∟[ そして『フサギ』の手を…… ]

「『私の運命が終わってる』? アナタが終わらせてくれるのー? どうやって終わらせてくれるのかなー? 教えてくれなーい?」


 優位性を完全に理解しているアキラは余裕の表情だった。ここから逆転するなんてありえない。そう言いたげだった。


「………俺は、俺たちはなにもしない」


 フサギの手を握りこんで、フサギはなにもしなくていい、と伝える。そして「だって、そんなことする必要ないから」と付け加えた。


「はぁ? なにか楽しいことしてくれると思ったのに、ただの虚仮おどし? もっと楽しいことやってみせなさいよー」

「俺が終わらせるわけじゃない。『もうすでに終わってる』って言ったんだ。俺ができるのはそれを教えることだけだ」


 煽るように嘲笑を浮かべるアキラに対して、俺はまったく動く気はなかった。

 その気配を感じ取ったのか、アキラは落胆のため息を吐いた。


「……つまんない。アナタつまらないわ。幸運は努力の上で成り立つもの。放棄した者に幸運は掴めない! ……今からコレで教えたげる」


 ポケットから手のひらサイズの香水の小瓶を取りだした。中身にはケイカのDNAが含まれているだろう。

 香水の噴射口がこちらへ向く。

 アキラの言うとおり、逆転なんてできない。アキラにはもうどんな言葉も届かないと思ってた。けど、ひとつだけ、すべてを覆せる言葉がある。


「お前は絶対に幸せになれない……すべてが遅いんだよ。だって……」


 から。


「…………は?」


 それを聞いた瞬間、アキラのすべてが静止した。


 ユーキさん宅を取材していたアキラが『化けて出てきた』と言った。なら、ユーキさん宅からは身元不明の焼死体が出てきたはずだ。

 ユーキさんが不在だったあの日、出入りできたのはケイカくらいしか考えられない。現在のユーキさんは昔の職場に頼らないといけないほど交友関係が希薄だ。合鍵を持っているほど親しい人物となると、ほかのだれかが出入りしてたとは考えにくい。

 彼は自首をしていたはずだが、証拠不十分だったとも聞いている。罪に問われず釈放された彼はもう一度ユーキさんと会おうとしたんじゃないだろうか。今度こそ自分がしでかしたはずの罪を告白しに。


 もちろん、ユーキさん宅が全焼するのを見て早とちりした可能性はある。しかし、その答えを知っている人物が目の前にいる。もし死体が出てきたのなら――。


「―――。もう絶対に幸せになれない。ってことだ!」


「……………………あ、ああ? あああああああ!??」


 炎の中で悲鳴が虚しく響く。推理が的中した瞬間だった。


「そんなそんなそんな! そんなこと有り得ない! だって……だって運命は私の思う方向に動いてた! どこで? あともうすこしだった! もうすこし、もうすこひで、なんで? 私わ……あああああああああ!!!!」


 言葉も顔もぐちゃぐちゃだった。

 どんなに嘆いてもなにもかも手遅れだ。もはやすべてに意味がない………だから、もうこんなことはやめっ……!


「あ、あは……あははははははハハハはははハハはは!」


 渇いた笑いがこぼれだす。感情の臨界点を超えたのか、その瞳がなにを映しているのか、よく分からない。プシュッ、プシュッ……と、手に持っている香水が噴射している。どこかへ狙っているのではなく、気付いたら落ち着かない指が押していたという感じだった。

 香水が火中を霧散するたびに、俺たちは後ろへ下がる。狂気に巻きこまれないように。


「あ、ケイカ……♡」


 なにを思ったのか、またなにが見えたのか。アキラは香水を口に当てた。


 プシュッ、プシュッ!


