∟[『フサギ』と涙の理由]

「帰りは遅くなるんだな……分かった。お母さんとフサギをよろしく頼む」


 コウノキに別れを告げて、ホテルの事務所に借りさせてもらった受話器をフッキングさせた。これで心置きなくもうひとつの用件に集中できる。

 財布から新しく小銭と名刺を取りだした。


『もしもし、まだなにか……あら、コースケくん?』


 電話に出たアキラさんはなぜか困惑していた。


『ええっと、あれ? ちょうどさっきまで違う人と電話してて、かけなおして……まぁ、どっちでもいいわ。今はちょっと立てこんでいるからまた連絡してもらっていい?』


 電話を切られそうになるのをひとつだけ質問して食い止める。ズバリ、ケイカという名前に聞き覚えがないか、だ。


『…………どこでその名前を?』


 ケイジョウ家周辺も取り調べなきゃいけなかったので遅かれ早かれだったとは思うが、偶然の産物すぎて聞き込み捜査の賜物だと自分の手柄のように言うのはすこしだけ気が引けた………その反応はすでに知ってると言っているようなものだけど


『ええ、もちろん知ってるわ。一度聞き込みもしたことがあるもの。彼はレディースクラブのNo.1ホストで、元々顔が広かったわけだけど、被害者のなかで三人ほど関係があってね』


 九件の被害のなかで三人、いやユーキさんを入れれば十件中四人だ。もちろん偶然じゃないだろう。


 ………その関係があった人の中には、もしかして


『ええ。フサギさんの母が、ね。火事は証拠品も焼けちゃうから周りの証言くらいしか残りづらいんだけど、彼女宅に関してはちゃんとした証拠があるわ。どうやら探偵に依頼してたみたい』


 ………依頼?


『浮気調査よ。夫が妻について怪しんでたようね。ケイカは夫がいない昼の時間帯にフサギさんの家を出入りしてたみたい』


 詳しい調査結果については聞かなかった。それがフサギの家庭になにをもたらしたのかはすでに知ってる。


『……どこで手に入れた情報かは知らないけど、彼を怪しんでるならハズレよ』


 アキラさんは耳打ちするように小声になる。


『彼の“発熱”はたしかに熱を持たせる個性能力スキン。放火にはうってつけに感じるけど、残念ながら発火点までは温度が上がらないのよ。少なくとも警察は犯行不可能と判断した』


 前提を覆す発言に驚かずにはいられなかった。


『……今、どこにいる? 口頭じゃ説明できない資料もあるから直接会いたいんだけど……なるほど、そういうこと。ナイスタイミングだよ、コースケくん。ちょうど火事現場の近くにいるわ』


 現在住所を告げると、アキラさんは今からそちらに行くと言ってくれた。ここは有難く厚意に乗っからせてもらおう。


『正直たかが中学生と見くびってたけど、その調査力には考えを改めざるをえないわ。最優先で向かわせてもらうわ。期待して待っててね』


 感謝を述べてから、受話器を固定電話に置く。これで止まりかけた話が進みそうだった。けど………どういうことだ?

 ケイカには容疑がかかっていた。限りなく状況証拠は揃っているが、決定打がない。その状況で自首をした?


 またボタンを掛け違えたような気持ち悪さに身が包まれる。決定的ななにかを見逃している。まだナニカがある、と本能がそう告げていた。逆に言えばあとも一歩で全貌が分かる、そんな気がしている。とりあえずアキラさんが来るまでは待ち状態だ。


 事務所から外に出る。

 今いる事務所からは一度外へ出なければホテルのフロントに行けない構造になっている。一つの建物のくせに内部から通路が繋がってないという面倒くさい作りだ。きっと考えなしに増改築を繰り返したのだろう。

 空はすでに夕方で、世界を紫色に染めていた。そこで待っているナース服の女性、ユーキさんに用事が終わった旨を告げる。


 ユーキさんは目を細めて、じーっとこちらを見詰めていた。そして、うーん? と首を傾げてくる………顔になにか付いているのだろうか?


