∟[『コースケ』がベッドに押し倒した理由]

 仄暗い照明。ピンクドットの壁紙。どこかから漂う甘い香り。仲良く二つの枕が寄り添いあうベッド。その上に男女が二人。きちっと正座している『コースケ』。そして、対面にちょこんっと正座をしているワンピース姿のマコト。となりには脱ぎたての水色の上着。……冷静に、ひとつずつ、視界を確認したが、意味がわからない。


 ただ一つわかっていることがあるとすれば、ここがいわゆるラブなホテルということ。そして、愛を育む部屋の中……いや、愛のベッドの上にいるということだ。


「さすがに疲れた、ね」


 マコトの熱っぽく潤んだ視線。喉をかすれる呼吸音がすこしだけ速い。


 ………なにがどうなってこうなってる?


 悩んでも分からない。分かるはずがない。 未成年である『コースケ』たちがすんなりとここに入れたことも、そのあと「……予約してたから」とマコトに言われた意味も、『コースケ』には分からなかった。


 彼女は突然、髪を掻きあげた。そのまま後ろ髪一本にまとめ、髪留めを結う。ポニーテールだ。

 通常、情事には髪をほどく印象があるが、……いや、ケイジョウの手帳にはたしかに書いてあった。『マコトがポニーテールにするのは、気合を入れるときか運動のとき』………運動のときっ?!


「それでは、始めます」


 気合を入れた彼女は、もう一度、まっすぐに見つめてくる。思わず、背筋が持ち上がる。

 彼女は一瞬、息を止め、口を開いた。


「単刀直入に、あなたに世界を救ってほしいのです。それが、二人きりで話したいこと……『女神』と『運命』と『あなた』のお話です」


 彼女は、真剣な表情をひたむきな瞳に乗せて話す。しかし、すぐに首を振った。


「……すみません。すこし先走りすぎました。まずは、……そう。私のスキンについてお話しさせていただきます」


 強張っていた彼女は、息を吐いて肩の力を抜く。

 マコトの個性能力。実のところ、謎だった。ケイジョウの手帳もその項目だけ空白だ。クラスでも噂や話題になるが、ラッキースケベを回避できうる能力だと予測されるだけ。だれかに質問されても本人は頑なに話そうとせず、その実態はベールに包まれたままだった。


「コースケさんは運命って信じてますか?」

 ………うんめい?


 思わず聞き返す。信じてるか信じていないかでいうなら、『完全に信じているわけではないが別に信じてないとも言えない』という、なんとも曖昧な回答になる。

 それと彼女の個性能力スキンとなにか関係があるのだろうか。


「私の個性能力スキンは……」


 彼女はそれまでひた隠しにしていた秘密を、自ら口を開いて、言う。


「"未来予知"。もっと言えば、ができます」


 『コースケ』は、彼女の言葉にどう反応すればいいか考えあぐねた。そんな能力が本当に存在するのか分からなかったからだ。個性能力はあくまで名前の通り『個性』の一種とされている。つまり、独特な体質や気質、または卓越した能力など、それがスキン……という認識だった。すくなくともこの世界に来てから、そんな力を持った人物は知らなかった。

 『コースケ』の反応を見てか、彼女はさらに口を開く。


「とは言っても、とても断片的な情報しか分かりません。しかし、この能力によって、『今日のデートが尾行される』ことを知っていました。何人までかは分かりませんでしたが。なので最終手段として、このホテルに予約を入れておいたんです」


 彼女はベッドの縁を小指で撫でて、さらに補足を加える。


「この個性能力が発現したのは四年前、まだ十三歳のころ。そして一年ほど前から、とある天啓を受けるようになったんです。最初は勘違いかなにかだと思ったんです。しかし、時が経つにつれ、はっきりと『世界が滅びる』ことを啓示されたんです。……一時期では毎日、その予言を受けました。文字通り、夢にまで見たほどです。最初はぼんやりとしてあやふやな予言だったんです。それが回を増すごとに、鮮明に、そして迫ってきたんです。『遠くない未来に滅びる』から『近い日に滅びる』。『近い日』から『もうすぐ滅びる』と。二週間ほどまえに見た予言では、明確に啓示を受けました。


『女神が、今月中に世界を滅ぼす』……と」


 ……こんげつちゅう?


