第4話 文明開化

「あ゛ー。あ゛ー。はは、おもしろいな」

 

 猫のムサシに――いや、沖田さんだった。わたしは彼からの質問責めに遭っていた。新撰組の事から始まり、武士や幕府、この時代の事など、彼はいろいろな事を気にしていた。

 沖田さんが生きていた時代とのギャップを埋めるには、説明すべき事がたくさんある。この数日をかけて話しているが、特に現代の事は理解しきれていない様子だ。

 けれど新撰組の末路や武士の消滅、時代の移り変わりを、沖田さんは冷静に受け止めている。


 沖田さんは150年程先の未来に居ることも、なんとなく覚悟はしていたらしい。部屋の中にある物は彼にとって不思議なものばかりで、わからないなりにも違う世界に居るのだと思ったそうだ。

 テレビもエアコンも電灯も掃除機も、当然沖田さんが生きていた時代にはなかった。便利な世の中になったと驚き、しきりに感心している。

 中でも、沖田さんの一番のお気に入りは扇風機だ。声が変わるのが面白いらしい。暇さえあればその目の前に陣取って、ご機嫌で遊んでいた。


「聞いて下さい、みのりさん。こんなダミ声、私じゃないみたいだ」

 

 沖田さんはあまりに無邪気で純粋だった。かつて人を斬りまくり、鬼神などと呼ばれて恐れられていたという。けれど、彼の様子からはどうもピンと来ない。

 その沖田さんは、扇風機の前でうんと伸びをしている。爪先から尻尾の先まで伸ばしきり、何とも気持ち良さそうな表情だ。死ぬことも厭わずに剣を振るって生きたというあの沖田総司を、この姿から誰が想像できるだろう。


 文明の利器に感心しきりの沖田さんだが、彼にはどうにも馴染めないこともある。例えばわたしの恰好もそのひとつだ。

 わたしは髪をポニーテールにし、部屋着としてTシャツと短パンを着ている。真夏で暑いのだからこれに限るのだけれど、彼の目は非常に厳しい。


「以前から思っていましたが、みのりさん。なんて格好をしているんです。腕も足も丸出しじゃありませんか! 」

「何で? このくらい普通じゃない」

「普通なもんですか。商売女でもそんなに出していない。髪型だって男のようだ。はしたない」


 沖田さんは「目のやり場に困るんです」と言い、こちらをあまり見ないようにして話している。口調は怒っている風だが、その実あたふたしているようにも見えた。けれど、クスっと笑おうものならまた怒られる。

 沖田さん曰わく、当時の女性は素足を晒すなどとんでもないことだったそうだ。脛を見せることすら恥だという。それを考えると、短パンなどというこの格好は幕末男子には少々刺激が強いのかもしれない。


「みんな、とは言わないけれど、現代はこんなものよ。なんなら外に出てみる? 」

「いいですね、行きましょう。そういえば、もうずっと外に出ていない」


 沖田さんは嬉々として立ち上がった。早く行きたいと言わんばかりだ。


「決まりね。ところで沖田さん、外で喋っちゃダメよ」

「何故です。いいじゃありませんか」


 沖田さんは首を傾げ、尻尾を横に振る。


「良くないわよ。あなたの時代にも喋る猫なんていなかったでしょう? 」

「いませんよ」

「もし、おおやけにでもなったら大騒ぎになるわ。剥製にされたって知らないわよ」

「はくせいとは、何です」


 剥製とは、死んだ動物を薬剤を使って、ありのままの姿で保管する方法のことだ。明治時代に考案されたので、彼が知らなくても無理はない。そう説明すると、彼はさあっと青ざめて黙ってしまった。


「……他の人にわからないようになら、少しくらい喋ってもいいわ。でも、気を付けてね」

「わかりました。何だか、今なら長州人の気持ちがわかる気がしますよ……」


 沖田さんは物憂げな顔をして、ぽつりと呟いた。


「え? 何? 聞こえなかったの」

「いいえ、なんでも」


 沖田さんはいつもの笑顔で、小さな頭をフルフルと横に振った。



 外に出て、近所をぶらぶら散歩することにした。

 特にあてもなく歩き始めるが、沖田さんには見るもの全てが驚きと新鮮さで溢れているら。丸い目をますます丸くしてキョロキョロしている。

 コンクリートに覆われた道路。大きなマンション。細長い鉄塔。立ち並ぶ家々も、昨今は日本家屋の方が珍しい。

 どこへ行っても車が走り、信号機が光っている。電車が近くを通った時は、沖田さんは毛を逆立てて飛び退いた。


 どれもこれも、沖田さんが想像していた景色ではなかった。先程も自転車に迂闊に近付き、危うく轢かれそうになっていた。


「ふう、危ない所でした。あんな物がそこら中にうろうろしているなんて」

「自転車っていうの。歩くよりも早く、遠くまで行けて便利よ」


 へえ、と沖田さんは先ほど轢かれそうになったばかりの自転車の後ろ姿を見つめた。


「それにしても……どの人も夷人いじんのような着物を着ている。それに、あの人も、あの人も、まげがない。……刀も」


 沖田さんがいくら探しても、この辺りでは刀どころか和装の人すら皆無だった。

 そこへ、すっかり落ち込んだ様子の沖田さんの前方に女の人が通りかかった。沖田さんの耳がぴくりと動き、その人を目で追っている。


「あの女人もひどい格好だ。髪も結わずにみっともない」


 その女性はミニスカートに素足でサンダルを履き、ストレートの長い髪を下ろしていた。

 素足もそうだが、髪を結っていない女は遊びなのだそうだ。つまり「ふしだらの代表のような格好」ということらしい。


「そういう時代なのよ。もちろん着物も素敵だけど、普段着には不便だもの。感覚も変わっているのよ」


 沖田さんは少し寂しそうに俯いて、押し黙ってしまった。

 時代を超えた事、武士の世が終わった事、沖田さんの現状。あらゆる事への実感と喪失感に、彼は耐えているのだろう。

 わたしは沖田さんを抱き上げ、背中を撫でる。何もしてあげられないけれど、それでも彼を励ましたいと思った。

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