「気のせいかなぁ。まぁいっか、大したことじゃないし。それにしても……」


 にへらっ、とユーキさんの顔が溶ける。


「何度見てもかわいいわねぇ! 少年メイド! かわいいかわいい! 食べちゃいたいくらい!」


 子供好きという生温かい言葉で表現しちゃいけない顔だった。

 この格好であまり出歩きたくないので、フロントに足を向ける。ふと上を見ると、ホテルの上半分が真っ黒だった。自分たちがさっきまでいた部屋が二階の角部屋で、そこから上はすべて焼き爛れていた。紫煙を燻らせたような夕空も相まって、街中にそびえ立つ吸殻タバコに見えた。前世で行ったときはもっと小綺麗な印象があったが、今は古ぼけてセピア色だった。


「こういう老店舗ホテルって窓とか少なくて密閉性が高いのよねぇ。報知器とか排煙設備とか現在の建築基準に満たしてないところもまだ結構あるみたい」


 ホテルに眇めていたのを見かねてか、ユーキさんは解説してくれた。具体的な建築基準は知らないが、ユーキさんの説明を照らし合わせて外観を見る分には多く窓が並んでいるように見える。


「それが事件当時はベニヤ板で塞がっていたらしいわ」


 言われてみると窓枠に焼け焦げた木板いたが見える………なんでそんなことをしていたのだろう?


「そのベニヤに壁紙を張って内装を演出していたって……きっと経営的な問題でしょうねぇ。実際に工事費用やその期間は営業もできなくなる。身勝手な話だけどね。窓の目の前で死んだ人たちもいるって報道されたわ。ベニヤ板一枚向こうにある窓に気付かずに、ね」


 説明を受けてからホテルを見直すと、また違った印象を受けた。

 だれかの欲を満たすための巨大な娯楽品。願望と欲望はいつも隣合わせだ。願望はあっさり欲にまみれ、欲望は簡単に願いだと形容される。欲望という燃料を詰めた娯楽品は、それはそれはよく燃えたのだろう。


 ………フサギの願いはどんな名前なのだろう。どんな色を咲かせて、どんな色で散ったのだろうか


 建物内に入りなおすと、ユーキさんはまた目を細めてこちらを見つめてくる。そして首をかしげて、おもむろに「うーん、やっぱり気になるぅ」と呟いた。


「ねぇ。さっきの名刺、見せてもらっちゃだめ?」


 他人の個人情報を渡すのは気が引けるが、この人なら悪用はされないだろうと名刺を取りだした。


「あー! やっぱり、アキちゃんだぁ!」


 名刺を見たユーキさんは少女のように晴れやかな顔になった。………もしかして知り合いなのか?


「知ってるもなにも中高生時代の親友だよぉ~。あ、もしかしてさっき話してくれた新聞記者って……やっぱり、そうなんだ」


 気分が高揚したのか、ユーキさんは饒舌に語りはじめた。


「彼女優しいでしょ? プレゼントを贈るのが趣味で、顔を合わせなくなった今でもいろんなものを贈ってくれるのぉ。あっ、さっきコースケくんが飲んだ生姜湯も彼女の贈り物なの! えへへぇ!」


 アキラさんに優しい印象はなかったのですこし意外だった。新聞記者としての顔と友人としての顔はまた違うのだろう。

 なんでもユーキさんが他人に小物を施すのも彼女の影響なのだという。『他人にしてもらって嬉しかったことは自分も行動すべし』。ユーキさんの座右の銘だそうだ。


「そっかそっかぁ。たしかにアキちゃんならこの事件にうってつけだね」


 うんうん、とユーキさんは一人で頷いているが、どういう意味か分からず訊きかえした。


「アキちゃんは『触った相手の個性能力が分かる』んだよー。新聞部部長だったときは『将来は私の個性能力と敏腕でどんな真実も暴いてみせる!』って豪語してたの。知らなかった?」


 そんな個性能力スキンを持っていたなんて初耳だ。その能力があるならたしかに天職きしゃになるべくしてなったと言っていい。前に『どんな真実も暴いてみせる』みたいなことも言ってた記憶があるけど………あれ?


