第六話 語り合う深夜

 客間にある布団を担ぎ、尤磨ゆうまは階段へと歩いていく。

 二階では女二人が言い争いをしていた。


「いいじゃん、一緒に寝ようよ」


 香那はいつも通り軽い調子。


「嫌じゃ! あんな恥をかかせておいて、よくもそんな事が言えるわっ!」


 椿は大分怒っているようだ。


「いいじゃん、サクッと忘れようよ」

「よりにもよって尤磨の前で……」

「よう、来たね尤磨」

「ひぇっ!?」


 変な声を上げた椿が尤磨を見下ろす。

 余計な話を聞いた気もするが、ともかく二階へと布団を運ぶ。


「持ってこずともよい。儂は一階で寝る」

「そうはいかないよ。またさっきみたいにジロベエが出てきたらどうするの? 私達を心配させないで」


 急に真面目な声で香那かなが言う。

 香那の言う事に尤磨も賛成だった。

 ほんの僅か距離を開けただけでも、急に現われるジロベエの前では命取りとなりかねない。

 椿は死なないらしいが傷付きはするのだ。


「じゃが、香那と寝るのは……。絶対また余計な事をしてくるに決まっておる」


 その通りだと尤磨も思う。


「じゃあ、尤磨と一緒に寝てよ。うん、そうしよう」

「えっ!?」


 椿が驚いた声を上げてももう手遅れ。

 尤磨から布団を奪い取った香那は、勝手に尤磨の部屋に入ると布団を放り投げた。


「これでよし!」


 実に爽やかな笑顔。

 一階での無茶苦茶は、全部こうする為の布石に違いなかった。


「え? 尤磨と同じ部屋? それは……マズかろう? なぁ、尤磨?」

「いいんじゃないの、一日くらい」

「ええっ! やっぱりお主、私の身体を狙っておるのかっ!」


 よじった自分の身体を抱き締める椿。


「いや、どうせ椿はとてつもなく強いんだろ? 俺がどうこうなんて出来ないっての」

「あ、そうか。その通りじゃ。金玉を潰すのは儂の得意とするところであった」


 椿が何度もうなずいて自分の言葉を確認する。


「ていう事は、椿ちゃんが尤磨に襲いかかったらどうにも出来ないんだね」

「儂はそんな事せんっ!」


 失礼な事を言う香那に向かって椿が唾を飛ばす。

 いい加減、尤磨は早く寝たかった。今日はいろいろとあり過ぎたのだし。


「じゃあ何の問題もないだろ。早く寝ようぜ、椿」

「う、うむ、そうしようか。尤磨、後に続くがいい!」


 椿がわざとらしい勇壮な歩みで尤磨の部屋に入っていく。

 続こうとした尤磨の袖を香那が引っ張った。


「何?」

「ちゃんと支えてやんなよ。あの子には尤磨の支えが必要なんだ」


 香那が小声でささやく。


「香那じゃ駄目なのか?」

「うーん、多分駄目。うまく説明できないけどさ。私は強いけど、あんたは弱いの。で、あの子も弱い」

「あの子は強いだろ? あんな化物を倒すんだぜ?」

「そういう強さじゃないよ。ホントはあの子、誰かが抱き締めてあげないといけない子なんだ。でも、いつもそういう人がいる訳じゃない。だから今日ぐらい、尤磨が抱き締めてあげるんだよ」

