∟[『 』な理由]
『放火、五件目』
試しにここ数週間の新聞を漁ってみた。すると、すぐにこの見出しを確認することができた。
直近で四日前に起きていて、最初の放火事件はおよそ一年前のこと。フサギの家が狙われたのは四件目だ。
そして、この事件はまだ未解決、犯人がまだ捕まっていない。
………今、自分はひどく失礼なことを考えている
この放火すべてが本当に同一の犯人の仕業なのだろうか?
自分が起こした火事を近所の放火魔の犯行に仕立てあげた、という可能性はないのだろうか?
火事は故意に起こすことができる。つまり、フサギは決して偶発的な理由で我が家に来たというわけではない。本意でなかったとしても、そこにはだれかの意思が介在している。
………ただ、彼女の見せた表情は……
頭を振る。情に流されない。一度そう決めたことなら最後まで突き通す。………でなきゃ、フサギにすら失礼だ
………逆に考えろ。もし放火犯が余罪すべてを自白すればフサギの潔白を証明できるんだ
少し進展の糸口が見えた気がした。
………家に帰ったら準備にとりかかろう
新聞の切り抜きを集めたノートを学生鞄にしまう。今は目の前のことに集中しなければいけない。
本日は中学校の入学式。
麗らかな陽気につられて木々は薄紅色を花開かせる。校長の長い賛辞と親御さんたちの期待を春風に乗せて、少年少女は中学校生活のスタートラインに立つ。
この学校生活では残念なことにフサギと別々のクラスになる。学校ではあまり交流はしてなかった。ただ、女神候補の一人、ケイジョウが同じクラスだ。
フサギは個性能力が分からなくて怪しいが、逆に『変形』が個性能力として分かっているケイジョウ。これはこれで怪しかった。
ケイジョウは『コースケ』と仲良くなったときにはすでに個性能力を発現していた。見方を変えれば、個性能力が発現してから『コースケ』に近付いたようにも取れる。
女神である反証として、ケイジョウが男性であるということだろうか。
監禁されたとき、女神の声や触感は女性のそれだった。ケイジョウが女神なんて考えすぎで、疑心暗鬼もいいところかもしれない。けれど『
仲良くなるのはまだ少しあとのことだが、『変形』が発現するまえにケイジョウの性別を確認する。それが当面の目標となる。入学してまもなく行われる身体測定日が狙い目だ。
入学式のあと、クラス分けされた教室で担任の先生から挨拶も終わり、すぐに放課となった。
………よしっ
覚悟を決める。身体測定日にケイジョウの性別を炙りだす。そのために、まずは軽くコンタクトを……。
自分の席から教室を見渡す。新入生たちの交流がすでに始めていた。
………あれ?
もう一度全体を見渡す。さすがに仲良くなるまえの座席の位置までは覚えていないが、しかし。
………?
教室前に張り出されているクラス分けの名簿にも名前がない。一年生時は同じクラスだったと記憶している。他クラスの名簿も確認する。が、どこにもない。
さらに何度か確認しなおしたが、やはりどこにもない。
………ケイジョウが、いない?
ケイジョウがクラスに、学校にいない。入学すらしていない。そうとしか思えなかった。
「あ、あの……」
声に振り返ると、髪の結び目が二つ、ツインテールが跳ねる。フサギだった。
「い、一緒に帰ろうって、と、トーコさんが」
もっと調べたかったが、渋々フサギとともに生徒玄関へと向かう。ちなみに『トーコさん』とはコースケの母親の名前だ。
………なにが起こった? いったい、なにが?
自分はまだなにもしていない。いや、なにもできていない。なのに、大きなズレが生じている。
ケイジョウが入学式にいたところを実際に見た覚えはない。かといって、転校してきた記憶もない。人知れず、最初から同じクラスにいた。そのはずだった。
………それとも、俺がなにかやらかしたか?
