∟[『フサギ』がツインテールな理由]
ちらり、ちらり……と。
もの言いたげな眼差し。交わりそうで交わらない視線。春の陽気とは裏腹に、感情から言葉へと変わる直前の緊張感が空間を張り詰めさせていく。
試しに声をかけようと振り返る。
「えっ、あ。ご。ごめ、……んなさい」
「…………」
フサギは謝って一歩後ろに退いた。
今日は服屋へ採寸しに来ていた。急遽、こちちの校区になったフサギのために新しい学生服が必要になったのである。今はその帰りの道中で、なぜか二人っきりだった。
さっきまで『さて、仕立ても終わったので、お母さんはこれからフサギちゃんに町を案内しまーす!』と意気込んでいた母親も、いつのまにかに姿を消している。きっと迷子になったのだ。コースケたちではなく、"母親が" 迷子になったのだ。『コースケ』の人生でこういった経験は実のところ珍しくない。おっちょこちょいというか、そういう気質なのだ。個性能力レベルの頻度で遭遇しているが、生まれつきらしい。今回出かけるときも父に『母を頼んだぞ』と毎回言われていたわけだが、例のごとく今ごろ交番の厄介になっているのではないだろうか。
ということで、フサギと二人っきりで会話もなくただ歩いている。
「…………」
一歩進む。フサギも一歩だけ進む。立ち止まると、一緒に立ち止まる。一歩下がると、一歩半下がる。いつも『コースケ』の三歩後ろほどの定位置で付いてくる。まるで雛だ。
この極度の人見知りが、約一年後にはまさか『コースケ』を見るなりシャドウボクシングをしてくるほど逞しくなるとは………いや、フサギが拳を向けるようになるのはあくまで『コースケ』が元凶なんだけど
………今でこそ見る影もないが
手を伸ばせば届くか届かないか、というギリギリの距離。打ち解けたいと思っていることは気付いていた。が、どうしようもなかった。自分で言うのもなんだが、この頃の『コースケ』は最低な人間だった。女性恐怖症がまだ色濃かった時期で、夜な夜な女神の悪夢にうなされていた。なにをするのにも消極的。息を殺したような生活だった。
今回の人生は、前回の『コースケ』の人生をできるだけなぞってきた。タイムパラドックス……とまでは言わないが、こちらの細やかな行動の積み重ねで未来が変わってしまわないように警戒した。少なくともマコトに逢えなくなるのだけは避けなくてはいけない。主戦場はあくまで個性能力が発現したあとなのだ。
しかし、女神候補の筆頭である『フサギ』を目の前に何もしないというわけにもいかない。候補の理由は、自然と『コースケ』を監視できる妹という肩書き、それも、ある日突然現れたという不可解さが一つある。だが、それだけじゃない。前回の人生でフサギは個性能力が分からなかった。
個性能力の発現は第二次性徴期と言われているが、個人差がある。
なので、発現していなかった可能性もあるが、発現していた可能性もある。もし発現していたのならその能力は未知数だ。
ともかくフサギに関して、知っているようで知らないことが多い。少しでも多くの判断情報が欲しい……というところで二人っきりのこの状況。
「…………」
「…………」
女性恐怖症とラッキースケベのせいで互いに避けるようになるので、こうして二人きりなのは珍しい。むしろ、家以外で二人きりになるのはこの機会を残して数回だったはずだ。時間はない。
もちろん、無策のままここにいるわけではない。
振りかえると、腰までまっすぐ伸びたフサギの髪が、びくっと揺れた。
………やっぱり、警戒されてるか。しかたない
ポケットからあるものを取りだす。
赤い球体がふたつ、さくらんぼような髪飾り。ちょっと子供っぽいファンシーグッズだ。
これは前回の人生でもフサギにプレゼントしたものだ。
女性恐怖症の自分がいつも後ろに付いてくるのをどうにかしたくて「これを自分だと思って……」と、『コースケ』の身代わりとして渡した。結果的にもっと懐かれて失敗した。ただ、すぐあとに
だけど、一瞬だけ。そう一瞬だけだが、二人の距離が近づいた。それはたしかだった。
髪留めを受け取ったフサギは慌てながらも、その場で髪をくくる。
ぴょこんっ、と髪の束がふたつ。ツインテールが跳ねた。
「ど、どう、かな?」
個人的にこっちのほうが見慣れた姿だ。素直に似合っている。感想を伝えると、照れくさそうにフサギの目が泳いだ。
………よし、好感触っ。このままこちらに引き取られた理由を
そのままの勢いで質問を投げかけると、「え?」と一言。驚いた表情をした一瞬だけ見せて、顔を伏せてしまった。
………あ、気まずい……というか、まずい?