 その光景は言い表せられない。理解できるとも思えなかった。


「…………ケイカと触れ合っちゃった、あはっ♡」


 それは狂気の表情にも少女の表情にも見えた。

 次の瞬間には文字通り、口から火を噴く。ぶちっぶちっ……! と細胞が内側から沸騰していく。全身どころか勢いよく周囲にまで燃え広がる。


「あ゙……ああ゙っ……!」


 火だるまと化したソレは手を伸ばしてくる。それは報復行為だったのか、それとも救いを求めたのか。ただ分かるのは、その光景はひとつの恋の結末だった。


 慌ててドアを閉じる。向こう側から熱気に煽られて、こっちにはもう退路がないと理解できた。素直に引き下がってくれれば話が早かったが………しかたない、昇ろう


 いろんな感情を押しこんで、フサギを連れて二階へと上がる。しかし、すでに火の手が廻っていた。こっちも無理だ。さらに上へ、最上階である三階へ進む。


 ………?

 先ほどからフサギの反応が薄い。返事がなければ、自分から動こうともしてない気がした。


 ………とにかく今は助かることが先決だ


 三階は黒煙が立ちこめていたが、火はまだ侵攻してなかった。排煙機能に問題があったと聞いていたが、一度激しく燃えたせいか皮肉なことに床と天井にはところどころができていた。


 身を屈みながら歩きはじめる。

 廊下の曲がり角が見えた。外観からはたしか向こう側に窓があったはずだった。


「ねぇ、あれって……」


 廊下の曲がり角を向けたところで、フサギは指をさす。煙で視界が霞むが、床に人が倒れていた。見覚えのある看護服、ユーキさんだった。


 炎上に伴ってユーキさんも上の階へ逃げてきたのだろう。倒れているのは体力が尽きたか、それとも……。


 火事での死因の九割は煙である。一酸化炭素中毒や有毒ガスが原因で死亡、または意識不明ののちに焼死してしまうのだ。


 すぐさま駆け寄ろうとする。

 その瞬間、視線が下がった――というより、落ちた。なにが起こったのか一瞬分からなかった。爛れた足場が崩れ落ちたのだと気付いたのは、フサギが穴に落ちたあとだった。




  …。




 目算、直径2m弱。

 そこからは灼熱の炎が覗いていた。一度落ちたら戻ってこれない。地獄の釜のような穴が開けていた。


 ………ッ!


 肩から腕に、腕から手へ血の筋が落ちていく。そして、その先にあるフサギの手へ雫となって流れていった。


 最初から手を握っていたのが幸いだった。ギリギリまで穴に身を乗りだして今にも落ちそうだが、フサギの手は握れている。剥きだしになった建材に足を引っ掛けてなんとか持っている状態だ。


「……んっ」


 フサギが目を覚ます。落ちたときの衝撃で一瞬意識が飛んでいたようだ。


 自分の状況に驚いたフサギに静止の言葉を投げかけた。今動かれると支えが利かなくなる。


 ………ちゃんと手を握ってくれ


 力がこもってない手は、ほつれかけた糸のように今にも千切れてしまいそうだった。

 周りの状況を一通り確認したあと、フサギの顔が俯く。


「……ねぇ、わがまま、言っていい?」


 ぽつりっ……と、フサギは呟いた。

 どんな願い事かは知らないが、聞いてる暇はない。今はこの手がいつまで持つか分からない………だから、早く……!


「手を、離して」


 静かに、でもたしかにフサギはそう言った。


 コースケの体勢は無理をしている。人一人分を持ち上げられる恰好じゃない。そのことをフサギは分かっているのだ。


 このままじゃ二人とも落ちてしまう。なら、一人を犠牲にしてでももう一人を助けたほうが建設的。その理屈はわかる。けど、逃走経路である窓への道のりは目前だ。ここで諦められるわけがない。