 マコトがとんでもないことを言ってのけた気がする。今月というと……月替わりまであと二週間もない。


「私の予言は、基本変更できません。私の能力は、すこし干渉してはできますが、一度予言が来たら私自身でも回避できないんです」


 彼女の言葉どおりなら、二週間以内に世界に終末が来る。そして、その回避はできない。完全に手詰まりの状態だ。


「ですが、それでもなんとかできないのか、延期だけでもできないのか、終末を回避する方法を模索したんです。一年間探しつづけた。そして一週間ほど前、やっと、やっとのこと、その可能性を見つけたんです」


 彼女の息はやはりどこか熱っぽかった。そして、なぜか左手の小指を気にするように、撫ぜた。


「そう、それが、です。です」


 ………?

 唐突に出てきた『コースケ』の個性能力の話に首を傾げる。だって彼女は、ラッキースケベが世界滅亡を回避できうる能力だと宣ったのだ。


「あなたの個性能力……? ……という話です。なぜ幸運ラッキーなのか? つまり、好ましくない異性……有り体に言えば、不細工な方にあなたの能力スケベが発動しても幸運ではないのです。では、幸運それこそあなたの個性能力スキンの本質です!」


 見るからに興奮気味だったが、落ち着かせるようにここで一度口をつぐんでから、言葉を継いだ。


「あなたの、あなたの本当の能力は、『』ことです」


 彼女はまた自分の小指の根元を擦った。まるで、そこに見えないリングでもあるかのように。


「あなたの能力は、近くにいる異性の赤い糸に干渉することができる。いえ、干渉してしまうのです。だから、赤い糸を持たざるものには反応しない。好ましくない相手には反応しない。赤い糸に結びつこうと他人の恋愛に侵食する力。あなたが他人の赤い糸に結ばれようとする強制力……その表面に発露しているのが、『』なのです」


 たしかに、彼女の言い分なら説明がつく部分もあるかもしれない。しかし、決定的におかしい部分があった。彼女はどうやってその能力を見分けたのか、である。そこを説明できなければ机上の空論に過ぎなかった。


「……私ができることは未来予知だけではありません。それは能力の一部でしかありません。私は運命が見えるんです。私には赤い糸が見える。あなたの赤い糸が生物のように、他人の赤い糸に繋がって、恋人との繋がりを切りおとし、自分のに繋げなおそうとする姿が」


 彼女は自分の左小指をぎゅっと握る。


「あなたの能力はラッキースケベに留まらない。その気になれば、略奪愛のかぎりを尽くし酒池肉林ハーレムだって築けるはずです。相手女性の運命を大きく変える能力。それだけに、強く運命みらいを改変しうる力。私が予測した未来……世界が滅びる未来を、きっと書き換えることができる。だから―――」


 彼女は前へ乗りだす。


「―――!」


 …。


 …。


 ………つまり?


 いまいち思考の整理がつかなかった。


 ………未来予知された世界滅亡の運命を、ラッキースケベで救う、って言ったのか? あまりに突拍子がない。それこそとんだバタフライエフェクトだ。乾いた笑いすら出ない。荒唐無稽すぎる


 彼女は下唇を噛む。


「滑稽な話かもしれません。この話の信用に足らしめる確証を私は持ち合わせていません。けれど、あなたを信頼させられる証拠なら、あります」


 そう言うと、彼女は『コースケ』の手を掴んで、自分の胸に押しつけた。

 むにっ、と唐突な柔らかい感覚が手のひらを包みこむ。思わず、声にならない悲鳴が喉奥で響いた。


、です。が証拠です」


 『コースケ』の五指は無意識に反りあがったが、彼女はこれでもかと強く胸に擦りあてる。逃げ場がなくなった手全体が触覚を超え、ある種の全能感を覚えた。


「私はあなたのラッキースケベをいなせる。。なぜなら、。」


 マコトはそのままベッドに倒れこんだ。


「もし世界滅亡を阻止できたら、身と心……私の人生をあなたに捧げます。この赤い糸が、私の証拠です」


 彼女は小指と小指を絡めてくる。その下にあるワンピースは皺をつくって、もう動かない。伏せたまつげから散らつく瞳と視線が交わることはない。けれども、その流し目が熱を帯びていた。手のひらから伝わる、あつい鼓動。上気する肉体。炎のような吐息。


 そのすべてが『コースケ』にとって、サブイボに変わって襲いかかった。だって……


 ………だって、俺は女性恐怖症だから!