さらに警戒された気がする。急ぎすぎた。もうワンクッションはさんでおけばよかったなんて後の祭り……
「あのー、そこのボクたちぃ。ちょっといいかなー?」
しどろもどろに失言を取り繕っていると、突然、ハイヒールの甲高い音が近づいてきた。
二十五歳前後くらいだろうか、金髪のポニーテールを揺らしている女性だった。生え際が黒く、地毛というわけではないようだ。Tシャツもゴムがヨレヨレで肩から谷間まで露わになっている。見るからに手本にしてはいけない系の大人だった。
フサギは『コースケ』の背後にさっと隠れてしまう。
「あ、いや、怪しいものじゃなくてね。ただ道をお訊ねたいなーって。ここらへんにある中学校のこと知らない? ここらへんのはずなんだけどさー?」
ここらへんの中学校っていうと知らないはずがない。ちょうど今度入学する学校だろう。簡単に教えられるはずだが、違和感が首をもたげる。
『コースケ』はこの人物と面識があるのだ。その感覚はたしかにある。しかし、その『だれか』が分からない。それに………こんな
正直まったく記憶にない。もしかしたら忘れているだけかもしれないが、ボタンを掛け違えたような気持ち悪さが喉元で詰まる。
………もし経験済みなら、なんだ、この
とりあえず口頭で道順を教える。さきほど行った服屋は中学校の提携店、そのすぐとなりだった。
「あー、あそこかー。ありがとねー。あ、これ。お礼の飴ちゃんね」
ひらひら、と飴を見せびらかされる。
行動が不審者のソレすぎて顔をしかめる。その一挙一動はやはり見覚えがなかった。
そのとき、突然フサギに袖を引っ張られた。そして、手になにかを握りこまされる。
………なんだ急に?
それは絆創膏だった。
本当に藪から棒に手渡された。渡して渡されて………なんだこのプレゼント合戦は
「お、お姉さん、顔、怪我してる、から」
………え?
そう言われて、もう一度金髪の女性を観察する。顔の左右で比べてよく見ると、たしかに化粧に不自然なところがあった。
………これは、痣?
ファンデーションの向こうに赤黒い痕が透けて見えた。
「…………あー。じゃあ、お気持ちだけもらっておくね、優しいお嬢ちゃんたちっ。ありがとねー」
金髪の女性は絆創膏に口づけして、半ば逃げるように中学校の方角へ去っていった。
どこのだれでなんだったのか分からずじまいで、ボタンを掛け違えたような奇妙な違和感だけが残った。
「……知り、たい?」
キュッ、と袖を引っ張られたままのフサギが言った。
「知りたい、の? フサギが、こっちに、引き取られた理由」
一瞬、あの金髪の女性についてなにか知っているのかと思ったが、そういえば話の途中だった。
「このままで話しても、いい?」
袖を引っ張る力、その握力が増すのを感じた。
頷くと、フサギは意外にもあっさりと答えてくれた。
まず、元々フサギが住んでいたのは、この地域から六駅ほど離れた地方だった。
その近辺では放火事件が相次いでいた。この時点でもう察するものがあったが、フサギの家庭も火事に遭った。家は全焼、両親もなくなってしまった。それで、宛てもないフサギをコースケの父母が引き取った。
フサギの拙いながらも必死に伝えてくれた話をまとめると、そういうことらしかった。
「あの日は……犬の鳴き声がよく響く夜で、フサギは自分の部屋で眠ってた。熱にうなされて目を覚ますと、白いはずの部屋が真っ赤……だったの」
さらにフサギは小さく語りはじめた。
あえてなにも言及せず、黙って聞く。
「赤い光が、部屋のドアを蹴破って、地面が熱くて暑くて、ぱきんっ……ぱきんっ……って、ずーっと……木が割れるような音がしてて、なにが起こったのか、分からなくて、震えて、それで……世界が赤くて赤くて、天井の黒い雲まで赤く咽せかえって、どんどんどんどん真っ赤になっていて……! 火事! 自分の体がここにある、体が動かせる! ……って気付いたときには、もう逃げる場所が……」
話を聞いていくうちに自分のことが恥ずかしく思えた。
前回の人生で、そんな悲惨な目に遭った彼女と五年以上同居していた。毎日顔を合わせておきながら、自分はなにも知らず、知ろうともせずに、のうのうと生きていた。これが恥と言わずなんだっていうのか。
「……熱気に吹かれないように、赤い煙幕を吸わないように、身を小さくして、走りぬけた。でも、視界がユラユラと歪んで、自分の家なのに右も左も分からなくて、どこに行けば出口なのか……そんなとき、お母さんが……いたの……っ…、…」
………震えてる?
