∟[『女子生徒』が痴漢された理由]

フサギの着替えを覗いた。』


 日記手帳に書かれた文章を読み返す。

 知らぬ人がこれを見たら、こいつはいきなり何を書いているんだと思うかもしれない。だが、大真面目な案件だった。


 昨日の洗面所にて、風呂に入りおえて着替え中だった妹とばったりと出会した。これは前世でもあったことだ。恥ずかしそうに肢体を必死に隠していた妹には悪いが、確認のためにあえて回避しなかった。

 そう、個性能力ラッキースケベだ。

 前世では特になにも思わなかったが、今なら能力が発現する前兆だったと分かる。


 この次の日、つまり今日。個人的であるが、重要なイベントが起きる。

 『コースケ』は洗顔を済ませ、気合いを入れる。


 その日は寝坊してしまい、普段利用しないバスに乗って通学していた。


 そこで、俯いて具合が悪そうなうちの女子生徒を見かけた。ふと、目線を落とすと男性の手がお尻を撫でまわしていた。女子生徒が会社員らしきスーツの男性に痴漢されていたのだ。


 女子生徒の顔は見えなかった。だけど、その後ろ姿だけで、怯え震えていることが分かった。


 女性恐怖症ではあったが、それとこれは話が別だ。見てしまった以上は見逃すわけにもいかない。


 『コースケ』は痴漢男性の腕を掴もうと手を伸ばした、そのとき。


 ブレーキが道路をひっかく音がして、車内は態勢を崩した。『コースケ』にとっては最悪のタイミングで、その場で転んだ。


 そして、気が付くと――――なにがどうしてそうなるのか分からないが、目のまえの女子生徒がパンツを丸出しにしていて、『コースケ』の手には女性ものの学生服のスカートがあったのだ。


 もちろん、言うまでもなく個性能力ラッキースケベだ。しかし、運が悪いことに、まだこのときは自分の個性能力ラッキースケベのことに気付いていない。

 だから予備知識はなく、回避も対処もまったくできなかった。……ここで一度撤退していればよかったのだが

 そのことに気付かなかった『コースケ』は、服を女子生徒にどうにか返そうとして、さらに悲劇ラッキースケベがブレーキ音とともに起こしてしまう。

 次には学生服の上半身部が手にあって、今度はブラジャーが宙を飛び、最後にはパンツが弾けとぶ。それでも、くんずほぐれつは止まらない。

 わけが分からないまま結局、学校前に着くまで女子生徒はその裸体を公衆の面前で晒しつづけてしまうことになる。


 車内で体を縮こまらせ顔を伏せる女子生徒の悲壮感といったら。現世である今でも痛々しい記憶としてありありと思い出せる。

 なんとかお詫びをしたかったが、女子生徒は不登校になり、すぐに引っ越ししてしまった、と後日聞かされた。深いトラウマになってしまったことは言うまでもなかった。


 これが『コースケ』の人生において、最初にして最大のラッキースケベ。


 できることなら回避したい。せめて被害だけでも軽くしてあげたい。


 バス停にバスがやってくる。

 緊張に喉を鳴らす。ラッキースケベ自体を回避するだけならバスに乗らなければいいが、今回はそうも言えない。女子生徒は痴漢に震えていた。『コースケ』が、この『俺』が、それを知っている。


 ………たしかここらへんに


 記憶を辿りながら、混雑している車内を搔きわける。

 すると、見覚えのある女子生徒の後ろ姿を見つけた。スーツ姿の男性の陰に隠れて小さく身を縮めるように震えている。すでに痴漢行為が始まっているようだ。


 前回の失敗は女子生徒に近付いてしまったことにある。ラッキースケベは女性に近付けば近付くほど発生しやすい。


 学生鞄からあるものを取りだす。


 それは卵の形状をしたストラップ。

 いわゆる痴漢撃退グッズで、栓を抜くと大音量が鳴りひびく一般的なものだ。これを近くで鳴らして痴漢を撃退するっていう寸法だ。

 逮捕の確実性が低いのは難点だが、これが遠巻きからできる精一杯のアプローチだった。


 ………これでいいのだろうか


 栓に指をかけながら、引きぬくタイミングを見定める。


 本当なら変えちゃいけない。

 この痴漢事件をきっかけに、ケイジョウとの交友関係が始まる。痴漢事件でクラスから孤立していた『コースケ』にケイジョウは迷わず手を差し伸べてくれた。「ラッキースケベは個性能力。それはお前の体質であって、お前は悪くない」と慰めてくれた。『全員が笑顔で終われるように』が座右の銘と豪語していたケイジョウがクラスメイトと敵対してしまう道を選んだ。今にして思えば、ラッキースケベのおこぼれをもらうために近付いたのもあったと分かるが、それでも嬉しかった。

