幕間――白い部屋2

「ここへ戻ってくるの、さすがに早すぎない? 昨日の今日だよ?」


 ………面目無い


 『俺』は白い部屋に来ていた。そして、なぜか目の前にいるクロに説教じみた言葉を投げかけられていた。


「フサギを護ったから、まぁ、そこは多目に見るとして……間一髪だったね」


 ………その言い方だと、コースケはまだ生きてるんだな


 ここにあるのは発光しているたましいだけで、現実の肉体がどうなっているかよくわからない。今はクロの言葉に頼るしかなかった。


「ああ、アンタは今フサギたちに介抱されてる。見た目こそ派手だけどそんなに深い傷でもないようだ。病み上がりの体には過剰だったみたいだけど」


 あまり喜べる状況じゃないが、とりあえずでも生きているならめっけものだ。


「時間もあまりないから、本題に入るが……それで、間違いないのか?」


 クロの問いは判然としないものだったが、頷いて返す。


『……………………♥』


 ソレを思い出した瞬間、全身の毛が逆立つ感覚がぜんしんに駆け巡った。吐息を出すような笑みが脳裏にこびりついた記憶ぜんせを呼びおこす。顔は見えなかったがわかる。黒い部屋の、黒い表情の、黒い笑い声。間違いなく、疑いようがなく、どうしようもなく女神だった。


「大丈夫かい?」


 気が付かないうちに脈打つからだが小刻みに震えていた。肉体のとき以上に感情がダイレクトに反映されているようだった。


 ………本当に、面目ないな


 避けては通れない道のりだと分かっていたはずなのに、こんなに身を竦ませている。


「そう落ちこむな。恐怖を恐怖だと思えるのは、アンタの心が挑戦している証拠だから。それにアイツがこんなに早く現れるなんて、こっちもアンタも想定外だった」


 ………本当に面目ないな、まさかドアに励まされる日が来るなんて


「ドアで悪かったな」


 ………いや、存外悪いものじゃなかった。ありがとう


「そりゃ、……どーも。アンタが挫けたらこっちが困るからやってるだけだけどね」


 励ましたいのか励ましたくないのか、はたまたツンデレなのかよく分からない反応をされたが、今は深く突っ込まないでおこう。


 ………それで、女神の目的はなんだったんだ?


「残念だけど、それについてはこっちもさっぱりだ」


 例えば襲った理由が嫉妬ゆえのフサギの殺害なら話は早い。しかし、あれが殺意の一撃なら肉体コースケは致命的になっていなければおかしい。浅い傷で済むなんてありえないはずだ。


 もちろん、取り逃がした以上その真意は分からない。単純に女神の気まぐれだったかもしれない。しかし、妙な演出じみた気味の悪さだけが全身を包んでくる。


「……気持ちが沈みかけているアンタにひとつ朗報があるよ」


 クロが空回りする思考に新たな言葉を落としてくる。


「デートの目的地には着いたみたいだ。図らずとも、だけどね」


 ………え?


 それは予想外の言葉だった。

 アキラさんが見せてくれた火災事件の記された地図で、実はひとつ気になった場所があった。そこが今回の目的地だったのだが、フサギがそれを避難場所に選んだとは到底思えなかった。


 ………病院には行かなかったのか


 深くないとはいえ見た目はけっこうな負傷だったはずだ。救急搬送されてもおかしくない。


「基本的に人見知りで他人を信じてないのが、フサギだからね。信じられると確信した相手以外は全員敵だと思ってる節はあるね」


 その言葉に、ため息の仕草をする。もちろん、実際のため息は出せないのだが、ようは気持ちの持ちようだ。


 掌を開閉させて、手の感覚を意識する。そして、その両手で顔を叩いた。

 女神が表に出てきた以上、いつまでもうだうだとしている場合じゃない。覚悟を決めろ、気合いを入れろ。


 ………クロ、お前に聞いてほしいことがある。フサギの能力についての考察だ


「いいよ。言ってみなよ」


 クロは仏頂面なドアのまま、その場に突っ立っていた。


 ………まず、フサギの個性能力は『共有』。記憶や感覚を共有する能力。もっと言うなら自身の『経験』として誤認させることができる。そしておそらく、フサギの能力には制限がある


 それはフサギ自身が言ってた内容、昨日見た夢、父母の様子を鑑みれば自ずと察しがつく。

 記憶や感覚とは、いわば電気信号。体質・気質の延長線上であるとされる個性能力に則るなら、それを送受信できるのがフサギの能力だ。それは電波のように遠隔からではできない。あそこまで手を繋ぐのに拘っていたのは、直接肌で触れているのが発動条件と見てほぼ間違いない。母と父のときも手を触れる以上のことはしていなかったし、逆にこちらが手袋をして誘ったときは触れようとすらしなかった。


「悪くない推理だけど、それを結論にするには詰めが甘いよ。だって、アンタは直接触られたことが何度かあったはずだ」


 直近ではフサギに添い寝されたとき、いや、そもそもその条件なら今までいくらでもチャンスはあった。『直接触れる』だけが発動条件ではない。


 ………『心を開いて』。フサギはそうとも言っていた


 通常、ヒトの心には他人に見られたくないプロテクトのようなものがあるのかもしれない。それを解いて深層を開くとき、相手側から心を開いたとき、深く強力な『共有』ができる。彼女の『手を繋いで』という言葉の裏にはそういう意図が含まれていたのではないだろうか。

 手袋で手を繋ごうとしたとき、母に『心がこもっていません!』とまくしたてられた。『共有』の影響下だった母のあの言葉がフサギの感情であった可能性は十二分にある。


「完璧とは言えないが、的を射た答えだ。70点はあげよう」


 ………分かってるさ。まだ不可解な点があるのは。昨日の肉体コースケの異変、フサギがキスをしてきた理由、そして今朝目が覚めたとき周りにフサギがいなかったこと。これらを一本の線に繋げられるようにすればいいんだろう?


「……なるほど。すでに推理はついてるわけだ」


 ………もちろん。むしろ、今までのは前座、ここからが聞いてほしい本題だ


 自身と他者の境界を曖昧にする――凶悪と形容していいフサギの能力。だからこそ、大きな隙がある。


 ………目が覚めたらフサギの能力を攻略して、。その作戦は――


 クロはその内容を静かに聞いていた。そして一通り聞き終わったとき、ドアの開閉するような笑い声が白い部屋に響きわたった。



 …。



 瞼を開くと、薄暗い天井が視界に広がった。


 ………ああ、そうだ。目的地には着いたって言ってたな


「あら。あらあら。お目覚めかなー?」


 声がしたすぐ隣を向くと、二人分の陰影が写しだされていた。

 一つはフサギ。椅子の上でとなりに倒れるように寝ている。

 そのフサギの手を握っているもう一つの影。

 トーコさん、だと思った。


「大丈夫? 急に体を動かさないでねぇ?」


 ………え?


 フサギと寄り添うようにして金髪の女性が椅子に腰掛けている。その女性は見知った人物だった。


 思わず辺りを見回す。

 仄暗い照明。ピンクドットの壁紙。どこかから漂う甘い香り。見覚えのある間取り。デートの目的地であり、前世でもお世話になった場所――なのは間違いない。けれど。


「あ、飴ちゃん食べる? それとも、生姜湯飲む? 遠慮せずになんでも言ってねー」


 けれども、意味が分からなかった。

 その女性が看病していることも。

 その女性がフサギに膝枕していることも。

 その女性が看護服を着ていることも。

 その女性がケイジョウの母だってことも。


 なにもかも意味が分からなかった。

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