「それって……つまり?」


 どうしても頬が緩んでしまう。

 しかしその下心は簡単に姉に見透かされる。


「あの子の弱味につけ込んでヨコシマな事したら、私があんたの金玉ぶっ潰す!」


 ぎろりと睨む香那。


「分かってる、分かってるっての。俺だってあの子の支えになりたいよ」

「それでよし。おやすみ」


 弟に軽く投げキッスをして、香那は自分の部屋へと去った。






 少し緊張しながら尤磨は自分の部屋の扉を開ける。

 椿は床に敷いた布団の上に座り、ベッドに背をもたせかけていた。


「寝ないの?」

「うむ。ちょっと話をせぬか?」


 尤磨を見ずに呟く。


「そうしようか」


 椿の隣に腰を下ろし、やはりベッドに背を預ける。


「香那は本当に面倒な奴じゃ」


 そう言う椿だが、口元は優しく緩んでいた。


「俺はいつも苦労してるよ。ホント、ロクでもない奴だ」

「そう言うな。彼奴あやつは気持ちのいい心を持っておるわ」


 自分の言葉を確かめるように頷く。


「それに強いんだよね。俺なんかよりよっぽど」


 尤磨はため息をついてしまう。


「ん? じゃがお主が一撫流いちぶりゅうの継承者なんじゃろ?」

「まぁそうだ。母さんがそう決めたんだよ。嫌がる俺を無視してね」

「情けない言い方をするのう」

「何で母さんは俺なんかを選んだんだろう?」


 尤磨は両手を上にやって伸びをする。

 香那の方が剣の腕は上。

 何度相対しても勝てなかった。

 なのに母は……。


「己を卑下するな。みじめになるだけじゃぞ?」

「実際香那には勝てないんだ……。武術だけじゃなく、何もかも……」


 姉弟は同じ高校に通っている。

 香那は二年生で尤磨は一年生。

 尤磨が入学した時、香那は生徒達の中心にいた。

 多くの友達に囲まれる香那を、ただ遠くから眺めたものだ。

 尤磨からすれば、自分の信じるまま好き勝手に行動する姉はひたすら眩しかった。その笑顔。

 香那は学校でも弟に構ってきたが、尤磨はそれを無理矢理に避けた。

 寂しそうな顔をするのを見るのすら避けて。


「屈折しておるのう……」


 多くを聞かず、椿は呟いた。


「俺は自分に価値なんてないと思っていた。だから、あの化物に殺されても別にいいやなんて考えてしまったんだ」

「そんな真似は許さんがな」

「ああ、もう殺されていいなんて思わない。勝たないといけない戦いに挑むんだからな」


 そうは言いつつ、尤磨は不安を拭い去れずにいる。

 今まで何もかもから逃げていたのだ。

 化物を前にして足が竦んでしまう自分を想像してしまう。


「絶対に生きよ」

「……うん」

「儂は今まで多くの者を死に追いやってきた。本当に多くの者を……」


 椿の言葉は暗く重かった。


「儂の歩いた後は死屍累々じゃ。儂だけがのうのうと生き続けてきた」

「椿のせいじゃないよ」

「そうじゃろうか? 本当はな、儂はこの家を早々に去らねばならんのだ」

「それは俺が許さないよ。香那も父さんも」


 強い口調で尤磨は言う。


「……お主等はいい家族じゃ。こんなに安らぐのは久し振りの事。一人でいる時はそれで平気なつもりじゃが、こうして人と触れ合うと、それまでどうやって一人でおれたのじゃろうと思ってしまう」

「それが人同士の繋がりって奴だね」

「お主は自分の家族が好きか?」


 椿が優しい声で問いかけてくる。


「うーん、正直に言うのは小っ恥ずかしいけど、確かに好きだね。父さんも香那も、酷い仕打ちばかりの母さんさえも、大切な家族だ」

「大切に出来る家族なら、大切にするがいいぞ」


 父によって長きに渡り苦しみ続けている少女が言う。

 母も父の手で殺されている。

 そんな彼女の助けになりたいと、尤磨は切に願う。


「頼りない父、しち面倒くさい姉、情けない弟、そこにもう一人、可愛らしい娘が加わるんだ。姉になるのかな?」

「姉?」

「そう、椿」

「え、儂?」


 椿が驚いた声で尤磨を見る。


「今こうして出会ったのは何かの縁だよ。うーん、陳腐な言い方だな……。でも確かに縁だ。もし、どこにも行くところがないならさ。全部終わった後もうちにいなよ。ロクでもない奴ばっかりだけど、みんなで仲良く暮らそう。そうしようよ」


