∟[『フサギ』を押し倒す理由]

「………………んっ、ママぁ……ふえ?」


 しばらくして、フサギは目を覚ました。ユーキさんを見失った彼女の手はまだ寝ぼけていたのだろう。次の甘え先を探して近くの人肌に手を伸ばしてきたわけだが、残念ながらママではない………ところで、本物のトーコさんはどうしたのだろう?


「え、あ? トーコさん? トーコさんはその……あの騒ぎで」


 なんとなく予想はしていたが、どうやらトーコさんの迷子スキルが発動したらしかった。女神襲撃の混乱のあと、気がつくと忽然と消えていたという。交番にいるだろうか………いてほしいなぁ


 ………とりあえず、そっちは後に置いておくとして。今は目前の……


 なぜか一人でシャドーボクシングをしはじめているフサギを落ち着かせるため、まずユーキさんが生姜湯を用意してくれたことを伝える。ユーキさんにはずいぶんと心を許しているようだし。


「あ、あの人は、心が開いてる人、だから」


 ふーっふーっ、と気が立っているのか生姜湯を冷まそうとしているのか判らないまま「ど、どこかのだれかさんと違ってね!」と付け足してくる。どうやら落ち着くまでもう少しかかりそう、と湯気が物語っていた。

 ユーキさんは気さくだし、『心が開いてる』と形容できる人だが、フサギが言ってるのはそうじゃない。実際にを覗いたのだ。きっと今朝見た夢のように。


 ………一体なにがあったんだ?


 ぴくりっと、その質問にフサギの体が反応する。


「なに? 今更聞くことでもないでしょ。アンタは『経験きょうゆう』したんでしょ」


 そう言われても、こっちが見たのは崩壊した家庭くらいだ。それ以上はなにも知らない。


「それ以上もそれ以下でもないよ。見たまんま。フサギの家庭は崩壊してた。それだけ」


 それだけ、で話が終わるはずがない。断片的ではあったが、夢の中で家族との幸せな記憶もあった。あれは見繕ったものには感じなかった。いや、見繕ったものだったとしても、あそこまで家庭が崩壊してたのにはやはり原因がなにかあるはずだ。


「知らないよ。子供だからって教えてくれなかったし……私は拒絶されたから」


 『拒絶された』――今朝の夢が脳裏にのしかかる。

 フサギの“共有”を使えば原因は探れる……と、そう思ってた。しかし、現実的にそれは叶わなかった。一番大切で信頼していた人たちに拒絶された。自身の能力がフサギを追いつめる形になってしまったのだろう。


 このまま朽ちてしまうなら、あの幸せがもう帰ってこないなら、いっそ自分の手で。あのときの言葉かんじょうの意味が今なら分かる気がした。


「……こっちからも、質問、いい?」


 コップをかるく回して温度を見ながら、フサギは確認してくる。むしろ、急に改まってどうしたのだろうか。


「私たちって……その、どこかで出逢ったことあった? フサギがアンタの家に行くよりも、もっと前に」


 唐突で不思議な質問だった。

 残念ながらフサギと出逢ったのはあの日が初めてだ。もしかしたら互いが気付かないうちに知り合っていた、という可能性はない。それはこの『二周目のコースケ』が確認済みだった。


「じゃあ、なんで……こんなの絶対ありえないのに」


 質問に答えると、苦虫を嚙み潰したような顔でフサギは小さく呟いた。まるで出逢っていないといけないとでも言いたいかのように………もしかして、クロか?


 クロがフサギを知っているなら、フサギもクロを知っていてもおかしくはない。謎多きクロの素性は明かしておきたいところだ。

 そんな思惑を知ってか知らずか、フサギはそっぽを向いた。


「知らない。知っててもアンタには教えない。アンタに言うくらいなら、たぶん死ぬ」


 ひどい言い草である………そっちからキスしてきたくせに


 フサギの顔が瞬間湯沸かし器のように真っ赤になる。この一言で一生マウントを取りに行ける気がした。


「あ、アンタ、本当になんなの!? 何者なの? なにがしたいの? 味方なの? 敵なの? これ以上、私を掻き乱すようなことしないでよ!」


 もうっ! と、まるでヤケ酒の一気飲みかのようにコップに口を付けた――と同時だった。


 カンッ、と。

 コップが床に転がる。たった今までフサギの持っていたそれだった。


 しかし、フサギはそんなものには目もくれなかった。ただ手で口を塞いで、丸くなった目でこちらを凝視していた。


「な、なに? なによこれ、アンタ、なにか入れ、ゴホッ……ゴホゴホッ……!?」


 喉を手で押さえながら咳こむ。ひゅーっ、ひゅーっ……と、空気が喉を引っ掻く音が聞こえる。フサギは指を突っ込もうと口を大きく開いた。しかし、それは叶わない。一瞬にして床に押し倒して身動きが取れなくさせたから。馬乗りの状態でフサギの顎に手を伸ばす。


