∟[『フサギ』がノーパンな理由]

 痴漢事件からまる一日。

 放課後になり、遠巻きに他クラスを覗きに来ていた。マコトが同じ学校だったこと知り、その姿を確認しに来たのだ。

 しかし、マコトの姿はどのクラスにも見当たらなかった。


 ………もう帰ったのか、そもそもマコトのクラスってどこなんだろう?


 いくら探しても埒があかなかったので今日は諦めて帰ることにした。

 こんなことなら痴漢事件のときにちゃんと確認しておけばよかった、と後悔しながら玄関で靴を履き替える。


「なになに? 取材?」

「マジマジ。カメラ入ってるってよ!」

 ………?


 目の前を駆けていく生徒たち。

 ふと、校門のほうがいつもより賑やかであることに気付く。

 校門周辺にカメラやマイクを持った人たちがいた。かなり本格的な機材で会社単位での取材ということが分かった。その中心で見覚えのあるツインテールが揺れた。


「ほら! なにかない? 聞かせてよぉー」

「えっ……そ、の……」


 フサギだった。


 ………そういえば、と思い返す。『コースケ』は前にもこの現場に遭遇したことがある。たしかあのときは……


 ………あ


 フサギと目が合う。不安で塗りかたまった顔が、ぱぁ! と一気に明るくなった。見覚えのある期待の眼差し………そうだ、このとき自分は無視してんだ


 それは間が悪かったとしか言えない。

 痴漢事件で軽いトラウマを受けたすぐあとで、ラッキースケベという自身の体質スキンが発動してしまうことが恐ろしかった。だから、無視するようにフサギを置いてこの場から去ってしまった。………自分は女性恐怖症だから仕方ない、と。………どうせ自分はだれも助けられないんだ、と。そう言い訳した。

 ほかにもやり方があったはずなのに、すぐ諦めた。


 免罪符にもならないことだが、あのときは事件ほうかのことも知らなかった。中学生間の流行や意識調査くらいの、フサギとは無関係な取材かと思っていた。今でこそ分かるが、これは放火事件関連の取材だ。


「ほらほら、この際両親のことでもいいからさ! 何か教えて? ね?」


 女性記者の持つ小型マイクがフサギに詰め寄る。


 ………家庭を失くして間もない娘に両親のことを訊くとか正気か、こいつら?


 引っ越したフサギを追ってきたのだから下調べは済んでいるはずだ。当然、フサギの両親が死んだことも知っていることになる。


 無性に腹立たしかった。

 この報道陣たちにも、遠巻きで囃している生徒も。なにより自分自身が。


 『個性能力発現』と『マコトとの出逢い』。

 最初の目標であった二つは終えた。


 …………。


 運命を自由にしたいなんて思い上がりだろうか。

 後悔のない選択をしようだなんておかしいだろうか。

 ケイジョウのいない世界。目前にある歪んだ選択肢。そして、『世界を救ってください!』――――果たせられなかった約束。


 ………運命なんてクソ喰らえ、か


 覚悟が決まった瞬間、『コースケ』は行動に移す。

 ふと女性記者の手を見ると指輪をしていた。その手首につかみかかる。


 驚きは一瞬、女性記者とその取り巻きは一斉にこちらを睨みつけた。


「なにアンタ。一体全体どちら様よ?」

 ソレはこっちのセリフだった。………アンタたちはどこのだれで、なんの理由があってフサギにちょっかい出してるんだ?

「いいから気安く触らないでよ! 訴えるわ……よぉ!?」


 突然、紅潮した女性記者が慌てて太ももに手をかける。スカートの内側から太ももに沿って、するする……とが落ちてきていた。


 周りはなにが起こったか分からないといった顔だ。だが、それがなにか、自分は経験ぜんせで学んでいた。あの布はパンツだ。………しかも、黒ランジェリー!


 そう大声で叫ぶと、理解が及ばなかった周りのカメラマンたちの視線も女性記者のほうへと集まって、なぜか黒ランジェリーが弾けとんだ。


「きゃっ」

 小さな悲鳴が後ろから聞こえた。振り向くと、フサギの太ももにもが引っかかっていた。


 ………あっ これは


 経験則的に察したそのとき、天が見計らったように一陣の風が吹きぬけた。当然のようにスカートが捲りあがった。

 女性記者のも、フサギのも、あとその他大勢の帰宅途中の女子生徒たちのも。


 記者はなにが起きたのかまったく理解できてない様子で、周りも唐突な痴態に開いた口が塞がらなかった。


 ………い、今のうちに!


 フサギの制服の裾を掴む。そのままこの場から脱出した。



 …。



 五分くらい経っただろうか。

 肩で息をしながら周りを確認する。追ってきている気配はなかった。


 ………ふぅ、うまく振りきれた、かな


「は、走る、の……速い、よぉ……うぅ……」


 フサギも遅れながらも後ろに付いてきていた。耳の端まで真っ赤にさせながら自身のスカートの中身を手で押さえている。


「……走りづらい、よぉ……うぅ、スースーする……」


 ゴムの切れたパンツを押さえながらここまで走ってきたのだから、さぞかし………ん? スースー? …………え、ノーパン?!


