∟[『フサギ』とキスの理由]

「飲んでるかぁ、コースケ!」

「あなたったら、そんなに悪絡みしちゃダメよ」

「悪いとはなんだぁ、俺の酒はなぁ良い酒だぁ」

「アルコールが入ると、いつもこうなっちゃうんだから、ふふっ」


 フサギの一ヶ月記念のお祝いは、ささやかながらもけっこう盛り上がった。壮大といえるものでもなかったが、ここまで砕けた感じの親たちを見れるのは滅多にない。親睦会としては大成功と言えるだろう。

 フサギからみんなへ、ささやかなサプライズなんてのもあった。母に手製のビーズのブレスレット、父には肩たたき券……そういったサプライズプレゼントを手渡していた――そこまでは覚えている。


 問題はそのあとの記憶だ。


 ………なんで、今、フサギの部屋にいる?


 薄暗い部屋、汗が蝕むほどの熱量、小さな息遣いに紛れた、すこし甘い香り。『コースケ』の右腕を枕にして寝ているフサギは、じっ……とこちらを見ていた。

 頭を回転させようにも思考は縺れるばかりで、記憶が完全に抜け落ちていた。


「息、荒れてるよ。つらそう、だね?」


 艶っぽい吐息が首筋をくすぐる。

 さっきから動悸が妙にうるさくて、耳鳴りがうるさくて、視界がねじれて……とにかくすべてが熱かった。悪い予感を告げるような、ベタつく汗が急に噴きだす。脳裏に前世の監禁生活がフラッシュバックする。


 ………逃げなきゃ!


 そう思っても体はうまく言うことを聞いてくれない。拘束もされてないのになぜ自由が利かないのか、その理由も分からない。


「暴れちゃ、ダメだよ」


 ベッドの上でのたうつ体に、フサギの手が伸びてくる。


 ―――逃げられない


 諦めより早く、その事実が理解できてしまう。

 思わず目を瞑った。

 しかし、次の瞬間。予想していない感触が顔を覆った。

 ふわっとして、羽根のようなやわらかさ。おそるおそる目を開けると、そこにはタオルを持ったフサギがいた。

 こめかみから首筋まで、優しく丁寧に汗を拭ってくる。その手つきには害意のかけらもなかった。


「落ち着いて、落ち着いて、深呼吸……急に起きちゃ、ダメ。体調不良で倒れちゃった、んだから。ね?」


 ………たお、れた?


「トイレに行くって、言ったきり帰ってこなくて……見に行ったら、フサギの部屋の前で、ぐったり……」


 ………! そう、だ。そう、だった


 呼び起こされた記憶には、フサギの部屋へ行く準備している自分がいた。無警戒というわけにはいかなかったので、護身用の道具を隠し持って、あらかじめフサギの部屋に忍びこむ――待ち構える形で先手を打とうとしていたのだ。


 ………その途中で、体調が悪くなった?


 思い出せたのはそこまでで、倒れたときの記憶は依然曖昧だった。しかし状況から鑑みて、フサギの言っていることがまったくの嘘偽りとも思えない、けれど。


 ………じゃあ、なんでフサギのベッドで、フサギと一緒に寝てるんだ?


 フサギの汗を拭く手が止まる。そして、もじもじと身をよじるのを肌で感じた。


「だ、だってお兄ちゃん、重たかったんだもん……それに、ベッドまで運んだら一緒に倒れこんじゃって、そのまま……」


 コースケの腕に絡まって、抱きしめられる形になって動けなくなってしまった、というのがフサギの言い分だった。

 言い訳をするにしても内容がアホらしすぎて普通なら一蹴するところだが、その言葉はただ一点において説得力があった。


 ………じゃあこの状況は……あくまで個性能力ラッキースケベのせいなのか?


 急病と個性能力のせい。そう仮定すれば現在のすべての状況が符号する。少なくとも手足を縛られた監禁ヤンデレ生活のようなものではないようだった。しかし。


「……眠れそう? ちゃんと眠りに就くまでとなりにいるから、安心して、ね」


 兄を看病する妹――べつにおかしいことじゃない。


 ………なら、なんだこの違和感は?


 背中に貼りつく悪寒が拭えない。ひゅーひゅー、と喉に呼吸が絡まって、熱い。その正体が風邪の症状だと断じきれない。肉体を駆けめぐる鳥肌は気持ち悪いというよりも、むしろ。


「……手、握っても、いい?」


 手のひらにフサギの指が小さく触れる。


「フサギの『家族』になってほしい、から……。フサギを受け入れてほしかったから、晩御飯、愛情たくさん、で、作ったの。包丁で指切っちゃっても、口下手だけど……心を開いてくれるように、フサギ頑張るから……心の開き方が分からないなら、フサギがお手伝い、する、から……」


 シャボン玉のように澄んだ声、花のように芳醇な香り、水飴のように潤む瞳。絆創膏越しに指先の熱がじんわりと広がっていく。


「だから……手、握って?」


 差し出されたフサギの手。

 『俺』は精一杯の力を込めて、その手を――


 ――振り払った。


 他人からの好意を信じられない、愛に臆病ナーバスになってることは否定しない。いや、だからこそ、この状況はありえない。うまく言葉にできないが、が起こるはずがない。


 ………俺に、なにをした?


