第3話 猫の魂

 猫が喋った。

 それだけでも信じられないのに、元々は人間だったとまで言った。事も無げに、ムサシはゆっくりと床を掃くように尻尾を降っている。


「元って……それはどういう意味? 」

「私、確かに死んだはずなんです。でも、何でだろうなあ。気がついたらこの部屋に居ました。しかも、猫になっていた。あの、雨の日です」

「あの日……あの大雨の日ね? 」


 わたしは猫が現れた夜を思い出す。どこから入ってきたのかと首を捻ったものだ。


「ええ、そうです。あなたの言葉は分かるのに、私の言葉は全て鳴き声になってしまう。もどかしいったらなかった。何故だかわかりませんが、これでようやく話ができます」


 わたしと同じ物を食べたがったり、食べ方が下手だったり。けれど、そのくせ牛や豚は絶対食べない。お風呂は一人で入りたがる。今でも一緒に入った事はないけれど、わたしが服を脱ごうとしたら大慌てで逃げて行く。

 猫にしては変わっていると思っていた。とは言え、人間だったと言われてもやっぱり信じ難い。


 それよりも、わたしははたと気がついた。驚き過ぎて聞き流してしまったが、彼は日本人なら誰もが知るであろう名前を名乗っていた。


「ねえ、ムサシ、さっき、沖田総司って言った? 」

「言いましたよ。何度も言いますが、私はムサシじゃありません」


 ムサシは、ややムッとした声色で否定する。


「あ、あの、聞いてもいいかしら。死んだっていうのは、どうして? まだ若かったのよね? 」

労咳ろうがいですよ。私は二十四でした」


 労咳とは、現代でいう肺結核のことだ。今は有効な治療薬があり、治療法も予防法も確立されている。たまにこじらせて亡くなる人もいるが、きちんと治療すれば現代では治る病気だ。

 しかし、それもこの数十年程のことである。それまでの長い間、結核は不治の病として恐れられてきた。

 結核で亡くなった沖田総司といえば、わたしは一人しか知らない。


「まさか、あの新選組の、沖田総司さん……? 」

「ええ、そうですよ。凄いなあ。『あの』ということは、そんなに有名になっているんでしょう? 私たち」


 沖田さんは笑った。けれど一瞬だけ、切ない目をしたようにも見えた。泣き笑いのような、なんとも複雑な表情だった。


「日本人なら殆どの人が知ってると思うわ」

「そうなんですか。それはすごい」


 沖田さんは飄々ひょうひょうと、まるで他人ごとのように話す。終始ニコニコしていて、なんだか拍子抜けてしまった。

 猫の表情などよくわからないが、きっと笑っているのだろう。わたしはそう感じた。


「それはそうと、そろそろ私にもあなたの名前を教えて下さいませんか」


 それもそうだ。あまりの驚きで、すっかり忘れていた。


「え? ああ、そうね。福岡みのりです。質問責めにしてごめんなさい」

「いいえ、構いませんよ。私だって驚いているんですから」

「本当にびっくりよ。ねえ、何で猫になっちゃったの? 」


 相変わらず、沖田さんはにこにこしている。穏やかな口調で、話し方も丁寧だ。わたしは少なからず、彼に好感を持った。


「さあ、どうしてでしょうね。私、死ぬ少し前に黒猫を斬ろうとして失敗したんです。もしかしたら、あの時の猫に化かされているのかもしれませんね」

「猫の恨みは深いって言うものね。なのに斬ろうとしたなんて」

「自分の体力を試したかったんです。でも、駄目でした。三度も現れたのに、遂に斬ることができなかった」


 沖田さんはその黒猫を捕まえる事すら適わず、体力の衰えを痛感したそうだ。

 当時の平均寿命は現代に比べて幾分短かかったはずだが、さすがにまだ若い。さぞ悔しかった事だろう。

 わたしは何も言えなかった。当の本人は陽気に振る舞うので、尚更悲しくなってくる。


「参ったなあ。でも、仕方ないか。これでも生きているようですし。最近は少し慣れてきたところなんです。身体が軽くて動きやすい。死んだと思えば、マシかもしれませんね」


 慣れればなかなか便利なんですよ、と沖田さんはまた笑った。


*沖田総司の没年齢については諸説ありますが、本作では24歳としています。

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