 ………早くしろ、フサギ


 炎は早く落ちてこないかと亡者の手のように悲鳴を上げながら手繰っていた。


「そもそもこの命は……あのとき終わるべきだった。家族といっしょに」


 それは語りかけるというより独り言だった。


「生きる理由なんて、もうとっく無かった。必死にしがみついてたけど、そんな必要ないって気付いた。アンタが教えてくれたから」


 フサギは初めて顔を上げる。

 笑顔、だった。死なんて怖くないとでも言うかのように清々しく微笑んでいる。


「だから、これは私のわがまま。手を離して、それから……フサギのこと、忘れて」


 まっすぐな瞳で見つめてくる。フサギの表情は覚悟が決まっていた。


「………浮気じゃないかもしれない」

「え?」

「フサギの家族のことをちょっと考えてみたんだ。不思議に思うところがあってな」


 本当に浮気してたなら家が炎上した時点で、フサギの母はすでに人体発火で死んでいたはずだ。しかし、共有した記憶の中では、柱の下敷きにはなっていたが、たしかに生きていた。

 さらに、崩壊したフサギの家庭は投げつけられた花瓶やティーポットがよく転がっていた記憶がある。きっと火種の原因はそれだ。ケイカが頻繁に出入りしていたならそれだけで火事の条件は満たしている。


「そんなこと、今更どうでもいいよ……早く手を……!」

「………帰ったら調べよう、フサギ」

「…………!」


 身体的接触が限りなく少なかったと状況証拠が物語っているが、ケイカが何のために出入りしてたかは分からない。だから、今回のように、いっしょに調べていこうって提案する。

 だって、理由なんてなんでもいい。だれかに生きていてほしいと思うのに必要性なんて要らないから。


 フサギは口を噤んだ。なにかを言いたいが、言葉に出来ない。そんな感じだった。


「なにもないなら、なにもないから、新しいものを探しに――」


『手を離しちゃおう?』


 突然、耳元でだれかがささやいた。


『腕がつらい。離したいよ』


『離してもだれも責めないよ』


『もう疲れたよぉ』


 それは紛れもなく自分コースケの声だった。手の力を奪おうとしてくる。


 ………違う。俺の気持ちじゃない。これは……!


 俯くフサギを見つめる。これはフサギの言葉だ。手を放してほしいフサギが『共有』で誤認させているんだ。


 ………こんなのに負けて、たまるか!


 絶対に放さない。『共有』はまだ暴走しているはずだ。きっとこっちの感情もフサギに伝わってる。今この瞬間だけは、もはや意地のぶつかり合いだ。


『コースケはなにを利用しても生きなきゃ』


 ………っ!


 ありし日の約束が脳裏に蘇る。マコトの声だった。


『私との約束、忘れたの?』


『私のことなんて、どうでもいいの?』


『ねぇ。生きて、生きて、生きて』


『フサギの手じゃなくて、私の手をつかんで』


『世界を、私を救ってよ』


 マコトの声が体に侵蝕してくる。言葉が腕に刺さる。手の力を奪っていく。


 ………救う。救うさ。どんなに険しい道でも、何度やり直すことになったとしても、救ってみせる。けど、だからこそ――


「………フサギ、見せたい景色があるんだ」


 俺は言葉を落とす。


「俺には見たい景色があるんだ。運命を乗り越えた先にある世界ケシキだ。そこではバカやったり笑ったり泣いたり怒ったり、いろんな感情があふれてて、いろんな人がいて、そんな未来ケシキを見たくて…………そこにはお前もいるんだ」


 これは『俺』のわがまま。たったそれだけだ。けど、すでにそれ以上も以下もないだろう。


「―――だから、手を強く握れ! フサギ!」


『私はそこにいていいのかなぁ……』


 ………!