「あ゙……ぐぅっ……!?」


 閉じることを封じられた口はうめき声を上げる。見開かれた眼球には恐怖と驚愕が揺れていた。


 ………なにを驚いてるんだか、これは昨日フサギ自身がやったことなのに


 フサギの推測通り、眠っている間で生姜湯のポットに一服盛らせてもらった。一服と言っても毒でも薬でもない。フサギは『魔法のクスリ』って呼んでいたが、決して危険物ではない。


「あ、がっ……やめ˝!」


 暴れようとしても少女の手足はあまりにも脆弱で、制止には片手で余るほどだった。ここでキスをすれば昨晩の完全再現になるが、そんな危険な真似はしない。

 押さえつけてないほうの手は包帯をかき分ける。そして、その柔肉に爪を立ててえぐっていく。痛みと熱量が全身に走っても、血肉を掻きだすように何度も何度もえぐる。傷痕から溢れだした血は真下にいるフサギに垂れていった。開かれたフサギの口へと。


 ………の直飲みはさすがに効果抜群だな


 そう、これこそ昨日フサギが手料理に仕込んでいたもの、魔法のクスリの正体――血液だ。もっと正確に言えば、共有スキンの能力を持ったDNA。


 キスをしてきた理由も、フサギの手首の傷も、全部これひとつで説明できる。そして、今朝目が覚めたとき周りにフサギがいなかった理由も。結果的にではあるが、フサギの視点からすれば共有スキンが効かない相手がいるとするなら野放しにしておくのは不自然な対応だ。監視のひとつやふたつあってもおかしくない状況だった。実際、今回の外出デートは監視を念頭に置いたものだった。

 じゃあ、なぜ今朝はしなかったのか。そんなの簡単だ。したくてもできなかったのだ。今朝のフサギは体調を崩してしまっていたから。きっと昨晩の『コースケ』のように。


 フサギの共有スキンはそこまで自由に扱える品物ではないのだろう。体内に入って吸収された唾液DNAは勝手に共有を始めてしまう。免疫か副作用かは知らないが、そのときに体調に異常をきたしてしまうのだ。


 必死に抵抗していたフサギだったが、顎を手で少し持ちあげるだけで簡単に嚥下してしまう状況だ。フサギの顔が少しずつ赤色に染まっていくに連れてフサギは弱々しくなっていった。そして、最後には動かなくなった。

 完全に気を失ったのを確認してから、包帯をキツく締めなおす。


 ………なんとか、やりきった……、っ!


 後片付けをしようとフサギを抱きかかえたそのとき。

 ガチャリ、と。

 部屋のドアが開く音がした。


「ただいまー。ちょっと手間とっちゃって遅くなってごめんねぇ……ってあら?」


 戻ってきたユーキさんは目を瞬かせた。


「あら? あらあら! 取り込み中だった? ごめんねぇ。でも……メイド服を選んだのね! よく似合ってるわぁ! 可愛いかわいいー! って、フサギちゃんは……まだ寝てるみたいね」


 ユーキさんに詰め寄られて苦笑いで対応したが、内心は冷や汗が出ていた。


 ユーキさんが入ってくる瞬間、右手は置いてあった服を手に取って、左手はベットのシーツをフサギに被せた。

 すぽっと頭からメイド服を入れただけの状態から、今度はゆっくりと袖を通す。そして、床に転がっているコップをバレないようにゆっくり足で蹴ってベッドの下へと転がす。これが今できる精一杯の証拠隠滅だった。できれば昨日フサギに奪われた護身用のナイフを回収したかったが、仕方あるまい。


「えっ? フロントの場所? コースケちゃんも電話したい相手が……分かった。案内するわぁ」


 なんとかこの場所から離れるために、ユーキさんといっしょにフロントへ行くことになった。


 ニコニコしているユーキさんを尻目にフサギを一瞥する。………薄暗くてよかったな、と冷ややかな視線を部屋に残して、そっとドアを閉じた。

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