∟[『フサギ』とデートの理由]

『まもなく、△△町、△△町です。車内に落し物お忘れ物御座いませんようご注意ください。お出口は……』


 新鮮で懐かしい空気が鼻をくすぐる。六駅分の揺られた感覚は不安にも高揚感にも似て、青空が肺を満たしていく。駅のホームに降り立つこの瞬間はいつも緊張してしまう。


 遠景に赤い大きな車輪のような建造物を確認してから、背後を一瞥する。三歩後ろでツインテールが跳ねた。

 その少女と目線が交わったかと思えば、シュッ、シュッ! ……と拳を向けてくる。明らかな敵意があった。


「……な、なに、笑ってる、の? きもちわるい」


 フサギに指摘されて口に手を当てる。つい口許が緩んでしまっていたようだ。


「拳向けられて喜んでんじゃねぇ……ですよ。マゾ豚が」


 その姿はまさに一周目のフサギだった。一応言及しておくが、音信不通だった友人と偶然街中で再会したときのような気分なだけである………別にマゾでも豚でもないからな!


 かるく自分の顔を叩いて気合を入れ直す。用心しなきゃいけないが、むしろ警戒されているのはどう見てもこっちだった。


 背後のフサギは「これは監視……これは監視……デートじゃない」と繰り返しうわ言をつぶやいている。それに手をつないでいるトーコさんが「うん、うん。そうね!」とずっと満面の笑みで相槌を打っていた。


 ………たしかに、デートっていう距離感じゃないな。トーコさんもいるし


 そう、今はデート――少なくとも建前上は――で、『とある場所』へ向かっている最中だった。だが、誘ったのはフサギではない。

 昨夜の白い部屋でのことを思い返す。


『アナタからデートに誘ったら? 避けられない運命があるなら、むしろ『先手を打てこっちから』だよ』


『デートの誘い文句? そんなの、相手が大切にしているものはすでに知ってるだろう?』


『あ、そうだ。フサギの個性能力から守るとは言ったけど、あっちが全力だとたぶん力負けするから、そのつもりで』


『……そう言うなよ。こっちだって万能じゃない。それに、アナタはフサギ家の放火と、フサギ自身とちゃんと向き合わなきゃいけない。フサギを救うためには、ね』


『なに、情報はすでに揃ってる。そこから考えれば自ずと対策もできるさ……個性能力はその人の。自分から言えるヒントはここまで』


『……え? なんでこんなことをするのかって? そんなの――』


 カタカタと口を動かすかのようにクロは身体ドアを開閉させたあと、なにかが自分コースケの中に流れこんできて、目を覚めました。コースケの部屋のベッド――現実に戻ってきた。


 いろいろと気になることを言われたが、今自分がするべきことはひとつだ。


 それは………死なないこと!


 『コースケ』はまだ死ねない。それがどんなに傲慢だとしても諦めることなんてできないから、そのためならなんだって利用する。


 まず、あの家には『コースケ』のプライバシーはない。あそこはすでに家族フサギの城と言っていい。食事にクスリを盛られた以上はあそこに安全圏なんてない。ならクロの言うとおり、外出時にすこしでも先手を取るのは有用だ。


 だが、このデートはそれだけが目的じゃない。その目的のためにはまずフサギと二人っきりになりたいが……。


 父は仕事で一緒にいないのは幸いだが、母はずっとフサギと手をつないでいる。簡単に離れることはないだろう。


 ………ええい、ままよ!


 しのごの言ってる場合ではない。こっちは生活圏がかかっているのだ


 ………もし自分の考えが合ってるなら、大丈夫なはずだから


 自分の手を見つめる。薄手の黒の手袋が眩しい。その手をフサギに差し出した。


 それは予想外のことだったらしく、フサギの目が丸くなった。


 ………今更、手を繋ぐくらい恥ずかしくもないだろうに、フサギのほうから唇を奪ってきたわけだしなぁ


 煽るように呟いたそのとき、ピタッとフサギの拳が止まる。代わりにわなわなと震えてフサギの顔が紅潮していく。


「な……! な……なぁ……ぁ! だ、黙れ! 不可抗力……っ! ふか、こう、りょく……! なん、だからっ!」


 フサギは唇をなんども拭う。あっちからしてきたことなのにそれで激昂してくるのはいささか理不尽さを覚える。

 

「ふ、ファーストキスだからって盛ってんじゃねぇ、ですよ……まったく」


 これだから童貞は……、と今度はフサギから煽ってくる。むしろフサギの反応が完全に生娘のそれのような気がするが、それに………残念ながらファーストキスでもないしな!


