∟[『フサギ』とホテルにいる理由]

「生姜湯って体温まるし鎮痛効果もあるんだよ。知ってた?」


 薄暗い一室にポットから注がれる水音が響く。


 まず、ここは今回のデートの目的地のラブなホテルである。例の火災現場の一つであり、一周目の人生のときにはマコトといっしょに来た思い出深い場所でもある。偶然の一致、と言い切るのには早すぎる。実際、女神への手がかりがあるんじゃないかと期待していた。


 しかし、目の前でのほほんとコップに生姜湯を注いでいるナース服の女性はケイジョウの母であり、名前をユーキさんだと紹介にあずかったところだ。


「私、昔はここらへんで働いててね。この服もそのときの制服の一つで……キミにはまだちょーっとだけ早い話かなー?」


 どういう職種だったかはあえて訊かなかったが、このホテルは勤め先のお得意様らしい。自宅が全焼してしまったユーキさんにとってここは最後の頼みの綱だった。

 このホテルも半年ほど前に火事があり、その影響で今は営業を停止しているので一室を借りさせてもらっているそうだ。

 今回の火事は外出中に起きたことで出火の原因はまだ不明だという。燃えてしまった日用品を買い揃えるためにここから外出したとき、ちょうど見覚えのある二人の子供に遭遇した……という状況らしい。看護服を着ている理由は不明なままだが、たぶん大した意味はない。


 ………けど、分かったこともある


 前世のマコトとのデート。あのときは未成年の身分なのにすんなり入れて驚いたが、あれはケイジョウがセッティングしたのだろう。おそらくマコトはケイジョウに相談し、ケイジョウは母親を伝って、二人っきりになれる空間ホテルを事前に手配していたのだ。


 ホテルを出たところを強襲された。デートコースを女神は事前に知っていたはずだ。その情報の出所はケイジョウの可能性が高い。あの日ケイジョウと同行していたのは――。


 ………とりあえず、大筋の現状は分かった


 なんだかんだでこっちを調べにきて良かった。炎上したケイジョウ家の現場も気になったが、あっちはアキラさんがもろもろ捜査してくれているはずだ。合流したときに情報を交換できるだろう。

 軋むような痛みが走る肉体を起こす。


「動いて大丈夫? 私の個性能力スキンで少しは良くなってると思うけど、無理はダメだからねー?」


 ………スキン?


 ユーキさんから受け取った生姜湯の温もりを手のひらで抱きしめながら聞き返す。


「そそ。個性能力スキン【活性】。んー、簡単に言うと、元気を分け与える力かなぁ。基礎代謝とか治癒活動を含む肉体の潜在能力を向上させられるのー。お仕事でも大活躍なんだから」


 そう言ってユーキさんは力こぶを作ってみせる。細い二の腕がなんとも柔らかそうだった。


 感謝の言葉を口にしてから、自分の体を見下ろす。上半身は包帯と手袋だけで、ほかにはなにも着用していなかった。どうやら着ていた衣服は治療するときに破いてしまったらしい。

 ただ、代わりの服はすでに用意されていた。メイド服やバニー服、スクール水着に園児用スモック(涎掛け付き)、そして「それとも、わ・た・し?」とナース服を指差すユーキさん………この人は性癖を歪ませたいのかな?


 結局、もうすこし悩ませてほしいと保留にした。こういうとき自分の踏ん切りのつかない性格にため息を吐いてしまう。


 寝床に配置してある電子時計を確認すると、だいたい三時間が経過していた。


「……んっ」


 ユーキさんの膝の上で眠っているフサギが丸くなる。


「フサちゃん、疲れて眠っちゃったみたいでね。兄想いの良い家族を持ってて羨ましいなぁ」


 そっとフサギの頭を撫でつけるユーキさんは優しい瞳をしていた。その姿はまるで親子そのもので………ユーキさんもお母さんだったか


 思わず、手のひらに力がこもった。白々しい言い方だと自分でも思う。けれど、このタイミングを逃すときっともう聞けない。ケイジョウになにがあったのか、知らなくちゃいけない。


「……あー、入学式のときかな。恥ずかしいところ見られちゃったね」


 照れくさそうに笑うユーキさんは顔を伏せた。


「実は、初めてじゃないんだよね。火災に遭ったの」


 金髪の合間から見える口元だけ小さく動く。


「十年以上前にも、火災に遭ったことがあって。その時は今回みたいに全焼じゃなくてすぐ鎮火できたんだけど、火傷とか出来ちゃって。その時ちょうど仕事仲間だった婚約相手に職場のいざこざがあって会えなくて、寂しくて、苦しくて、目眩がして、いつの間にかに病院で寝てて、気がつくとお腹にいた子がね、消えてなくなっちゃってたんだぁ」


 暗い話しちゃってごめんね、と俯いたまま柔らかい口調で話す。化粧では隠しきれない顔面の火傷痕が、そのときの物々しさを語っていた。それでも、聞かなきゃいけない。


「え、出火の原因? それがよく分かってなくてぇ……居間で一休みしてたら口元あたりが熱いなって思って、そしたらいきなり体から火が上がってねー……どうかした?」


 覗いてくる不思議そうな瞳に驚く自分の顔が見える。


 ………だって、もしその言葉が本当なら


 火災事件を追ってること、フサギ宅も火事、放火の手口、これまでの経緯をユーキさんに掻い摘んで話す。


 人体発火――彼女が話してくれた状況はアキラさんに教えてもらった一連の事件と一致するし、そう簡単に被るような手口でもない。それに、彼女は今回で二回目の火災だ。すべてが偶然とは思えない。