 けど、この世界じんせいでは……。

 彼のいない、すでに変わってしまった世界。そこで前と同じ人生をなぞって本当に意味があるのか。


 この感情を不安と呼ぶにはあまりにも明瞭すぎる。


 きっとこれはエゴだ。痴漢される女子生徒のためと言いつつ結局は自分のため。『最悪』を乗りこえられるのか、この手で試したいだけ……。


 頭を振る。


 ………今は目のまえのことに集中しないと


 ふと目線を下げる。栓に引っかけている自分の指が震えていた。


 ただ、引き抜く。それでいい。きっと迷いも断ち切れる。ケイジョウと仲良くなった事実ミライさえも……。


 ぎゅっと指先に力を込めた、そのとき。ブレーキが道路をひっかく音がした。


 ………! まずい!


 体勢を崩した体は、運命の引力のように女子生徒のほうへ引き寄せられる。


 必死に身をよじるが、女子生徒の制服に『コースケ』の手がかかる。


 ………っだめか!


 袖を引っ張られた女子生徒が振り返る、悲劇ラッキースケベが再現されるかという瞬間。


 顔と顔が向き合わさって。


 ………え?


 時間が止まった。


 その顔は見覚えがあって。

 喧騒はすでに耳に入らなくて。

 背景にいる人々も空白になる。


『運命って信じています?』


 いつか言われた質問。

 今なら確信を持って言える。

 運命はある。

 運命は超えられる。


 だって、今、目の前にその証明があるから。


「え?」


 予想外の再会に、お互い目を瞬かせて驚きを隠せない。


 マコト。


 女子生徒はまだ髪が長く幼い顔つきだったが、間違いない。マコトだった。


 自分でも気付かないうちに彼女の手を掴んでいた。勝手に、身体が動いてしまった。


「な、なんだキミは!」


 痴漢のスーツの男性は突然のことに慌てたのか、自分から声を荒げたてた。周囲の視線が集まる。マコトも震えながらこちらを見上げる。


 息を大きく吸って一言、『俺』は言った。



 ………「うちの彼女になに手ぇ出してんだ! この痴漢野郎!!!」



 …。



「あの、先ほどは助けてくださりありがとうございます」


 中学校前のバス停で、お辞儀をする女子生徒。肩を覆う黒髪に、まだすこし幼い印象が残る顔つきだったが、たしかにマコトだった。

 本当は感謝なんて要らなかった。むしろ、こちらが言いたいくらいだ。


 最初のラッキースケベ事件の被害者がマコトだったなんて、うれしいような、悔やむべきなような、複雑な気分だった。というより、そもそも同じ学校の同じ学年だったという事実に驚きを隠せなかった。


 そういえば「昔、こっちに住んでいた」と前世で会話した気がする。


 ………まさかこんなところで縁があったなんて


 いや、考えれば前世で『解けそうだった赤い糸を結びなおせた』『あなたの個性能力は近くにいつづけないと持続しない』と言っていた。元々どこかで縁を結んでいなければおかしかった。


「あの、それで……さっき言っていた『彼女』って」


 ドキリっと胸を叩いた。


 言いたい言葉がある。

 伝えなきゃいけない想いがある。

 だから――――と、口を開いた、そのとき。校舎からチャイムが鳴った。


「もう、始業ですね。同学年みたいなのでまたすぐに会えると思います。そのとき、謝礼とともに改めて挨拶に伺いますね」


 再度、深々とお辞儀をしたマコトは学校玄関に走っていった。

 手を振って見送る。

 そして、ギュッ……と一度その手を握りこんで、ジッ……と開いた手のひらを見つめた。


 本当は言いたいことがたくさんある。言わなきゃいけないことがたくさんある。けど、それは今じゃない。

 マコトにとってはこれが初対面だ。

 マコトの個性能力が発現して『世界の終わり』を予言を受けるのは、およそ一年先のこと。今はなにを言っても混乱させるだけだ。


 けど、良かった。

 再会もそうだが、それだけじゃない。


 理由はひとつしかない。前世で赤い糸を結んだから。この手はマコトと繋がっている。前世にあったことは決して無駄じゃなかった。それがたまらなくて、胸が熱くなった。


 二人は運命の糸で繋がっている。いつかまた必ず出逢える。


 だから、今、言う必要はない。

 さっきの言葉だって、痴漢を助けるための方便にすぎない。

 それは、いつかでいい。


 ………きっと、でかい土産話を持っていくから。必ず女神を見つけてだして、世界を、キミを助けるから。


 だから、待っていてくれ。マコト

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