきもちを妬くほどの間柄でもない。だが、それでもわたしは面白くなかった。

 一方、沖田さんはおろおろして、必死でわたしをなだめようとしている。もしも彼が人間だったら、眉を八の字にして困り切った顔をしていたことだろう。けれど、わたしはもうこれ以上この話は聞きたくなかった。


 そんな時、玄関のチャイムが鳴った。わたしが返事をして玄関へ向かうと、沖田さんも後ろからついて来る。

 扉を開けると、そこには思わぬ人物が立っていた。わたしは凍りついたように思考が止まり、言葉を失う。


「探したよ、みのり。やっと見つけた」


 玄関に立っていた男はニヤリと笑った。



その男は高校時代の同級生で、名前を木島 太一といった。1年生の時に同じクラスになった。

 ある時、ふと木島と目が合ったので、微笑んでおいた事があった。他意はなく、ただそれだけだった。しかしそれ以来、わたしは彼に妙なほど気に入られてしまう。以降、対処は困難を極めた。

 2年生に上ると木島とクラスが離れた。

 けれど、ほっとしたのもつかの間だった。しつこく言い寄られたり、付きまとわれたりするようになった。次第に自宅にまで現れるようになったので、警察にも相談していた。


 木島は所謂ストーカーである。そのため、わたしは高校卒業後に家族と共に引っ越しを余儀なくされた。


 引っ越し功を奏したのか、その後音沙汰はなかった。お陰で、大学時代は至極平穏に暮らしていた。彼も少し遠くへ進学したと聞いていたし、もう終わった事だと思っていたのだ。


 我に返ったわたしは、直ぐに扉を閉めようとした。けれど、上手くいかない。わたしは早く追い返したいのに、木島は扉を力一杯こじ開けようとしている。

 わたしはドアノブを必死に引っ張るが、それ以上の力で引き戻される。幸い玄関チェーンをかけてあったので扉は殆ど開かずに済んだが、扉を閉めることが出来ない。

 扉に当たったチェーンがガチャガチャと大きな音を立て、辺りに鳴り響いている。


「おい! 開けろ! 何で逃げたんだよ! どれだけ探したと思っているんだ! 」


 木島は逆上し、玄関先で暴れ始めた。このままでは扉が壊れるのではないかと思うほど、扉に殴る蹴るを繰り返している。彼は大声で怒鳴り散らし、嵐のように荒れ狂っていた。


 どうしてここがわかったのだろう。また付きまとわれるのだろうか。いろいろな考えや恐怖が、わたしの思考を支配する。

木島の暴挙に為す術もなく、わたしは茫然とその場に立ち尽くしていた。その時、わたしの後ろから黒いものがさっと飛び出した。沖田さんだ。


 沖田さんは玄関の少し開いた隙間から木島の顔に飛びつき、その黒い身体ですっぽりと覆ってしまった。木島は突然視界を奪われたことに驚き、バランスを崩して尻餅をつく。その隙に沖田さんは素早く部屋に戻り、わたしは玄関を閉めた。

 しっかりと鍵をかける。これでこの場はしのげたが、木島はますます怒ってしまった。ずっと玄関先で怒鳴り散らしている。


 警察へ通報しなければ、とは思う。けれど、扉を占めることが出来た安堵感からか、身体が震えて動かない。わたしは廊下にへたり込み、とうとう立ち上がることが出来なくなってしまった。

 室内には、ドンドンと木島が扉を叩く音が響く。恐ろしくて仕方がない。どうして、どうして。そればかりが頭の中をぐるぐる回っていた。


 沖田さんは玄関先でじっと外の様子を伺っていたが、わたしが座り込んでいることに気付くとこちらに来てくれた。彼はわたしの足から這い上がり、わたしの頬を舐める。その時、わたしは初めて自分が泣いている事に気づいた。


 沖田さんは何も聞かずにいてくれた。黙ったまま、わたしを慰めるように涙を舐め、拭ってくれる。

 わたしは沖田さんに手を伸ばし、ぎゅっと抱きしめた。沖田さんは暖かい。その暖かさが、今はひどく心に沁みた。

 また、逃げなければならない。わたしは直ぐに引っ越しを決めた。

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