第五声 タチバナ・クロエの歌声





「よし!じゃあ今日もカラオケ行こう!昨日は結局歌わなかったし、やっぱり橘さんの歌声聴いてみたいし。」


 そう提案すると、橘さんはうんと頷いた。


「そうだね。昨日は歌わずにアカゾメ君のヒューマンビートボックスだけだったものね!…本当に昨日はごめんなさい。ワタシが誘ったのにすぐ帰っちゃって。」


「いいよ。気にしないで。とりあえず教室戻ろうか。そろそろチャイムなりそうだし。」


「あ!ホントだ!急ごう!」







 * * *








 そして放課後―


 また昨日と同じ“ビックボイス”にやってきた。偶然にも昨日と同じ部屋で僕達は顔を見合わせてくすりと笑った。飲み物もこれまた昨日と同様にオレンジジュースにした。


「よし!大丈夫!覚悟は決まったから!歌うよ!だから聴いててね!」


「分かった!」


 橘さんはアー、アー、アーと発声すると、天井に設置されたスピーカーから軽快なリズムのイントロが流れ始めた。


「あ、この曲って…。」


 僕には聞き覚えがあった。


「知ってる?まあ結構有名だからねー!ライテーツイストの『shark it』!」


 確か、家庭教師のCMソングだったっけ?


「あーそろそろ始まるううう!!」


 彼女は眉間にしわを寄せ、歌い始めた。―





 ―――♪






「―どうだった!?」


「…」


 僕はどう伝えればいいのか悩んでしまった。

 決して音程がめちゃくちゃだとか、声が汚いとかではなく…うーん。


「ワタシ、何言われても大丈夫なように昼休みの後ずっとイメージトレーニングしてたから思った事ズバッと言っていいよ!さあCome on!」


 カモンって言われても…上手く言葉にできずにただ傷つけてしまうかもしれないけど、このまま何も言わないのは失礼だよな…


「えっと、そうだなあ。音程が特別ずれているわけじゃないんだけど、なんかこう、えーっと…」


 くそ!これじゃあ橘さんの為にならない!もう少し細かい部分で気になったことを!僕は目を瞑り、思い返してみた。


 …この曲は出だしから高音が続いてて、サビ前は落ち着いてて、それからサビでまた高音が続いていたっけ。比較的高音が多くて辛そうだった…あ!そうか!


「もしかして橘さんって、高音出すの辛い?」


 そう尋ねると、橘さんは苦笑いを浮かべた。


「うん。ワタシ小さい頃から高音が出なくて。裏声も意識して出せないし。普段のしゃべり声は高いって言われるんだけどねー。」


「そっか。」


「やっぱわかっちゃうかー。高音出す練習してるんだけどなあ。難しいなあ。」


 うーんなるほど。どうすればいいんだろう…僕は歌の練習はしてこなかったから具体的なアドバイスできないんだよなあ。


 うーん。


 …ってそうだ!


「…あのさ、この曲の1オクターブ下って歌える?」


「え?うーんどうだろ。」


「じゃあ試しに歌ってみてよ。」


 彼女はえっと目を見開いたが、僕の突拍子もないリクエストに素直に応じてくれた。


 この時、勘だけど、もしかして…という考えが頭の中にぽっと浮かんでいた。橘さんはもう一度『shark it』を入れ、歌い始めた。





 ―――♪






「―えっと、どう?」


 歌い終わった彼女は少し戸惑いながらもアイスを口いっぱいに頬張った。さっきから凄い量のアイス食べてるけどお腹は平気かな…じゃなくて!彼女の歌を聴いていた僕は、自分の考えに確信を持ち始めていた。


「じゃあ、次は更に1オクターブ下で歌ってみて。」


「えっ!うーん、そんな風に歌ったことないからなあ…。ていうか!つまり原曲より2オクターブ下で歌うってこと?普通そんな低音でないよ!」


「まあまあ、試しにやってみて。曲入れずに、サビだけでいいから。」


「…じゃあ、やってみる。」


 彼女は咳ばらいを数回してから歌った。





 ――-♪






「…って、え!!」


 彼女は驚きを露わにした。やっぱり!

 僕の勘は見事に的中した。



 橘さんは高音域より低音域のほうが、音程が安定しそしてのびやかで聞き取りやすい。今聞いた感じだとかなり低いところまで出るのではないだろうか。!女性は結構低音が出しづらいという話を聞いたことがあるが、橘さんの低音を聞いた人はビビるだろう!




「凄い…凄いよ橘さん!!こんなに低音がでるなんて!!超カッコイイ!!」


「…ホント?」


「ホントホント!!これは誰にも真似できない橘さんの才能だよ!!うわあ、鳥肌立ってきた!!」


「…フフ。そっか、そっか!」


 橘さんは右手を自分の胸に置き、静かにつぶやいた。


「…まだ高音は難しいけど、低音なら…。そっか、今まで考えたことなかったな…。」


 彼女は今までのトラウマをかみしめる様に、そしてゆっくりと口角が上がった。




 僕は自身の興奮を抑え、ある提案を持ちかけてみた。


「あのさ、橘さん。」


「ん?」


 僕は丁寧に、慎重に訊いてみた。




「……ベース、やってみない?……」




 アカペラにおける“ベース”は曲全体を低音で支える大事なパートだ。僕は彼女がそこに向いているのではと考えたのだ。


「あ、リードやりたいならそれでも良いんだけど―」


 彼女は満面の笑みでこう答えた。


「やる!ワタシ!ベースやってみるよ!簡単じゃないと思うけど!でも頑張ってみる!…ウフフ、ありがとねアカゾメ君!きっとワタシ1人だけだったら気付かなかったと思う!」


 橘さんは右手を挙げた。

 僕はその右手に向かってハイタッチをした。パンと綺麗で大胆な音がカラオケの部屋全体を包み込むように響いた。そしてお互いの顔を見合わせ、声を出して笑った。




 彼女にまた、初めて出会った時の明るさが戻ってきて良かったと心の中でつぶやいた。








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