 思わず大声で反応してしまった。フサギの頰が林檎のように真っ赤になっていく。


 てっきりズレ落ちるパンツを押さえながら走ってきたのだとばかり思っていた。走っているうちに足から抜けたのか、それとも走っているうちにパンツが霧散したのか。ともかくフサギはノーパンのまま、こちらの全力疾走に付き合わせてしまったということになる。申し訳ないことをしてしまった。


「あ、あり、がと……」


 こちらから謝罪を切りだすまえに、フサギに先を越されてしまった………ありがとう?

 感謝される筋合いはない。女性記者だけを標的にしようとしたのに結局失敗してしまった。それに、自分は一度フサギを見捨てているのだ。


「それでも、私は、うれしかった……から」


 その真っ直ぐな言葉が気恥ずかしく感じて、頭を掻いた。


 ………まだアイツらが追ってきてるかも。はやく帰らなきゃ


「う、うん、一緒に、帰ろ」


 複雑な気分だった。ラッキースケベで感謝されるなんて初めてだったから。

 振り向くと、三歩後ろのフサギが目配せをする。ラッキースケベを持っている自分はそれ以上近寄ってはいけない。むしろ、すでに近いくらいだ。でも、フサギがそこにいるのが不思議で、すこしむず痒かった。


 会話もなく、けれど、不思議と張り詰めた空気でもなく、ただ一緒に帰る。結局、記者たちと出会すことなく、家へ辿りついた。


 玄関をくぐるなり「あら? あらあら。今日は二人一緒に帰ってきたのね、うふふ」と意味深長な母に出迎えられた。「じゃ、じゃあ、またあとで……ね」とフサギは階段を急ぎ足で上っていった。


 うふふー、と笑う母も横目で見つつ、台所へスライドする。………言いたいことがあるならなんか言ってくれ


 二人の姿が見えなくなるのを確認して、深呼吸をひとつ。そして、胸ポケットから黒革の手帳を取りだした。前世との差異を記すための日記帳だ。


 ………今日は日記に書く事柄があったよ、ケイジョウ


 真っ白いページに書きこんでいく。


 ようやく、始まった。

 やっと、動きはじめた。動かしはじめたのだ。

 自分の起こした行動が新しい未知へと繋がる。

 希望を指先にこめてペンを動かす。


 これからが『二周目』の本当の始まりだ。



 …。



 昨日の今日で、また放課後に他クラスへ来ていた。もちろんマコトを確認するために。しかし、マコトの姿はやはりどのクラスにも見当たらなかった。同じ学校の同じ学年にいることはたしかなはずなんだが。


 ………マコトのクラスって本当にどこなんだろう?


「マコトがどうしたって?」


 突然、女子生徒の足に教室の入り口を塞がれた。

 スカート丈が異様に長く、存外な態度で腕組みをしている。まるでヨーヨーを持っていそうな見た目をしていた。その姿は見覚えがあった。

 前世で幾度となく襲いかかってきた不良少女、『白銀悪魔ハイデビル』だった。本名は曖昧だが、取り巻きにはたしか『チオ姐さん』とか呼ばれていた記憶がある。


「アンタ、昨日も来てただろ。アンタだれよ? マコトのなに? 恋人……なわけないし、告白でもしに行くっての? …………というか、なぜ身構える?」


 ラッキースケベ対策で咄嗟に体が動いただけだ。質問責めから距離を取りたかったとか、前世かこの因縁が蘇ったとか、そういった他意はない。


「告白だったら残念だ。マコトなら欠席。まっ出席してたところでアンタが恋人になることはこれっぽっちもないが」


 一々、棘のある言い方をしてくる。元々、直情的な言い方しかできない相手だと思っていたが………まぁ将来的にどうなるかなんて知るはずもないから仕方ない、と言葉を呑みこむ。

 まず誤解を解こうと、一昨日の痴漢の経緯について軽く話す。それで、マコトが心配で様子を見たかった、と。


「……む? お前、悪いヤツじゃなかったのか。ストーカーだと思ったぞ」


 ずいぶんと、はっきりあっさり言ってくれる。………え、俺って周りから見たらそんなに不審者? あ、でも、マコトに会えると思ってニヤニヤしてたかも……


「邪険にして悪かった。だが、それならアンタからはこれ以上関わらないほうがいい。アイツ、男性恐怖症の気があるから」

 ………男性恐怖……え?