 隣の少女を見ながら尤磨が言うと、椿は一瞬顔をくしゃくしゃにし、次いで穏やかな笑顔を見せてきた。


「ありがとうの。しかし儂はそんな安寧を求めてはならん身なんじゃ……」


 尤磨から視線は外して正面を見る。


「どういう事?」

「儂は弱い人間じゃ。人の好意に甘え、ついつい深く付き合うてしもうた事が何度もある。全員不幸にした」

「不幸とは言い切れないんじゃないかな?」


 椿となら穏やかな日々を送れるはずだ。

 尤磨の知らない過去の人々も、きっとそんな日々を過ごしたに違いない。


「実際皆、不幸にした。徳川の世の終わり頃じゃったか。儂はとある城下町に長逗留しておった。親切な商家の娘がいての。いつまでも居ていいからと自分の家に泊めてくれたんじゃ。

 今日は二度も餓鬼が現われたがこういう事は滅多にない。現われる間隔は数ヶ月から数年で、余程気が緩まん限りは予感があるんじゃ。その予感もない事じゃしと、儂は娘の好意に甘えてしもうた。

 笑顔の可愛らしい娘じゃった……。二人並んで店に出たり、遠出をしたり、夜更けまで話し込んだり、儂は久し振りに心安らぐ時を過ごせた。じゃが、長い安寧の時を過ごす内、儂の心には緩みが生じておった。このままでは餓鬼が現われるだろうという予感がした。儂は早く町を出んといかんかった。

 餓鬼の事も含めて別れを伝えると、娘はもう少しだけ居てくれと引き留めてくれた。もうすぐ自分の祝言だから、それまで居てくれと。儂も娘の嫁入りに立ち会いたかった。それまでずっと親切にしてくれた娘の幸せな姿を見届けたかったんじゃ。

 儂の心は揺れたが、やはり立ち去らねばならんかった。娘の幸せを願えば尚じゃ。儂の決心が固いと知ると、娘も去るのを認めてくれた。

 出立の晩じゃ。娘の部屋まで別れの挨拶に行くと、娘は花嫁装束を着て待ってくれていた。せめてひと目見てくれと。美しかった。明るい笑顔がよく映える白装束での。この時愚かな儂は思わず涙してしもうた。気を緩めてしもうたんじゃ。

 普段であれば乗り切れたであろうが、既に餓鬼は出かかっておった。ほんの少しでも気を緩めてはならんかった。儂が吐き出したモノは湯呑み一杯程度。じゃが、娘の顔に深い傷を負わすには十分であった。

 娘の嫁入りの話は流れた。娘は別にいいと笑って許してくれたが、夜一人になると泣いておった。儂は居たたまれなくなって娘の前から逃げ出してしもうた。それからどうなったのは分からぬ……。