「……柱の下に下敷きになってる、お母さんがいたの。助けようと急いで近づいたら、剥き出しになった建材が、フサギのほうに倒れて……目をぎゅっと瞑って次に目を開けたら、目の前にお父さんが、倒れてくる建材の下にお父さんが……フサギの、身代わりになって……」
微かではあるが、袖から伝わる。吹けば消えてしまいそうなか細い力。
自然に自分の手に力が籠っていくのを感じた。
「……フサギはお父さんとお母さんの手を、力いっぱい握った。震える私の手を、お父さんはぎゅっと握ってくれた。不安なとき、いつもそうしてくれた。お母さんの手は、お買い物するときに握ってくれた、楽しくて優しいいつもの手だった」
「でも、気が付くと、手にはだれの手もなくて、お父さんの手もお母さんの手もなくて、フサギは外にいたの。自分だけ逃げだしたの。燃える自分の家をぼぉーっと、見てた。跡形もなく、燃え尽きるまで、ずぅーっ、と」
『コースケ』の服の袖をもう一度ぎゅっと握ってくる。
「こっちに来て、不安だった。けど、お父さんもお母さんも優しい人で、うん……本当に、良かった。……だから、だからね。……手手を繋いで、ほしい」
俯いたフサギの表情はうまく掴めなかった。
なんといえばいいか、ところどころ文脈は滅茶苦茶だったが、行間は感じるものがあった。
フサギにとって手を繋ぐという行為は、特別なものなのかもしれない。無防備なその小さな手は、今にも泣きだしてしまいそうに独り震えている。
………もしかして、もしかしたら。前回の人生みたいに仲違いしてしまわずに、仲良く、それこそ『兄妹』になれた。そんな未来もあったんじゃないか?
『コースケ』がこの小さな手を、手に取れば……。
………っ
『俺』は決心して、言葉を口にする。その言葉は震えていたと思う。それでも、言葉を必死に繋いで、言い切る。
………「い、イヤだよ。だれかに見られると恥ずかしいし」
サッ、とフサギは袖のうちに手を引っ込める。そして、「そ、そうだよね……」と笑った。
ズキリ、と胸が痛んだ。
そのぎこちない笑顔は不器用でしかたなくて、『コースケ』も同じ表情をしている気がした。
でも。
バタフライ効果――マコトと出逢うまでは、個性能力が発現するまでは、未来が変わらないように『前回』をなぞらないといけない。『コースケ』と『フサギ』は仲違いしなきゃいけない。
………だから、これで良かったんだ
目前の情に流されて本来の目的を忘れてはいけない。これは間違った行為かもしれない。けど、正しい選択なんだ。
………運命なんて、クソ喰らえ
吐き出しそうになった言葉を必死に奥歯で噛みしめた。
『コースケ』は歩きだす。フサギも後ろを付いてくる。その距離は三歩後ろ、さっきと同じ定位置だった。なのに、なぜかさっきよりも遠くに感じた。
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