 ラッキースケベをしまくって、将来の恋人……もしかしたら、現在の恋人から赤い糸を奪って、運命を変える。そんなことできるはずがないのだ。


 その事実を知った彼女は目を丸くした。それもそうだ。『コースケ』はこのことをだれにも話していなかった。ラッキースケベなんて能力を持っている人間が、よもや女性恐怖症だなんて夢にも思わない。

 だが、事実だった。


「そう、ですか……」


 しばらくの静寂のあと、マコトはそう言ったが、理解しているとは思えなかった。虚ろな視線が泳いでは、影色に濁る暗い瞳だった。見るからに茫然自失だった。


 手を引くと、簡単に彼女の胸と手のあいだから抜くことができた。そのまま、彼女は力なく倒れていた。


 彼女は「ふふ」と突然、笑った。引きつったような口から、上ずった声。そして。


「あはははっ」


 彼女は笑った。目の端に涙を溜めて、笑った。そして、一通り笑い終わると、口を開く。


「冗談、ですよ」

 ………え?

「冗談ですよ、全部。こんな荒唐無稽な戯言を信じたんですか? ただのドッキリですよ。ドッキリ大成功です、ふふ」


 彼女は喋りながら、となりに置いてあった上着を着なおす。そして、振り向いて手さげカバンを手に取り、うーんっと背伸びをした。


「あー、楽しかった。あなたが騙しやすいからいろいろと盛ってしまいましたよ、まったく。あっホテルのお金も払ってますから、だから……


 ……全部忘れてください」


 後ろ姿だったので顔は見えなかった。だけど、頬から光の粒が落ちるのが見えた。


「……変なこと言ってごめんなさい」


 彼女が入り口へと駆けだそうとした瞬間、彼女の袖に手を伸ばしていた。ほぼ無意識の行動だった。


「……離して、ください」


 言葉とは逆に、ぎゅっと手に力が入った。

 正直、彼女の言葉はめちゃくちゃな内容だったと思う。だけど、その正否はともかくとして、すくなくとも彼女は本気だった。自分の人生すら投げだす覚悟だけは真に迫って伝わった。それに、『女神』の一致だ。偶然とは思えなかった。ただ、ラッキースケベを使って世界を救う……なんてことは約束できない。自分からラッキースケベを行うなんて想像がつかない。正直、異性に頼られたのが嬉しかったというのもあると思う。でも、それでも、なにかをしたいと思ったのはたしかだった。

 だから。


 ………俺が力になれることがあるのなら


 その言葉にマコトは振り返らなかった。

 ただ、きらめく粒を、ぼとぼとと床に落として、一言。


 「ありがとう」と言った。



 …。



 ホテルを出たとき、辺りはもう暗かった。

 『コースケ』はマコトを家まで送ろうとした。しかし、場所が場所だけに一緒にいないほうがいいという話になって、結局ホテルのまえでマコトとは別れた。


 そして、彼女を見送った手のひらをじっと見つめる。


 正直、わからないことはたくさんある。これからのことに不安もあった。しかしそれ以上に、ある種浮かれていたのだと思う。異性から、いや同性にだってここまで頼られたことがなかった。それに、マコトに触れられて、確かめたいあるも出来た。………誤解がないように言っておくが、断じておっぱいの感触が忘れられなかったわけではない


 けれど、……そう、浮かれていたのは事実だった。


 だから、――というわけではないが、どう帰ったのか、記憶がない。ただ、『コースケ』がつぎに気が付いたときには――――





 ――――黒い部屋に、いた。

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