どこかで選択を間違えたのか、気付かないような小さなミスを積んでいたのか。それがいつのまにかに大きなズレとなって可視化されたのか。しかし、どんなに思い返しても原因の見当がつかない。それが分からなければ元凶を究明しようも……。
考え事の最中、突然、フサギに袖を引っ張られた。
「あ、あの人……」
玄関先に出たフサギが校門のほうに指をさした。
………あの金髪ポニーテールは
そこには、先日出逢った金髪の女性がいた。スーツを着ていて、雰囲気があのときとはまるで違うが間違いない。
………新入生の保護者だったか。いや、それより今はケイジョウのことを……あっ
そのとき、
金髪の女性。彼女に『コースケ』は実際に何度か顔を合わせたことがある。そう、ケイジョウの家で。
………そうだ、間違いない
彼女はケイジョウの母だ。ただ、『コースケ』が見たことあったのは金髪ではなく黒髪の姿だった。それも、昨日みたいなだらしない大人ではなく、ちょっとお茶目で快活な女性だったと記憶している。
母親が来ているということは、
だというのに、ケイジョウの母は子供も連れずに一人で校門から出ていこうとしていた。
………まずい!
彼女は今起きている異常の手掛かりだ。見失うわけにはいかない。ここで見逃したら迷宮入りしてしまう、そんな気がした。
「あらやだー!」
突然、女性の大声がした。校門近くの、おそらく新入生の母親たちだ。なにか会話をしているようだった。
「なんで中学校に来てるのかしらぁ? アレ」
「あら、本当。関係ない人は来ないでほしいわ。神聖な学び舎が汚れちゃう」
保護者たちのひそひそ話、というには声が大きい。あえてだれかに聞こえるように言っているのだと分かった。
………関係ない、ヒト?
どういう意味かはよく分からない。けれど、胸が妙に騒ついた。
………ごめん。ちょっと!
「え?」
呆け顔のフサギを置きざりにして、校門へと走る。
………もうあんなところに
校門を曲がると、斜向かいの道路にケイジョウの母が見えた。呼び止めようと口を開く。
………でも、なんて言えばいい?
ケイジョウはなぜいないんですか、なんて訊けるはずがない。けど、なんとしても真相を聞きださなきゃいけない。
………落ち着け。落ち着くんだ。今はどうすれば真相に辿りつけるのかだけ考えろ
深呼吸をひとつ。目前の状況を見定める。
前世になぞられた現世の人生。自分が知るかぎり、これを変えられるのは『俺』か、『女神』しかいない。
………ということは、この異常は女神案件である可能性が高い
今、異常の原因を究明したほうがいい。その直感のままに走りだす。
あまり気乗りはしないが、そうも言ってられない。
………今からケイジョウの母を尾行する!
…。
学校から徒歩一時間弱。傾いた太陽がすこし赤みを帯びてきたなか、古ぼけた借家が見える。あまり大きいとは言えない外観は、その一面によくわからない植物の蔦が覆っていた。
ここがケイジョウの住まい。
ケイジョウ家には数回ほど遊びに行ったことがある。しかし、見た目が違う。あのときは古ぼけていてはいたが、もっと手入れはされていて生活感があった。
………やっぱり、なにかおかしい。ナニカが起きてる
とりあえず、なんとか気付かれずに跡をつけられている。
しかし、その借家の前でケイジョウの母は立ち止まってさっきから動かない。入りたくても入れないのだ。ドアの前に人がいるから。
………だれだ?
タバコをふかす三十手前くらいのスーツの男性となにか喋っている。しかし、内容までは聞き取れないが………なにか口論してる?
