∟[『俺』が『コースケ』な理由 ]

「コースケ、お前って何才のころから記憶ってあった?」


 まだ日が高くないというのに、日差しは肌の奥へと容赦なく突き刺さる。通学路をゆく人も街路樹も項垂れてしまうくらいには暑い。そんな中でも一際元気を取り繕おうと、友人のケイジョウは話題を振ってきた。


 それは、ただの記憶力自慢であると理解できたが、『コースケ』は答えに詰まった。

 正直な答えは「この世界に生まれた瞬間から」だった。さらに言うと「それどころか、前世の記憶まである」……ということになる。理由はおそらく、転生の仕方が異常だったから。または、あの女神のせい、のどちらかだろう。


 そう、『俺』は転生した。『コースケ』と名付けられた男の子として、十五年以上前にこの世に産声をあげた。しかも、記憶を持ったまま。

 転生したココは自分の知っている世界とは、すこし違うようだった。中世ファンタジーのようなモンスターも魔王もいない、比較的平和で文明が発展した時代ではある………いや、『魔王』については一人だけ心当たりがあるが


「俺さまはほぼほぼ零才からなんだよね。ほら、俺さまって記憶力だけはスゲェからさ。その時に見た美人妻はよかったぜ! おっぱいバインバインだった!」


 ケイジョウは「ばい~ん」と胸あたりをジェスチャーで丸みを表現する。すると、実際に胸が膨らみ、学生服がぱつんぱつんっになった。


 ………これを見るのももう慣れたな


 この世界には、個性能力スキンと呼ばれる力が存在する。心身外第二次成長期特徴……と医学名称で言われている。前世の事象と照らし合わせると、つまり、『約十~十八歳前後の第二次成長期にて発現する異能力』のことだ。


 友人・ケイジョウの個性能力スキンは“変形トランスフォーム”だ。身体の一部を変える能力……だそうだ。ただし、変形できる形状は記憶しているものでなければならない。無制限というわけにもいかないそうだ。………だからこそ、彼は記憶自慢をしてくるわけだが


 ………まぁ、しかし


 彼の胸は虚仮威しに過ぎなかった。というのも、彼のそれは柔らかくない。どちらかといえば軟らかい。触れた端から豆腐のように崩れ落ちる。それは、彼が童貞で、実際に女性の胸を触ったことがないからに他ならない。………なぜ、軟らかいということを知っているかって? 言わせんな、恥ずかしい


「おいおい、なに目を逸らしてるんだよ。おっぱいなんて珍しくもないだろ? お前の個性能力スキンじゃ!」


 ケイジョウは指を立てて、こちらに向ける。………言葉尻にとげがあるのは気のせいだろう

 そう、もちろん『コースケ』にも個性能力は、ある。あるのだが……。

 『コースケ』は友人の胸……もとい、指から目を逸らして、素知らぬ顔で口笛を吹いた。


 そのとき。

 一陣の風が足元を駆け抜けた。


 「きゃ!」―――と、登校中の女生徒たちがスカートを手で押さえる。そう、これが『コースケ』の個性能力スキン……『ラッキースケベ』である!


 曲がり角を歩けば女性の胸を揉み、口笛を吹けばスカートがめくれあがる。息を吸うだけでスケベな展開に巻き込まれる………エドワード・ローレンツも真っ青なバタフライエフェクトである。


「ふむ、……水玉、黒のレース、白、か」


 ケイジョウは、とても神妙な声色で言った。

 たしかに、この個性能力スキンは男性の夢ってやつかもしれない。


 が。しかし。

 二つの問題がある。


 メキ、メキキっ、と拳を鳴らしながら、制服を着崩した不良っぽい女性が近づいてきた。それはもう、般若面を被ったような形相で。


「またテメェか……っ!」

「姐さん。やっちゃいやしょうぜ!」

「今日という今日は許さんぞ、ゴミめが!」


 これが一つ目の問題。女性がキレる。そりゃあブチギレる。正直、致し方ないことだと思う。だからといって、お咎めを受けるつもりはない。


 しかし。

 女性が目の前まで来て、『コースケ』の頬と背筋はひきつけを起こす。全身の毛穴が裏返って汗を噴きだして、ついでに、吐き気・動悸・眩暈などの諸症状……これが問題の二つ目。


 そう、『コースケ』は女性恐怖症なのである。………どっかの女神のせいで!


「オラァ! 待ちやがれっ!」


 女性は釘バットをその手に出現させた。彼女の個性能力スキンだ。ブンっブンっ! と勢いよく風を切りまくりながら釘バットを手のように操ってくる。


 日頃の鬱憤からくる相当な殺意だった。


 ………こっちに来るな! いや、こっちに来ないでください、お願いします


 心からの叫び。

 女性を恐れて、というだけではない。

 むしろ、逆。女性を心配しての叫びでもあった。


 そう、逃げようとした瞬間。

 まるで逃がさないというかのように。

 足を引っ張られた。


 結び目がほどけた靴紐を靴裏で踏んでいたのだ。

 それは、まるで女性のほうへ運命の引力が働いたかのように、『コースケ』の体勢が崩れた。


「えっ、ちょ?!」


 …。


 盛大にこんがらがる音がして、……何がどうなったかわからない。しかし、この『ハプニング』は追ってきた女生徒たちをたしかに巻きこんだ。


「ったたた……」

「あ、てめぇ、どこに顔を突っ込んで!」

「! ぶちころぉ……っや、やめ!」


 何が起きたのか、『コースケ』本人にも分からない。わちゃわちゃのすっとこどっこいといった感じで、想像にお任せしたい。ただ、ケイジョウの偽物とは違って、両手と顔に柔らかい感触が「ぷにっ」となったことだけは伝えておく。


「そ、そこぉはぁぁあん! ……っ!」

「もまっ! 揉まなっ! ぃっ!?」

「つまむのも、だっ……っ、だめっ…………あ」


「「「~~~~~っ!!!!」」」


 ………また、ヤってしまった


 道端で倒れて肩で息をする不良三人組。目がうつろで、ぐったりと空を見上げている。


「ヤったな。これで百戦百勝。文字通り、百戦錬磨だな! この『どエロ魔王』!」


 ケイジョウはサムズアップされた手をこちらに向ける。………いや、なにも良くない! とくに、その二つ名は! とくに!