 驚いて呆然としているフサギに問いかける。だって――『俺』が、このフサギに

 この肉体が感じる熱も、高鳴る動悸の音も、血が湧くような興奮も、体調不良とは似て非なるものだった。


「………………あーあ、ダメだったかぁ……」


 フサギはこちらの疑問に答えてなかった。ただ、悲しみとも諦めとも掴めない嘲笑を顔を浮かべていた。


「本当に、本当に……腕によりをかけて、晩御飯作った、のに、なぁ……お口に合わなかった、かな……? 急ぎすぎた、かなぁ……? それとも、足りなかった、の、かなぁ……? あんなに、入れておいたのになぁ……?」


 ………っ! まさか、あの晩御飯に一服仕込んで……!?


「……うんっ。フサギを好きになってくる、魔法のクスリだよ?」


 悪びれる要素もなく、フサギは自白する。


「フサギは『家族』のためなら、どんなことだってできるんだよ」


 ………いったい、なんでこんなこと……なにを企んでるんだ!


 問いかけながら指先に力を込めてみる。まだぎこちないが、先ほどよりも力を入れられる。


「なにをって……最初から言ってる、よ? フサギは『家族』になりたかっただけ。と『家族』に、ね。でも……」


 フサギが話している間に、フサギの死角になっている腰ポケットにゆっくりと指を入れていく。そこに入っているのは普段女神対策の護身用として持ち歩いているものだったが、四の五の言っている場合では――――。


「――でも、


 そう言った瞬間、フサギの表情が失くなった。あの時の、火事のときに見た、温度のない顔。



 ………え、な……!


 ダンッ!!

 こちらが反応するよりも先に。

 頰のすぐとなりにナニカが落ちてきた。

 それは銀色に輝く鋭利な刃物で、ベッドを垂直に突き刺していた。『コースケ』の体に跨っているフサギに振り落とされたもの。

 ポケットの中にあるはずの、今取り出そうとしたはずの、折りたたみ式の果物ナイフだった。


 ………っ?!


「妹とお話するのに、刃物こんなものが必要な人は、兄じゃありません、よね?


 訪れた空白に刻みこまれた明確な敵意。いや、そんな生易しいものじゃない。うまく息を呑むこともできなくさせる、殺意。

 ナイフがゆっくりと持ち上がる。標準をつけるように、ちょうど『コースケ』の頭上に翳されていく。


 頼みのナイフは奪われて、肉体も言うことをきいてくれない。端的に言って絶体絶命だった。

 こちらに残されている道は一つ。運頼りで頼りない方法になるが、ラッキースケベにはすこしだけ自信がある。


 ナイフが振り落とされるのと、こちらの手がフサギの胸を捉える――そのときだった。

 ぱっと部屋が光に照らされる。思わず目を瞑ってしまった。


「どうしたの、フサギちゃん? すごい音がしたけど……あら?」


 眩む視界のなかで聞こえたのは母親トーコの声だった。


「――っ!?」


 慌てるどころの話ではなかった。家族を巻きこみたくないという点ではこちらもフサギも一緒だった。


 より早く動いたのは、フサギのほうだった。まるで矢のように母の元へ近づく。手にナイフを持って。


 ………まずいっ! 逃げ……!


 フサギは『家族』に拘っている。それゆえに『家族』が壊れることにどんな反応を示すのか予想もつかない。


 フサギの手が、すっと母さんに触れた。


「だ、大丈夫、だよ?」


 駆け寄ったフサギはそのナイフを母に握りこませる。


「大丈夫だよ、お母さん。ほら、よく見て。おもちゃだよ。ただの、

「え?」

「本当だよ? お母さんはフサギのこと信じられない、かな……?」


 そんなはずはない。ベッドにできた鋭利に尖った穴も銀色に輝く金属特有の光沢も、本物のそれだと物語っている。咄嗟に出たのかもしれないが、苦しい言い訳だ。

 母の目の焦点が刃先に合う。

 気付く――――はずだった。


「…………あら、本当。よく見たらだわ。ママ、ビックリしちゃった」


 思わず耳を疑う。

 鈍感で抜けているところがある母だが、さすがに気付かないのはおかしかった。


 フサギの口角が上がる。安心しきった顔で、満ち足りたような顔で、笑ってた。


「お母さん、お母さん。人と人と、が共有して、完全共有、したらどうなると思う?」


 フサギはそんなことを言った。とても唐突で、訳が分からなかった。しかし。


「そうねぇ……肉体の殻、そして心の殻を破って『ひとつ』になるわね。共通の精神が繋がりあって、すべてになって――――『家族』以上になれるわ。とてもとても素敵なことね」


 ………、……え?