 今度はフサギの声がささやいてくる。けど、どこか幼い雰囲気で初めて聞く声色だった。


『本当に家族になれるのかなぁ、私は家族になっていいのかなぁ……!』


 今にも泣きだしそうな声で一人で部屋の隅で足を抱えている。いつかのフサギ、そして今のフサギ自身だった。


 ………馬鹿を言え


 心の一番奥で恐れていた。『家族』になれないんじゃないかって。本当はだれよりも家族になりたいくせに、いや、だれよりもなりたいからこそ、『家族』を恐れていた。フサギも俺も。

 けれど。


 ………俺は、一度だって


 家族になりたくないなんて思ったことなくて


 本当は、ずっとずっと前から


 お前が思っているずっと前から


 それこそ生まれてくる前からずっと


 そう、ずっと、思ってたんだ


 もし本当の兄妹になれたならって


 もしかしたら、俺たちは最初から―――


「帰ろう、俺たちの家へ」


 いっしょに、家へ帰ろう。そして、もう一度やりなおそう。失ったモノの代わりとしてじゃなくて、新しくスタートをするために。もう一度『家族』になろう。今度こそ『本当の家族』に。


 家で待ってる。

 お父さんとお母さんも。

 フサギも、俺も、お前も。

 ずっと待ち望んでたんだから。


 だから、きっと――。


 俺はもう一度強く握りしめる。


「本当に、いいの?」


 フサギの声――まぎれもなく目の前の彼女のものだった。


「わがままだし不仲だし痛みで殴りあうし、シャドウボクシングで威嚇したり、食卓に血を入れたりするよ? それでも、家族って呼んでくれるの?」


 そんなこと、今更分かりきった質問だった。


「―――ああ、もちろん。倍にして返してやるさ」


 俺が笑うと、フサギも笑って、強く握りかえした。


「アンタがいつまで家族でいられるか見届けてあげる。途中で諦めたりしたら、絶対、許さないから――」


「ふ、フサギちゃん!?」


 言葉の途中で大声に遮られる。ふと見やると穴の向こう岸でユーキさんが起き上がっていた。単純に体力が尽きていたようで、騒がしくて起きたところだった。


 ………ベニヤ板!


 ここぞとばかりに叫ぶ。

 たしか壁紙を貼りつけただけのベニヤ板があるはずだ。うまく剥がして穴の端に立てかけられれば足場として利用できる。

 ユーキさんはすぐさまその作業に取りかかった。耐久を考えて二枚重ねで、端にはユーキさんが重しとして固定すると、フサギの爪先がベニヤ板にギリギリで届いた。


「………フサギ、手を開くぞ」

「うん。大丈夫だよ」


 ゆっくり手を離すと、フサギは一歩ずつ踏みだした。しっかり踏みしめて、向こう岸にたどりつく。


 今度はベニヤ板で穴を塞ぐように橋を架ける。フサギが難なく渡れたなら、コースケも大丈夫だろう。


 向こう岸のベニヤ板を外した場所に窓が見える。怪我は免れないだろうが、この際だ。足の骨くらい一本や二本くれてやる覚悟はできている。


 三人で脱出――ここにいる全員がそう思った。たった一人を除いて。


 、と。

 突然、肉体に衝撃が走り、気がつくと宙を浮いていた。


 ベニヤ板が壊れた?

 足場を踏み外した?

 緊張が緩んで倒れた?


 さまざまな思考が一瞬にして脳裏に過ぎる。だが、どれも違かった。


 後ろからだれかに押された。非常口に入っていく黒いフードの後ろ姿――そのシルエットには見覚えがあった。


 ―――


 それに気付いたときはもうすでに遅かった。


 こちらへ手を伸ばすフサギが見える。世界はまるでスローモーションで、どんどんと遠く小さくなっていく。灼熱の穴へ落ちていく。


 ―――ああ、最後の最後にしくじっちまった


 炎の渦がコースケを呑みこむ。衝撃が体を貫いたが、痛みは不思議ともうなかった。ただ、熱量だけが肉体と意識を焼いていく。マグマのように煮立った熱量へと感覚が落ちていく。


 ………頑張ったんだけどな


 フサギの声が遠くで聞こえる。なにかを叫んでる。


 ………ごめんフサギ


 炎はすべてを灰に変えて、白色の終わりを唐突に告げる。その陽炎に思い出を描かせて。


 ………ごめんマコト


 焼却された物語は、もう一度白紙へ戻る。

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