第九話 力




     *          *




 見慣れた場所。

 家の庭。

 植木や花壇なんて物はなく、土が敷き詰められているだけ。

 がらりと音が鳴ったので建物の方を見た。

 引戸を開けて母が立っている。

 手に木刀を持った稽古着姿。


「素振りは終わったよ、お母さん」


 声変わり前の声で言う。


「手を抜いたでしょう?」


 庭に下りた母の声は冷たく。


「僕、ちゃんとしたよ。頑張ったよ」


 涙声で言う。


「だったら何でそんなみっともない格好なの!」


 母の怒声を浴びた途端、身体中に痛みが走った。

 胴体と太ももに深い裂傷が五本もあり、そこから血が流れ出ている。右肩も力が入らない。


「仕方ないだろ? あんな化物相手にこれ以上どうしようってんだ」

「弱音なんて聞きたくない!」


 目を吊り上げて怒鳴ってきた。


「母さんはいつもそうだ……。俺の言う事なんて少しも聞かず、ただひたすらぶっ叩く」


 顔を歪めてしまう。


「あなたは継承者なの。シャンとなさい!」

「何で俺なんだよ! 香那かなで良いだろ! 香那の方が良いだろ!」

「そう、香那でも良いのよ。貴方である必要はないの、本当のところ」


 距離を取りながら母は回り込む。


「え? 何だよ、それ……」


 思わず半笑いになる。


「自分に何か特別な物でもあると思った? 何か眠っている力があって、それを発揮していないだけ。ぐうたらしながらも、そういう期待を抱いていた。違う?」

「そんな訳……」


 どうだろうか?

 自分に問いかけるのが怖かった。


「ないの、そんな物は。今、そこにいるのがそのまま貴方。継承者は誰がなってもいい。ただ、継承者たらんとする自負が大切なの。自負さえあれば、貴方は継承者として強くなれるはずだった」