ケイジョウの母の語気が凄んでいっている。男のほうも地面に唾を吐いたりと雰囲気がよろしくない。
しばらくして、ケイジョウの母が観念したのか、一緒に家の中へと入っていった。
………裏手に回ろう
家へ直接乗りこむのもやぶさかではないが、まず周囲を確認する。これが女神案件なら用心に越したことはない。
………だれだろう、あの男性は
ケイジョウはいわゆる片親の家庭で育てられてきた。父親はいないはずだった。
その片親というのもズボラで放任主義が目立つ、母親というにはあまりに素っ気ない態度だった。けれど、親子間の愛がないわけではなかった。
経済的に決して裕福とは言えず、しっかり稼ぎに出ないといけない。家庭にいる時間、親子の接する時間が少なく、互いにどう接すればいいのか分からない。親子という関係に不器用な母子、という印象を二人からは受けた。
ベランダにたどり着く。ガラス張りの引き戸には内側からカーテンがかけられていて、残念ながら中の様子は見れない。
ベランダには洗濯物が干されていた。紫色のランジェリーだった。それも、向こうが透けて見えるような際どいものに見えた。
………傍から見れば完全に下着泥棒だな、これ
タオルケットが物干し竿に干されており、内側に隠すように下着類がある。そのおかげで周囲からはこちらの姿が視認しづらいことが幸いだった。
見つからないうちに敷地内から退散しようと足を運ぼうとする。そのとき、大声がした。
瞬間、背筋が凍る。
声の出所は家の中からだった。
………な、なんだ?
そっと、ガラス越しに耳を付ける。
「今ごろ帰ってきてどういうつもりかって訊いてるのよ!!! 言っておくけど、金なら無いわよ。肉体目的ならなおさらよ。アンタには指一本触れさせたりしないから!」
「おー怖い怖い。まぁ、あのことについては悪かったつっーてるだろう?」
男性と女性の口喧嘩。かなり声を荒げているが、口ぶりからして親しい間柄だろうということは推測できた。
これでもかと、さらにガラス越しに体ごと耳をぴったりと押し当てる。
「アンタはいつもそう! 謝ってるのは言葉だけ!」
「んども言ってるけどなァ、ユーキが逃げだしたのがそもそもの原因だろ? なら、ユーキも同罪だろ。一方的に責められる謂れはねぇよ」
「アンタはそうやっていつもいつもいつも! 大事なときにかぎって側にいてくれないじゃない! アンタがちゃんとしてくれてれば、あの子だって……」
「ちっ、またその話かよ。いつまでもいつまでも……俺がいなかったときに流産しちまった子なんか忘れちまえ!」
「っ、アンタって人は……! 言っていいことと悪いことがあるでしょ!? あの子は死んだんじゃない! アンタが殺したの! 殺した殺した殺した! アンタが殺した!」
「はっ。またヒスりやがったか」
「アンタのせい! アンタがしっかりしてたら、あの子だって……ケイジョウだって死なずに済んだのに!」
………思考が追いつかない
ケイジョウ。
死ナズニ済ンダノニ。
流産。
忘レチマエ?
まるで。それじゃ。まるで。
ケイジョウが死んでしまった……生まれてこなかったみたいじゃないか
「あの子がちゃんと産まれていれば、今頃、学生服姿で……!」
「それで入学式に行ってきたってのか? お前は忘れられないんじゃなくて、過去にしがみついてるだけだろ!!」
次第に膨れあがる双方の怒鳴り声。叩く音。叩かれる音。ガラス質の割れる音。うるさい。うるさくて、聞いてられなくて、耳を塞ぐ。それでも、怒声は両手をすり抜けて、いてもいられなくなって、逃げるようにその場から走り去った。………だって、こんなのオカシイ。ケイジョウは産まれてこなきゃいけないんだ
ドクドクドクッ――と血管が逆流しているような、全身に駆けめぐる気持ち悪い感触。わけの分からない恐怖にしがみつかれた心臓をぶら下げて来た道を辿る。
何が起こったのか。何をしなければいけないのか。世界の雑踏が不協和音を奏でている。噎せかえるような夕日のニオイが喉に張りついて、うまく呼吸ができなくて、平衡感覚も保てず、ぐにゃぐにゃした現実感のない地面を必死に踏みしめながら、途方に暮れた。
なにが、どう、なってる?
ケイジョウは、ドコに、いった?
ジブンは、ドコを歩いて、いる?
この世界は、ナニカが、ズレて、いる。
―――ふふっ
耳元で女神が笑っている。そんな気がした。
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