 今の発言には自分の知っている情報と食い違いがあった。ユーキさんの情報が真実だとするなら、しないはずだ。


 訝しんでいると、ユーキさんの望郷の眼差しは感傷のため息に変わった。


「馬鹿なこともいっぱいやったなぁ。全校生徒にチョコを配り回ったり、停学中に駆け落ちとか。懐かしいなぁ……って言うのも違うのかな。さっき話したばっかりだし」


 ………ん? なんか今とんでもないことしでかしてなかったか? というか『さっき話した』って言った?


 中高生の武勇伝についてはグッと堪えて話を詳しく聞いてみたら、アキラさんとはさっきまで電話していた、と。このホテルも近いうちに再建工事が入るので寝泊りができなくなるそうだ。それで居住できるスペースを確保するため昔の友人を頼らなければいけなかった。その電話相手にアキラさんがいた、ということだった。


 ………本当なのか?


 たしかにそれならアキラさんが混乱していた理由も説明がつく。いっしょの電話を使ったために、あちら側が受け取った通知は同じ表記だったのだ。

 けれど、偶然がすぎる。いくら世間は狭いと言われたとしても、ここまでの重なるだろうか。運命に悪戯をされているような、一つの結末に引き寄せられているような、まるでだれかを中心に物事が動いているような………おっと


 気が付くと、ドアの前まで戻ってきた。一人の少女を置いてきた部屋に。

 フサギと二人っきりで話さなきゃいけないことがあるのですこし席を外してほしい、とユーキさんに伝えると快く承諾してくれた。

 ドアノブを握りながら、血液を混入させる作戦を話したときにクロが言っていたことを思い返す。


『「血を飲ませる」――あはっ、いいね。フサギもまさか自分がやり返されるとは思わないから、さぞビックリするだろう。うまく行けばアナタの孤独の旅のお供になってくれるだろう。けど、気を付けたまえ。なにかしら効果はあるだろうが、記憶こんせ記録ぜんせか、どこまでを共有できるかは分からない。こればかりはアンタの存在がイレギュラーだから、ね。それに、フサギは血といっしょに媚薬か興奮剤も使って個性能力スキンをブーストさせてた節がある。くれぐれも気を抜かないように……』


 吉と出るか凶と出るか、期待と不安を胸にドアノブを捻る。


 ベッド隣の椅子には膨らんだシーツが乗っている。まだフサギは眠っているようだ。


 シーツへ近付く。フサギの顔面には血が付着しているはずだ。フサギの安否を確認するタイミングで顔を拭いてしまおう。完全には拭き取れないかもしれないだろうが、ユーキさんが鼻血に見間違えるくらいには………あれ?


 シーツをめくると、なにかが丸まっていた。これは………バニー服とスク水?


 それに気付いたときにはもう遅かった。足首を引っ掛けられて体勢が崩れてしまう。ベッドの下から伸びてきた手のせいで。


「ぜぇぜぇ……さっきは、っ、よくもやってくれた、な……!」


 息を切らしながらベッドから出てきたフサギが掴みかかってくる。すでに馬乗り状態だった。振り上げた拳にはナイフが握られていた。


 やられた、と後悔しても遅い。こんな単純な仕掛けだとしてもハマってしまえば終わりだ。


「アンタは、家族じゃ、ない!」


 とっさに目を閉じる。

 激昂は勢いとなって、顔面に刺さって弾けた。


「アンタは……コウノキパパトーコママも家族だなんて思ってない」


 痛みは、なかった。

 目を開けると、ナイフは変わらず頭上にあった。

 代わりに落ちてきたのは、一筋の涙。


「家族ってなんなの? ねぇ、に言ってるの! 答えてよ!」


 泣いているフサギに、『コースケ』は……いや、は答えなかった。


「私が見てきたものは真実ホントウなの? 血縁とか時間とか生まれとか、関係ない。心を通わせたら、手を取りあえば、人は家族になるんじゃないの?」


 俺に訴えかけてくる。コースケではなく、俺に。


 この世界に転生してから、俺は『コースケ』を演じていた。どうすれば『コースケ』になれるのかを考えていた。どうすれば『コースケ』の人生に迷惑をかけないかだけを考えて生きてきた。