 母はこともなげに答えた。意味不明な質問に、意味不明な答えを、まるで当たり前のように返した。


「それってフサギとお母さんと、同じ関係だよね?」

「ええ、フサギちゃんの言葉は『家族』の言葉。『ママ』の言葉と同じよ」

「じゃあさ、じゃあさ。同じようにフサギの脳は『家族』の脳、だよね?」

「ええ、フサギちゃんの思考は私の思考、フサギちゃんの感情は私の感情。当たり前でしょ?」

「……うん、そうだよね。当たり前、だよね。でも、そんな『当たり前』がフサギはとってもうれしいのっ」

「ふふっ、フサギちゃんの『当たり前』になれてママもうれしいわ」

「うんっ、ありがとう、っ!」


 息が、詰まっていく、感覚。

 無理に理解しようとして処理落ちを起こした感情が置き去りにされて、底気味悪い疎外感へと変わっていく。


 ………自分は今、なにを見せられているんだ?


 ナイフを握っている母娘が、互いの笑顔を鏡合わせでもするかのように向かい合っている。自分のいる感覚が、足元から崩れていく気がした。

 

「どうした? フサギ、母さん?」


 母さんの背後から父さんが声をかける。たった今部屋に来訪したというより最初から母さんと一緒に付いてきていたようだった。


「……お父さん、フサギの手を、取って?」


 フサギは母さんに触れてないほうの手を差しだす。


 ………ダメだ、フサギから離れて!


 それはもう叫んでいたと思う。今のフサギはなにかマズイ。そのことだけはたしかな確信があった。

 けれども、その願いは届くことはなかった。


 父さんの手は、まるで誘蛾灯に誘われるように、フサギの手元へ吸いこまれていった。そして、それが運命付けられていたかのように、互いの手が触れた。


「……これで、フサギとお父さんは『家族』だよね?」

「ああ、当たり前だ。私たちはフサギの『本当の家族』だ」

「……ふふっ、ありがとうね。っ!」


 三人で手を取り合う。フサギ、母親トーコ父親コウノキ……全員が満たされた同じ表情で笑っていた。

 同じ状況を二度も見せられたら、もう間違えようがない。


 ………まさか、これは……これが、フサギの個性能力スキン……!


 それが具体的にどんな能力かはわからない。だが、個性能力によって引き起こされた状況なのはもはや疑いようがなかった。

 そして、それをやったのは紛れもなく中心にいる彼女――フサギは満ち足りた笑顔で二人の手を繋いでいた。


 それがいびつであろうが、どれだけ狂っていようが、きっと関係ない。手を繋ぐ三人の姿は、まるで『家族』だったから。


「ねぇ、パパ、ママ。コースケさんがね、お兄ちゃんじゃないの。心を、開いてくれないの。二人は、どう思う?」

「良くないわ」

「良くないな」

「うふふっ、フサギも同じ意見だよ。……え? パパもママも心を開かせるの、手伝ってくれる、の? あはっ、うれしい、なっ」


 ………っ!!


 一斉にこちらへと視線が向けられる。全員が悲しそうな、憐れむような同じ表情をしながら近づいてきた。


 できるだけ抵抗した。必死で暴れた。しかし、赤子の手を捻るよりも簡単に父母に取り押さえられた。元々、フサギの手料理に仕込まれたクスリのせいで半分の力も出せない。初めから無理な話だった。


 その光景を眺めているフサギは確信めいた表情で笑っていた。絶対的有利に立った者だけができる絶対的笑顔。


「コースケさんが、フサギの『家族』になってくれないから、フサギが心を開かせてあげる、ね」


 フサギの指先が首筋を弄ぶ。ぴりっとした静電気のような感覚が響いていく。

 そして、骨を伝った指は顎を持ち上げた。


「さぁ、心を開かせて。すべてを開かせて。『家族』は無理かもだけど、ペットくらいにはさせてあげる」


 ああ、なんでこの少女は無垢な表情ができるのだろう。


 顔が近づく。逃げ場はない。恐怖で喉が震える。だが、それでも。


 ………もし、


「ん?」


 それでも、フサギに聞いておかなきゃいけないことがある。


 ………もし気に入らなかったら……前の『家族』みたいに燃やすのか?


 ぴくりっ、とフサギは顔を近づけるのを止めた。


「アレは、私じゃないよ。だって、、やってなかったもん」


 ………ま、だ?


「大丈夫。フサギがあの火事でなにを見たのか、なにがあったのか。すぐわかる、から。フサギの『家族』になったら、ね?」


 三日月の笑みを浮かべたフサギの顔が再び近づいてくる。頭が父と母に押さえつけられて動けない。


 ………や、やめろ。助けてくれ、だれか。助けてくれ、父さん母さん……フサギ!


 意識が遠のいていく中、まるでカウントダウンのようにさん……にぃ……いち、と迫ってきて。

 零――唇が触れたの瞬間。最後に見えたものは――――







「――――っ?!」


 目を見開いて驚愕するフサギの顔と。


「あ、?」


 震えるフサギの声だった。

 そこでコースケの意識は限界を迎えて、世界との接点が途切れた。

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