「でもそれは失敗したんだ。反動で俺は空っぽの人間になっちまった」

「ああ、私のせいなんだ?」


 冷たい視線で言われてうつむいてしまう。


「……いいや、自分の弱さに負けて逃げ出したのはあくまで俺だ」

「分かってるじゃない。私の言う事を聞かなかったから、貴方は弱いままなのよ」

「でも、母さんのやり方は失敗だった。ただ俺を苦しめただけなんだ!」


 顔を上げて胸の内をぶつける。

 母が唇を噛みしめた。


「何であんなに情けないんでしょう?」


 母が不意に横を向く。

 そこにいるのはむさ苦しい武芸者。

 赤坂刑部あかさかぎょうぶ


「儂もお主も強すぎるんじゃ。此奴こやつのような弱い奴の事なんぞ、分からんのだ」

「本当に参りますよ。香那の事ならよく分かるのに、この子の事はさっぱりなんです」


 ため息混じりに頭を左右に振る。


「此奴は此奴なりに頑張りを見せおった。お主が生きておった頃から今日までずっと、此奴なりに生きてきたんじゃ。それを認めよ」

「嫌です。この子はいっつも泣き言ばかり。あの程度の稽古でへこたれるなんておかしいですよ」


 顔を向けて不思議そうに首を傾げる母。


「分かったか、小僧」

「何がですか?」

「お主が強い母や姉の事が分からぬように、母も弱いお主の事なんぞよく分からんのだ。それを知れ」

「母を許せって言うんですか?」


 母には相変わらずわだかまりがあった。


「それは妙です。何で母親が息子に許してもらうんですか? まるで私が悪いみたいじゃないですか」

「後ろから斬り付けておいて、よくそんな事が言えるな!」

「あの程度でガタガタ言うな!」

「ええい、黙らんか!!」


 刑部が一喝する。


「何故儂が子孫の親子喧嘩の仲裁なんぞせねばならん。儂が出てきたのはお主に力を授ける為じゃ」


 流派の開祖が強い視線を送ってきた。

 どうにか目を逸らさずに見つめ返す。


「……俺に?」

「ああ、お主は弱っちい分際であの化物相手にようやっておる。儂の子孫として、儂が残した因縁を今こそ絶て。その為の力を授けよう」

「反対でっす!」


 母が勢いよく手を上げた。


「何故じゃ?」


 うんざりしたように剣豪が訊く。


「そうやって力を貸すとこの子は慢心します。あくまで自力で切り抜けるべきなんです」

「じゃが此奴にはもう力が残されておらんのだ。儂が力を貸さねば危機に陥った女子おなご二人を助けられん。二人とも儂とはえんのある者じゃ」

「だったら香那に力を与えて下さい。あの子なら安心です」


 自分の言葉にうなずく母。


「やっぱり母さんは香那かよ」


 絞り出すように声を出す。


「言ってしまえばそうよ。私は二人とも平等に愛そうとした。でも、どうしたってお気に入りは香那なの」

「ぐぅ……」

「そういうもんじゃ。親と言えどもしょせん人間。子供の理想通りには行かぬと知れ」

「そういうもんなんですね……」


 諦めのため息をついてしまう。


「力は虻切あぶきりを持つお主に授ける。ただし代償があると心得よ」

「代償……ですか?」

「そうじゃ。儂の虻切はすさまじい力を持っておる。それをつかえば数多の敵、あるいは苦難を呼び寄せるじゃろう。お主はそれを切り抜けねばならん」

「こんな弱い子に出来るのかしら?」


 疑わしげな視線を隠そうともしない母。


「心配はいらん。此奴は弱いなりに強く生きていくじゃろう。何しろ儂の子孫なんじゃ!」


 ご先祖が破顔する。


「結局最後は自分なんですね」


 母はうんざり顔。


「さらばじゃ、小僧! 儂の友を救うてやってくれ!」

「はいっ!」


 刑部が遠ざかりながら消えてゆく。




 ……庭にはまだ母が突っ立っている。

 その手に持っているのは木刀ではなく模造刀だ。

 切っ先からは血が滴り落ちている。

 母は無感動にその刃を眺めていた。


「模造刀で助かったわね」


 冷たい声で母が言う。


「え?」


 思いがけない事を言われて聞き返す。

 背中の斬り傷の跡がじんじんと痛む。


「私の手元に真剣がなくて幸運だったわね、と言ってるの。その幸運を噛みしめながらこれから生きるがいいわ」

「そういう言い方ってないだろ!」


 思わず怒気をぶつける。


「でも事実よ。何でこんなに情けない奴が私の息子なんだろう。あまりにもムカムカしたから叩っ斬ってやったの。あの時くらい真剣が欲しいと思った事はなかったわ」


 あくまで冷然と言ってのけた。


「じゃあ、何であんなにうろたえてたんだ?」

「うろたえる? 何の話?」

「斬り付けられた直後、振り返った俺は母さんの顔をちゃんと見ていた。母さんは今まで見た事がないくらい情けない顔をしてたんだ」

「そんな事ないわ。私は一撫流いちぶりゅうの継承者だもの。その気になれば人を斬るくらい余裕よ。ましてや情けない息子なんだし。平気。冷静。全く動じない」


 そう言いながら、母は視線を彷徨わせている。

 明らかに動揺していた。


「確かに俺が手術してる間も普通に稽古してたし、警察の取り調べでも平然としてた。そう聞いてる」

「その通りよ」

「でも、斬った直後はうろたえてた。本当は後悔してるんじゃないのか? やり過ぎたって」


 何とか母から正直な気持ちを引き出そうと訴えかけてみる。

 しかし母は背をそびやかせて動揺を表から消し去った。


「私は微塵も後悔してないわ。衝動的に斬り捨てたのは認めてもいいけど、あなたが斬られて当然な情けない息子なのは紛れもない事実。理は私にあり」

「そうか……」


 どこまでも強気な母から何も引き出せそうもない。