 耳を疑った。だって、初耳だった。


 ………前世でそんな素振りは。いや


 もしかしたら、再会するまでのこれからの時間で克服したのかもしれない。

 それに、とよくよく思い出す。前世で『世界を救ってほしい』と言われたとき『女性恐怖症だから無理』と言い返したことがあった。そのときの彼女の反応は引き際が良すぎた。世界と『コースケ』の女性恐怖症、天秤にかければ普通はだれだって世界を優先する。だけど、マコトにはそれができなかった。きっと、同じ『異性に対する恐怖』の感覚を知っていたから。


 ………白銀悪魔はマコトとどんな関係なんだ?


 ただの知り合いクラスメイトというには事情に詳しい気がする。かといって友人として仲良くしているところを想像できない。


「ん、あたい? あたいは…………ただのクラスメイトだ」


 プイッ、と顔を背けられた。これが演技だったならこれ以上なく『嘘をつけない女性』のそれだった。


「……あたいのことぁどーだっていいんだよ! 必要なことはマコトのことだろっ?!」


 白銀悪魔は声を荒げる。よほど訊かれたくなかったのだろう。………なら、とマコトのことについて尋ねてみた。


「マコト、か……今、アイツは精神的に滅入ってるんだ……この前、友人が交通事故に遭ってな」


 ………え?

 親身になって、詳しく聞きただした。


 二日前、幼馴染みであるマコトの友人が交通事故に遭った。現在は病院で死の瀬戸際に立たされているらしい。幼馴染みはすこし遠くに住んでいて、中学生がぱっと行ける距離ではない。それで、マコトは気を塞ぎこんでしまっているという。


 「だから、今は一人に、静かにさせてやってくれ」と。


 最後に「痴漢から助けてくれて、ありがとうな」と言われて別れた。

 白銀悪魔が話してくれた内容を考えながら、学校玄関で上履きを履き替える。

 前世でも、痴漢に遭った女子生徒――マコトが不登校になったのを知っている。あれはラッキースケベ痴漢事件のせいではなく、友人の交通事故が原因だった。偶然、事象が重なっただけ、こちらの早とちりだったということだろうか。

 早めにコネクションを取りたいところだったが、マコトの件は落ち着くまでどうしようもない。


 ………そういえば、白銀悪魔ハイデビルと関係があるのが意外だったな


 彼女も女神候補の一人だった。高校へ行ってからは別々の学校だったのに、よく因縁を付けて襲ってきた。優先順位的には中の上くらい。まだ詮索するつもりはない。

 が、マコトのことを心配する白銀悪魔はいままでの印象と違う表情をしていた。正直、意外な一面を見た。取り巻きたちに慕われていたのも分かる気がする。


 ………でも、今はフサギの件をはやく……げっ


 思わず声が出てしまった。

 放火事件について、新聞などの資料を探すだけでは限界を感じていた。そこで実際に放火現場に行くことに予定していた。学生鞄には準備が終わっていた荷物が詰めこんでいる。ちょうど今からでも行ける。中学生のお小遣いでもなんとか行き帰りができる範囲で助かった、と校門をくぐった矢先。


「おはようございます。さすがに出会い頭の挨拶が『げっ』というのは感心しないわね」


 玄関前に見覚えのある女性記者が待ち構えていた。今日は報道の人たちはおらず、一人で仁王立ちしている。


 ………なにしに来たんだろう、また下着の色を見せびらかしにきたのだろうか?

「違うに決まってんでしょ! なんでそういう発想になる!? ……ふん、どういう原理でやったのか分かんないけど、今日はパンツのゴムが切れたぐらいじゃ動じないから」


 そう言いつつもスカートを抑えている。………ああ、なるほど、ストッキングを履いてきたのか

 『コースケ』の個性能力を根本的に間違えて認知しているが、わざわざ指摘してやることもない。実際、フサギにちょっかいをかけに来たのならラッキースケベで撃退するつもりだった。

 女性記者はポケットから手帳を取りだす。


「コースケ。中小企業中間管理職の父『コウノキ』と専業主婦の母『トーコ』。ごくごく一般的な家庭に生まれ、これといった特徴もないごくごく一般的な中学一年生として育つ……アンタのことについてはちょっとだけ調べさせてもらったわ。あ、こちら、私の名刺」


 ペラペラ、と個人情報を校門前で言うとか………他人のプライバシーをなんだと思ってるんだ

 名刺には企業名と連絡先、そして『アキラ』と書かれていた。


「アンタは健全な思春期まっただかの普通の男子生徒。そして、突如一つ屋根の下で暮らしはじめた同世代の女の子」


 ニヤニヤと下心丸出しの笑みを浮かべている。正直薄気味悪かった。


「ねぇ、アンタ、あのフサギって子に気があるでしょ!」


 ………ハァ?

 思わず呆れ声が出てしまった。

 勘違いも甚だしかった。話している時間ももったいない。はやく帰ってしまおう。


「あれ、いいの? ?」


 ピタリッと足を止める。

 まるでこちらの心中を見透かしたかのような質問。知りたいか知りたくないかで言えば……知りたかった。


 ふふっ、と下心丸出しの笑みはまるで悪魔のささやきのようだった。

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