 ケイジョウに慰められたときだってそうだ。『コースケ』に迷惑をかけてしまったと悩んだ。


 だって、自分が『コースケ』という実感はなかった。肉体も感覚も環境も『自分』じゃない。

 トーココウノキも『コースケ』の家族だと思って接してきた。突然現れた見知らぬ人たちに「今日から私たちがアナタの家族よ」「僕がキミの肉体だよ」と紹介されて、俺はそれを受け入れた。受け入れようとした。別人として生きようと、ここに俺はいないからと。けれど、だからといって心を通わせてこなかったわけじゃない。


 褒められて嬉しかった、

 叱られて悔しかった、

 遊んでくれて楽しかった、

 構ってくれなくて悲しかった、

 愛されて、痛かった。


 記憶ぜんせの破片が胸に刺さって、離れなかったから。


「じゃあ、『家族』にはなにが必要なの? 私のやってることは本当に『家族』なの? 家族ごっこでしかないの?」


 フサギにとって、それは何色に見えただろうか。どんな形に歪んでいただろうか。


「ねぇ答えてよ……苦しいよ。こんな感情を抱えたまま生きてるなんて、苦しいだけだよ」


 どこまで“共有”したのかは知らない。けど、フサギの経験した記憶かんじょうがすべてだ。

 本当はこんなこと教えるつもりはなかった。教えられるとも思ってなかった。けど、『俺』に願いを預けてくれた人がいる。いないはずの自分をまっすぐな目で見つめてきた人がいる。それに応えるまでは『俺』は生きなきゃいけない。


「ねぇ、アンタの家族はどこにいるの? フサギの……私の家族は、どこにいるの?」


 ………そんなの決まっている


 フサギは今にも泣き出しそうな顔をしていた。すでに涙を流しているのに、違うナニカが溢れ出さないように堪えている――そんな表情だった。


「………どこにもいないよ」


 俺は言った。

 一度失ったら戻ってこない。それは大切であればあるほど。だって心は元に戻ってくれないから。失ったものは失ったままなのだと受け止めるしかない。


「…………ぁ」


 俺はナイフにそっと手を伸ばす。触れるまでの数秒、フサギはすこしも動かなかった。握った手のひらは力強く、包まれたナイフは握りかえすようにやさしく、振り下ろされた二人の手は弱々しくだれかの胸に刺さる。受け止めた切っ先は小さな痛みを孕んでいた。


「どこにも、いないんだよ」


 もう一度だけ繰りかえすと、フサギはそのまま泣き崩れた。なにも言わず、そっとその体を抱きとめる。


 フサギが流した涙は、だれの涙だったのだろう。



  …。



 しばらく泣きぐずったあと、フサギはユーキさんの胸を借りている。

 ユーキさんは深くは聞かずに頭を撫でつづけていた。


「ねぇ、ひとつだけ訊いていい?」


 しばらくして、フサギは顔を上げた。

 心身ともにボロボロなのにこれ以上なにを求めるつもりなのか、と包帯を巻き直しながら身を構える。


「実は“共有スキン”で見た景色に気になることがあって……断片的でよく分からなかったけど、たぶんアンタの記憶じゃない」


 どういうことだろうか分からず、具体的になにを見たのかを聞きかえしす。


「私が見たのは、男性への恋心と失恋……ううん。そんな生易しいものじゃない。絶望、だった。深淵に魅入られるような、深い絶望」


 恋心と失恋。もちろん身に覚えがない。フサギも見当がつかない様子だ。


 ……………、っ!


 そのとき、カチリッと。

 頭の中で歯車が合わさる音がした。


「お、驚かせないでよ。いきなり立ち上がってどうしたの?」


 無意識に立ち上がっていた。心配するフサギの言葉を横に置いて、今までの情報を思い返していた。どうしようもなく点と点がひとつの線で繋がっていく。


 ………放火犯はんにんが分かったかもしれない


 決定的な証拠はないが、矛盾もない。けれど、この推理通りなら――。

 

 ………まずい。ここは危ない。早く逃げないと、……!

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