 諦めるしかないのだろうか。


「……尤磨ゆうまは根本的な所が分かってないと思うの」


 母が不意に言葉を発する。

 落ち着かず視線を左右に漂わせている。


「どういう事?」

「私はほんのちょっぴり厳しく尤磨に稽古を付けていたわ。でもね、私は別に尤磨を憎く思ってたわけじゃないの。情けない奴だなぁってイライラしてたけど」

「ちゃんと俺の事、愛してくれてたって事?」

「これ以上余計な事を言うのは柄じゃないわ。もう戻るわね。香那とお父さんによろしく」


 母は勝手に話を打ち切ると、すたすたと建物の方へと歩いていく。

 家の中に上がり込み、背を向けたまま引戸に手をかけた所で顔だけ向けてきた。


「私は絶対に謝らない」


 すぐに前を向くと後ろ手に戸を閉めた。


「死んだ後くらい素直になれよな」


 ため息をついてしまう。




     *          *




 意識を取り戻した尤磨の目の前には虻切が納められていたほこら

 身体からは痛みが消え失せている。


「きゃっ!」


 尤磨が声のした方を向くと、香那が刀を構えたまま木に背中を打ち付けた所。


「香那!」

「私より椿ちゃん!」


 着地した香那が刀で指し示した方には木にもたれ掛かってぐったりしている椿。

 黒い四本足のヤツがゆっくりと身体を巡らせ椿の方を向こうとしている。


「させるかよ!」


 腰元に差してある虻切のを持って引き抜く。

 危うく吹っ飛ばされそうになる。

 とてつもない力がそれから放たれていた。

 見た目はただの日本刀。幅広で、肉厚の。

 目に見える光を放つ訳ではない。

 意志を持って動く訳でもない。

 しかし、と思わせる力が確かにあった。

 そしてつばに彫られた仏像の畏れ伏したくなる存在感。

 尤磨はその虻切を薙ぐ。


「くぇああっっ!!」


 尤磨に向かって振り上げられた尾を根元から切断した。


「駄目っ! まだ生きてる!」


 今まで戦ってきた香那の叫び。

 本体目がけて形を変えながら落下する黒いモノを、尤磨はよく狙いを付けて虻切で斬り上げた。

 刃で裂かれた黒いモノが白い粒子の塊に変わり、そのまま拡散して消え失せる。


「いける!」


 尤磨と香那が同時に呟く。

 尤磨はまず椿目指して駆けた。


「くぇあっ!」


 餓鬼が二本足で立ち上がる。

 腹だった所にある口を大きく開けると、胴の半分以上が口になった。

 そのまま椿の方へ倒れかかろうとする。


「させるかっ!」


 尤磨は虻切を撫でるようにして薙ぐ。

 母の教えの通りに。


「くぇっ!!」


 虻切に足を斬り落とされてジロベエが大きく体勢を崩す。

 その隙に尤磨は椿の側へ。


「うう……尤磨……」


 椿はどうにか意識を取り戻しているようだ。

 しかし木にもたれたまま自力で身体を起こす事すら出来ないでいる。

 彼女を背にして尤磨は敵に向かう。

 ジロベエは足の代わりに両手で立ち上がった。

 尤磨の方に向ける足は腕より大きく爪も太い。


「尤磨、右!」


 香那の声に反応すると、斬り落としたはずの足が巨大な槍となって飛んできた。

 尤磨はその突端に刀の切っ先で触れる。

 すうーっと槍が裂けていく。

 黒い槍の裂けた部分が白い粒子の束に変わり、周囲に拡散して消え失せる。


「すごい……」


 椿の呟き。

 最後には槍は欠片かけらも残さず消え去った。

 すぐに尤磨はくるりと反転し、鋭く刀を上へやる。

 ちょうど尤磨目がけて振り下ろされた足を縦に裂く。

 両断された足は白色に煌めいてからきれいに消え散った。


「くぇあああああっ!!」


 のけ反るようにして餓鬼が尤磨から離れる。

 ぐにゃりとジロベエの表面が歪むと、黒いソレは大きな一つの玉になった。

 その玉がみるみる小さくなっていく。


「凝縮しておるのか?」


 椿の呟きからは戸惑いと緊張が伝わってくる。

 やがてそれは人と変わらない大きさに。

 いいや、手と足があり、頭もある。

 真っ黒い人が現われた。

 武芸者の格好をし、抜き身の刀を手にした男。


「人間? 彼方次郎兵衛あちらじろべえか?」

「いいや、あれはあくまで餓鬼じゃ。餓鬼なんじゃ!」


 尤磨の後ろで椿が強く言う。

 彼方次郎兵衛は強くならんとして邪悪な術を使い、しかし失敗して餓鬼に堕ちた。

 彼が望んだのは宿敵の赤坂刑部を倒す事。

 その強い執念によって彼は四百年以上の長きに渡って餓鬼であり続けた。

 娘である椿を苦しめながら。


「ぎょうぶ……ぎょうぶ……」


 黒い人形ひとがたがどこまでも暗い声でうめいた。


「彼方次郎兵衛の執念、そのものだ」


 尤磨は呟く。

 椿を宿命から解放するには次郎兵衛の執念を消し去らねばならない。

 目の前のアレを倒せば、奴の歪みきった執念を打ち砕ける筈。


「やるぞ、尤磨!」


 次郎兵衛の後ろで満身創痍まんしんそういの香那が刀を構える。

 不意に黒いヤツがそちらに何かを投げ付けた。


「くっ!」


 避けようとした香那だが間に合わない。

 脇腹に小柄こづかのような黒い切片せっぺんが刺さる。


「香那っ!」


 香那が大きくよろめいた。

 手に持つ刀を杖にして堪えようとしたが、傷は深く膝を地面に付けてしまう。


「尤磨、アレを倒せ!」


 香那が鋭く叫んだ。

 香那も椿も動けない。

 尤磨がやるしかなかった。

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