 そういう話がいくつもあるんじゃ。儂と深く付きおうた者は全員不幸になる。そんな儂が今になって安寧を得るなど許されん……」


 静かに語る椿を尤磨はじっと見つめ続けた。

 この小柄な少女は背負いきれない程の重荷を抱えて生きてきたのか。

 自身の身に降りかかった不幸より、親しい者に与えてしまった不幸の方が心に重くのしかかる。

 その事は尤磨にも想像出来た。

 だとしても、その重荷を背負い続けなくてもいいように思える。


「みんなきっと許してくれる。椿が全てを背負い続けるのを望んではいないと思うよ」

「じゃが、全ては儂のせいなんじゃ。儂は背負っていかねばならんのだ」

「そうかな? 椿をよく知る人なら、椿が幸せに生きてくれたら喜んでくれる筈だよ」


 尤磨は本当にそう思った。

 さっきの江戸時代の娘にしても椿の宿命を知っているのだ。

 我が身の不幸を悲しみはするだろうけど、椿を怨み続けはしないだろう。

 きっと許してくれる。

 そして親しく交流した椿の幸せを願ってくれる筈だ。


「みんな良い奴ばかりじゃった……」


 頭をベッドに預けて椿が呟く。


「そうなんだろうね」

「儂が生娘という話があったろう?」


 いきなり変な話を持ち出してきた。

 焦ってしまい、椿から顔を背けてしまう尤磨。


「あー、うん、あったね」

「好いた男を不幸にするのは耐えがたい。儂はいつも添い遂げる事なく離れた。尚も追いかけてくる奴は……全員死んだ。儂が殺したも同然じゃ」


 恋……彼女の長すぎる人生の中ではそういう出会いもあったに違いない。

 しかしその想いは様々な悲劇を招いたようだ。

 多くを語ろうとしない程、椿の中では今でも深い傷となっているのだろう。

 一人泣く椿の後ろ姿を尤磨は思い浮かべる。


「つらかったろうね」

「もう過ぎた話じゃがな……」

「そうは割り切れないんだろ?」

「……まぁな」


 椿の寂しげな声が尤磨の胸に染みていく。

 今まで覆い隠そうとしていたものが浮かび上がてきた。

 自分に自信を持てない尤磨が持つべきではない感情――

 尤磨は自分の手を握りしめる。

 この感情をこれ以上無理に抑え付けるなんて出来そうもない。

 掛け時計の秒針の音が妙に大きく聞こえる。

 今だからこそ……

 尤磨は唾を飲んで覚悟を決めた。

 そっと手を伸ばす。

 まだためらう。

 ついに椿の小さな手を握る。

 驚いた顔をして椿がこっちを見てきた。

 じっと見つめ合う。

 尤磨はベッドから背を離す。


「駄目じゃ」


 椿はそう零したが、尤磨が顔を近付けると静かに目を閉じた。

 そっと唇を重ねる。

 尤磨が触れた少女はほのかに温かかった。

 すぐに溶けてしまいそうな柔らかさ。

 お互いを想う心が絡み合っていると感じた。

 椿に肩を押されたので名残を惜しみつつ離れる。

 尤磨を見つめる椿の目は潤んでいた。


「うっ、うう……うううう……」


 堪えようとして堪えきれない。そんな涙を椿はぽろぽろと零す。

 彼女の気持ちが伝わり、尤磨は強く胸が締め付けられる。


「うっ、うううう……許されんのに……うう……許されんのに……ううう……儂だけなんて……許されんのに……ううう……」


 尤磨は膝立ちになって手を広げ、涙で頬を濡らし続ける椿をそっと胸に納めた。

 か弱い……力を込めすぎると簡単に折れてしまいそうな少女。

 椿がこれまで味わってきた苦しみは、きっと尤磨の想像を越えるものだったろう。

 せめてこれからは抱いて支えてあげよう。

 彼女から伝わる悲しみを自分の物として分かち合うのだ。

 これ以上、この少女を傷付ける訳にはいかない。

 椿の悲運の根源は、必ず絶たねばならなかった。


「椿、俺が全て終わらせてやる」


 ただの慰めではなく尤磨は告げる。

 その言葉は自分自身に向けたものでもあった。

 少女は少年の腕の中でただ震え続ける。


「終わらせて……くれるのか……」

「ああ、そして始めるんだ」

「尤磨……儂の願いを……儂の願いを……叶えさせてくれ……」

「叶えさせてやる。絶対に」


 尤磨が顔を上げると口元を引き締めた赤坂刑部あかさかぎょうぶが立っていた。

 刀を抜き、切っ先を子孫の喉下に突き付ける。

 しかし尤磨は身じろぎせずに剣豪を睨み続けた。

 刑部が口の片端を少し上げる。

 尤磨は、自らに課せられた使命を我が物とした。

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