「あ、……あたいは、負けるわけには……!」


 背後から声がして振り返る。さきほどのラッキースケベに巻きこまれた一人が、釘バットを支えにして立っていた。


 ………おいおい、うそだろ?


「な、なに。このくらい、あたいにゃちょうど体が温まってきた程度のことだ……!」


 彼女はこめかみに青筋を立てて、顔を紅潮させている。その赤面は怒りによるものなのか、恥ずかしさによるものか。外見からは分からなかったが、熱量を持ったいることだけは分かった。


「さすが、白銀悪魔ハイデビルの二つ名を持つ不良だぜ!!!」


 ケイジョウはここぞとばかりに手をマイクに変形させる。完全に実況する姿勢だった。


「しかーしっ! それに向かうは、とろろのような眼差し、マムシのような腕、すっぽんの口のような手のひら……女性ならだれもが恐れおののく、全身性器テクニシャンの『どエロ魔王』さまだ!!!」


 ………やめろ! 中一チュウイチからの長い付き合いだとしても恨むぞ! ……あ、いや、やめてください。さっきので『コースケ』の心臓がはち切れそうなんだ、いやまじで


 そうは思ったが、しかし。

 『コースケ』は一歩も動けなかった。なぜなら――――と、足元を確認する。


「おおっとこれは! どエロ魔王の【靴ひもが解けている】ぞーーっ! この足元は確実に、悪魔を向かい打つことができる態勢だ! 一歩も動かないのは余裕ゆえか!」


 ケイジョウはノリノリで解説する。街中で勢いのままに実況しているので、その喧騒に人だかりができていくのは至極当然だった。


 ………これは、まずい


「絶対に……勝たねば……っ!」


 ぎりっ、と歯を軋ませて、悪魔ハイデビルは迫ってくる。どうやら怒りで周りが見えていない。………ええい、無自覚な自殺志願者以上に質の悪いものはない!


「さぁー! 因縁の対決に今、終止符が打たれようというのかー! どエロ大魔王が殺されるか? それとも、衆人環視のなか悪魔ハイデビルさんが社会的に死ぬのかー!! 一瞬たりとも目が離せません!!」


 衆人環視のなか。

 『コースケ』の心臓が潰れそうなくらい、胸を何度も叩く。泳いでいた視線が悪魔ハイデビルと合った瞬間。


 悪魔ハイデビルは前方に踏みこ―――…!


 彼女が釘バットをかざしたそのとき。

 そして、『コースケ』が無意識に足を滑らせたそのとき。


 誰もが予想していなかったことが起こった。


 悪魔と魔王のあいだに、ふらっと一般通行人――うちの女子生徒だろうか? ――が、歩いてきたのだ。


 悪魔のフルスイングも魔王のラッキースケベも、ブレーキをかけようにも急には止まれない。


 もっとも問題なのは、その一般通行人がであるということだ。まさに、飛んで火にいる夏の虫……もとい、夏のラッキースケベだった。

 このままでは、いたいげな一般通行人が物理的にも社会的にも死んでしまう。


 二人の攻撃はすでに彼女を目掛けて、決められたレールどおりに向かっている。

 もうなにもすることはできない。この運命を変えることは――――。


 そう、思った。


 しかし、その瞬間。

 突然、視界が一巡した。


 気が付いたときには、道路に寝っ転がって空を仰いでいた。そして、となりに、『コースケ』と同じように倒れる悪魔ハイデビルさんの姿があった。


 ………なにが、起きた?


 いや、視界が反転する一瞬、『コースケ』は見た。

 一般通行人が、悪魔と魔王の攻撃を虚空に導きながら足払いをするのを。


 つまり、一般通行人にフルスイングとラッキースケベが、ということを。


 そこにいる全員が、その光景に目を食らった。その中でもケイジョウは前に体を乗りだした。


「馬鹿なっ! 白銀悪魔ハイデビルの二つ名を持つ不良娘も、隠れ巨乳と判明した地味子も、学園のアイドルも、鉄の処女と言われた生徒会長さえも、この世のスケベを欲しいままにした変態王たる力が……っ!」


「負けた……だとっ?!」


 周りにいた男子生徒、それどころか女子生徒たちまでが騒然となる。


 しかし、その喧騒が『コースケ』の耳にはとても遠かった。そんなことより、道路に倒れながら、初めてのことに、空の青さに、戸惑っていた。


「やっと……やっと、見つけた」


 一般通行人……いや、女子生徒はそう言って、『コースケ』を見下ろす。


 何食わぬ顔どころか、彼女は目を細めながら手を差し伸べてきた。とてもゆったりとした、優しい物腰。


「世界を」


 彼女はやわらかく口を開く。


「世界を、救ってください」


 ………は?


「あなたに、世界を救ってほしいのです。そう、……!」


 これが一般通行人、もとい、まだ名も知らぬ女子生徒との出会い……いや、始まりだった。


 そして、『コースケ』はという単語に顔を引きつらせずいられなかった。

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