第七話 刀を求めて

 朝、尤磨ゆうまはベッドの上で目を覚ます。

 床を見てみると、椿は敷かれた布団の上で向こう向きに寝ている。

 あれから泣き疲れてそのまま寝てしまったのだ。

 しばらく彼女の背中を眺めていると、そーっと部屋の扉が開かれた。

 顔を出してきたのは香那かな


「あれ? 何で別々に寝てるの?」


 驚いた顔。


「ヨコシマな事はするなって言ったのは香那だろ?」

「この、ヘタレめがっ!」


 唾を吐く真似をしてから顔を引っ込める。

 どこまでも下世話な奴。






 尤磨がダイニングで和食の朝ごはんを食べていると、寝ぼけ眼の椿がようやく起きてきた。


「おはよう、椿」

「むぅ……おはよう……」


 まだ半分くらい寝ているようだ。

 微笑ましくて尤磨は和んでしまう。


「顔洗ってきなよ。歯ブラシも出しておいた」

「むぅ……すまんの……」


 よろよろと出ていく。

 尤磨がテーブルの上にご飯とお味噌汁、焼き鮭を並べていると、顔を洗って目が覚めたらしい椿が戻ってきた。


「いい匂いじゃ」


 にんまり笑う。

 長い放浪生活のせいなのだろうか、椿は随分と食い意地が張っている。

 二人で食事をしていると、キッチンにいた香那がテーブルの上に身を乗り出してきた。


「じゃじゃ~ん! 今日のお弁当だよっ!」


 弁当箱を突きだし得意満面といった表情。


「ほほう、美味そうじゃの」


 椿が素直な感想を述べる。


「見た目だけはな」


 その実態を知っている尤磨は、キッチンでごそごそしている香那を見た時から憂鬱な気分に陥っていた。


「失礼な! 今日は上手く出来たって!」


 毎回そう言う。

 そして毎回酷い目に遭わされる。

 大雑把な性格のこいつは、適当に味付けをしたロクでもない料理しか作れないのだ。


「というか、丸っきりピクニック気分だよな」


 尤磨は死地に赴く覚悟なのに。


「何事も楽しむのが私の主義なのさ」


 得意げに胸を張る香那。


「そういう性格じゃと長生きが出来るぞ」


 楽しげな椿は皮肉で言っているのではなさそうだ。

 椿が食べ終わると、テーブルで新聞を読んでいた父が立ち上がった。


「さ、椿さん。これを」


 手渡したのは椿が着ていたセーラー服。


「おお……」


 椿が広げてみると、背中にあった大きな五本の破れがきれいに直されてあった。

 文字通り、父は夜なべをしてくれたのだろう。

 ちなみに尤磨のジャケットも直してくれていた。


「ありがとう、父君」


 ぎゅっと胸に抱いて涙ぐむ椿。


「そのセーラー服にはどんな思い出があるの?」

「ん?」


 聞いてきた香那に椿が顔を向ける。


「友のお下がりじゃ。六十年近く前かの」

「六十年前! 今じゃお婆ちゃんだね」

「生きておったらのう……」


 暗い面持ちで言う。


「そっか」


 それ以上は香那も聞かない。

 尤磨に語ったように椿は多くのつらい記憶を抱えながら生きてきた。

 だけどその中には、今でも大切にしているつらいだけではない思い出もあるのだろう。






 そして準備を整えて家を出る。

 椿は直してもらったばかりの赤いスカーフのセーラー服に黒のタイツ。髪はうなじの辺りで一つにまとめ。

 香那は黒い薄手のセーターの上にグレーのピーコート。そして八分丈のスキニーなデニム。明るい色の癖毛は耳の辺りで左右に分けてまとめた。

 尤磨は白いカットソーに椿と出会った時と同じベージュのワークジャケット。それにデニムパンツ。どうせ戦って傷付くのだから既に傷のあるジャケットでいいと思ったのだ。茶色く染めた短い髪はワックスで適当に散らす。