「犯人を追ってる、のねぇ。本来なら危ないからやめなさいって言わなきゃいけないんだろうけど……」


 一瞬。その唇に躊躇いを感じた。


「私、犯人知ってるのかも」


 間接照明で壁に出来た女性のシルエットが淡く揺れる。


「ケイカ――私の恋人よ」


 その名前は前世で一度だけ聞いたことがあった。とある父親といっしょの名前だった。



  …。



「――物心ついた時に父はいなかった。だから、俺さまの親はこの世に一人だけだ。だけどな。母ちゃんが時々話してくれるんだ。『アンタのお父さんは最低な人間なのよ』って。その言葉を聞くと俺さまがちゃんとしなくちゃってなるんだ」


 にししっと笑っては「だって、俺さまは暗い顔が世界一嫌いだからな!」とドヤ顔を決める。


 そう、ケイジョウは言っていた。

 その『最低な人間』の名前がケイカだった。


 彼とユーキさんとの関係は高校のころの先輩後輩であり、同業者であり、恋仲であり、そして夫婦ではなかった。婚約はしていたがユーキさんが妊娠していると分かってから行方不明になってそのまま……。前世で聞いた情報はそれだけだ。


 恋人ケイカが犯人とはどういうことか、根掘り葉掘り話をうかがった。


 ケイカという人物は恋人といっても元恋人であり、縁を切ってからはまったく接点もなく十数年の月日が経っていた。それが一ヶ月前に突然、正確には入学式だったあの日、ユーキさんの前に姿を現した。二度と会わないと約束していた彼は「過去のことも現在も、すべての因縁に決着をつけるために来た」、と。そして、彼はこう言ったのだという。


「『俺は人殺しだ。自首する前にお前の顔を見たかった』って。私は『何があったのか、ちゃんと話して。自首するならそれからにして』って言ったのだけど、結局答えてくれなくてぇ」


 彼は『悪いのは俺だけだ。過去に囚われず、全部忘れてお前は未来に生きろ。』と一点張りだったそうだ。


 ユーキさんによれば、彼は様子がおかしかった。なにか思い悩んでいたような、なにかを苦しんでいるような。出頭を決心している人間には見えなかったそうだ。おそらく覗きで見た口論の現場はこの時のものだろう。


「でも、放火犯だとするとあの人が言ってたことも分かる気がする。最近の放火事件も十年前の発火もあの人が、あの人の個性能力スキンなら……」


 恋人だったユーキさんからの情報によると、彼の個性能力スキンは『発熱』――触れたものに熱を帯びさせる能力。

 その能力ならたしかに発火も放火も可能だ。その本人がやったと言うなら、もはや疑いようがない。間違いようもない、なのに………なんだこの違和感は


「ちょっと席外すねぇ」


 気持ち悪さを奥歯で噛みしめていると、ユーキさんが立ちあがった。

 十年前の発火がケイカの個性能力なら、息子が死んだ原因も恋人ケイカのせいになる。いろいろと思うところもあるだろう。


「あ、気にしないでぇ。そういうのじゃなくて、ちょっと電話したい相手がいるだけだから」


 看護服の腰ポケットから革の財布を取りだして見せる。どうやらこのホテルのフロントには固定電話があるらしい。「そこの棚に生姜湯のティーパックまだ入ってるから、良かったらおかわりしてね」とだけ言い残して出ていった。


 部屋に取り残されたまま、一人考え事を続ける。


 ………これで終わり、なのか?


 犯人がケイカだとするなら、ここが事件の終着駅だ。

 唐突で、予想外で、そしてあっさりと。

 終わり。

 終わり………なのか?


 フサギのスキンは他人を操るのにうってつけだ。女神の襲撃はフサギの自作自演、という可能性――頭の端ではそういう考えも巡らせていた。


 この説が完全に否定されたわけじゃないし、一連の放火事件の犯人がフサギの家を燃やしたとはまだ決まったわけでもない。それらが正しいのかを犯人から直接聞かなきゃいけない。


 ………でも、今までの話を総合するなら犯人ケイカはもう……


 それだけじゃない。フサギに敵視されていてはなにかと厄介だ。さらにはクロのこともある。


 さっきまでユーキさんが腰を掛けていた椅子に視線を移す。フサギがさらに小さく丸くなっていた。


 ………こうしているとただの少女なんだけどな


 生唾を呑みこんで、深呼吸をひとつ。気合いを入れ直す。

 手のひらの飲み頃になった生姜湯を見つめたまま、もう片手を包帯に当てる。状況を好転させるためならどんなものでも利用する。そう誓ったはずだ。それがどんな痛みを持たらそうとも。


 そして今、目の前の光景に絶好のチャンスが広がっている。


 決意を右手に、無防備に眠っているフサギを見下ろした。

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