 半ば見栄のはった台詞だったがウソではない。この時のコースケはまだだが、そういう未来ウンメイもあったのだ。


 しかし、「は?」とまるでそんなことありえないとでも言いたいかのようにフサギの目が丸くなった。


「だ、だれよ?」


 その言葉に一瞬理解できなくて、首を傾げる。


「……き、きき、キスの相手! だれとしたかって訊いてるのっ!」


 唇を手で隠しながら、今にも詰め寄ってきそうな勢いで尋ねてくる。ちょっと煽るくらいでよかったのだが、予想以上の食いつきだった。

 しかし、真実は真実がゆえに到底信じてもらえるものではない。それにだれとキスしたかなんてフサギには関係ないはずだった。


「関係ないはずないでしょ……だってアンタの中にはが……」


 フサギの声は震えていた。いや、声だけじゃない。自分の小さな体を抱きしめるかのようにして、震えていた。


 ………フサギ?


「ストッーーープッ!!」


 声をかけようとしたその時。トーコさんが割って入ってきた。


「フサギちゃんをいじめちゃいけません!」


 ぷんすか! と擬音が似合うほど頰を膨らませてまくしたててくる。


「フサギちゃんはマウントを取ろうとカマトトぶってるだけで下ネタにいつも内心キャーキャーと叫んじゃうピュアピュアな乙女なんです! 察してあげなきゃダメです! それに手袋で手を繋ぐなんてのは、もっとダメダメのダメです! 心がこもってません! 家族や恋人、大切な人ならちゃんと繋ぎなさい! あと今フサギちゃんは手を怪我してるから……」

「ま、ママ! っ……心配してくれて、ありがとう。でも、フサギはもう大丈夫だから、ね?」


 フサギは慌てたようにつないでた手を強く握りこんだ。


 ………手に怪我?


 フサギが母とつないでいるのは右手だ。つまり……。


 フサギの左手を一瞥する。フサギはすぐ袖の中へ隠すように手を引っ込めたが、怪我をしているふうには見えなかった。


 ………もしかして、か?


「な、なにジロジロ見てんの? さっさと目的地に連れていってよ。フサギは、フサギの家族に、放火した犯人を知れるっていうから付いてきただけ、だか……きゃっ?!」


 言われなくてももうじき目的地に着くはず――と言い返そうとしたそのとき。フサギたちの背後から道行く歩行者が母娘を引き裂くようにぶつかった。


「っ、もうなんなの――よ?」


 フサギはを見て、目を丸くした。


 ぶつかったのは、黒のフードを深く被った人物。その片手は高く掲げており、鈍色に輝いていた。ナイフを、握っていた。

 そして、フサギを見下ろすように、嗤っていた。


「……………………♥」


 運命ソレはいつも唐突で、必ず向かうからやってくるのだ、と。時間と肉体が乖離していくのを感じながら、脳裏に浮かんだのは白い部屋にいたとき――クロの去り際の言葉だった。


『なんでこんなことをするのかって? そんなの――――に決まってるだろ?』


 そして、鈍色の切っ先は振り落とされた。


「あっ…………ぇ……?」


 ぽっかり口を開けたフサギのアホ面は、切りつけられたことをまるで理解してないものだった。


 それでも。

 ぽとり、ぽとりっ……と。

 赤色がその顔に滴る。


「どう……して……?」


 呟いたフサギはこちらを見上げていた。


 ………なにをやってるんだろうな、自分は。生き残るためになんでも利用するって息巻いてたばかりなのに、な


 じんわりと肩から背中にかけて熱くなって、痛みへと変わっていく。その肉体コースケの傷は、フサギの傷だ。フサギが流すはずの血だった。


 痛みを食いしばりながら振りかえる。そして、ありったけの力を込めて睨みつけた。


 ナイフを握っている人物。

 顔はフードに隠れていて、三日月のような嗤う口元だけ見える。『俺』はソイツのことを知っていた。『俺』だけはソレを知っていた。


 ソイツはフードをさらに深く被り直して、ひらりひらりと手を振ってくる。気軽な挨拶でもするかのように。

 そして、颯爽と走りだした。


 ………逃げるな、逃げるなよ……逃げるなって、言ってるだろ! !!


 激昂を孕んでも叫びは虚しく、ソイツの背中は街中へ消えていく。負傷した体は言うことを聞いてくれず、ただ見送ることしかできなかった。そのまま倒れこむしかできなかった。


 ちょっと……だ、だれか……あの、助けて、助けてください! あ、あなたは、あのときの……、……!


 フサギの叫んでる声がする。だれかと喋っているのは辛うじてわかったが、どんどんと遠のいて、聞こえなくなって―――消えた。

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