 父は忙しいエンジニアなので今日も出勤。姉弟は学校をサボる。


「病気でもないのに学校サボるなんて初めてだよ」

「香那は学校大好きだもんな」


 尤磨はしょっちゅうサボっていた。学校は好きでも嫌いでもない。

 目的地たる母の実家がある山奥へは電車とバスで四時間程。向こうへ着いたらちょうど昼時だ。

 朝の電車は混んでいたが、乗り換えた田舎のバスは空いていた。

 尤磨には少し気になる事がある。

 電車に乗る時、椿は財布を出して運賃を払おうとしたのだ。

 断固として香那が払ったのだが。


「あのお金ってどうしたの? 賽銭泥棒とか?」

「お、お主は儂を何だと思っておる。ちゃんと稼いだお金じゃ」


 厳しく椿が睨み付けてくる。


「へぇ、椿ちゃんて戸籍すらない筈だよね? 働けるんだ?」


 香那も話に入ってきた。

 戸籍を作る方法なんて尤磨は知らないが、長生きし過ぎている椿だと確かに戸籍なんてなさそうだ。


「うむ。親切な者と出会えば、身元保証人になってくれる事があるんじゃ」


 長い人生の中ではそういう事もあるのだろう。

 高校生の尤磨にはよく分からないが、世の中案外どうにかなるようだ。


「どんな仕事するの? 働いてる椿ちゃんて今いちイメージ湧かないんだけど」

「カフェの給仕をする事が多いかの。普段は人を避けておるんじゃがな、たまにのう……人恋しくなるんじゃ、儂は……」

「寂しがり屋だもんな、椿は」

 

 まだ出会って間もないが、椿が人との交流の望んでいるのはよく伝わってきた。

 昨夜の香那との言い争いも本当は楽しんでいたはずだ。

 椿が見せるそういう普通の女の子らしい部分を尤磨は愛おしく思った。


花魁おいらんとかはしなかったの?」


 華やかなイメージがあるらしい香那が目をキラキラさせて聞く。


「せんせん、そういう春を売る類いはせんと決めておる」

「あ、花魁てそういうのなんだ? じゃあ、処女を堅守する椿ちゃんには無理だね」

「ぐっ、でかい声で言うな。徳川の世の頃は水茶屋でやはり給仕じゃ。宿と食事の代わりに働く事が多かったかの。何とか小町などとよう呼ばれとったわ」


 自慢げに胸を張る。

 確かに美形なので評判になる事も多かったろう。

 そうこうしているうちに目的地の里に着いた。

 着いて早々バス停のベンチで食べた弁当は、予想通りロクでもない味。

 尤磨がかじった卵焼きはやたらに酸っぱかった。


「う、うむ……愛情が込められてあるわ」

「でしょ?」


 涙目の椿に笑顔を向ける香那。


「いや、とんでもなく不味いから。そこはちゃんと理解してくれ」

「ええ~。そうなの、椿ちゃん?」

「いいや、頑張りが感じられて良いぞ?」

「ほら、良いんじゃん」


 そう言いつつ、香那自身も顔をしかめながら自分の作った弁当を食べた。

 失敗を認めたくない香那に何度も感想を求められ、味について具体的な言及を避けながら答弁する椿のいじらしさよ。






 母が生まれ育った里は、山間にぽつりぽつりと民家があるだけのこぢんまりとした寒村だった。

 ここにある綱下つなもと神社に向かわなくてはならない。


「父さんが宮司さんに連絡してくれてるんだっけ?」

「そうそう。神社の隣にある家にいるらしいよ」


 尤磨が見ると椿は緊張した面持ちをしていた。

 尤磨も自分の緊張が高まっていくのを感じる。

 宮司はいかにも農家の人といった感じのおじさんだった。


「普通だ」


 彼女なりのイメージがあったらしい香那が呟く。

 彼に連れられて神社へ。

 鳥居を潜るとすぐ奥に本殿が見えた。


「あそこ?」


 タメ口の香那が指さすと、宮司は首を横に振る。

 宮司が苦笑いしている所からして、本殿を不躾ぶしつけに指さすのは良くない事のようだ。

 

「その裏だよ」


 本殿の裏は鬱蒼うっそうとした小さな山で、小道があるが注連縄で通れないようにしてあった。

 宮司はその注連縄を外してその先へと入っていく。みんなして続いた。

 二十分程登ると大きく開けた頂上に出る。

 奥の方に小さなほこらがあった。

 木で出来た高床のそれは随分昔に建てられたようで、今にも崩れ落ちそうだ。

 人が入れる大きさではないのでただ宝物ほうもつが仕舞ってあるだけだろう。


「本当は、ここは誰も開けてはならない事になっているんだ」


 宮司が言った。

 重々しいというより戸惑っているような口調。

 父は相当苦労して無理を通したようだ。

 扉にかけられた南京錠を解いて宮司が退く。

 その扉をゆっくり香那が開いた。


「え……」


 思わず三人は声を漏らす。

 板が二本離れて立てられていて、刀はその上に納められてある。

 鞘は二つに割れていた。

 露出している刀身は赤茶色く膨れている。

 反りがある事すらすぐには分からない。


「錆びてる……」


 香那がこぼす。

 刀身全体が分厚い錆に覆われていた。

 つばも錆の塊と化している。

 ザラザラとした醜悪な色をしたソレは、輝きを見せない事で三人をあざ笑った。


「そんな……」


 椿が口元を両手で覆って後ずさる。

 霊妙な刀の力を借りて少女の苦しみの根源を絶つ。

 その頼みの綱が?


「いや、錆びを落とせば……」


 尤磨が虻切あぶきりを掴んだ瞬間――

 刀身は、力なく砕け落ちた。

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