第九章 終焉と終演(2)
「そっちの薄桃色の彼女が言っていたね。もしこの世から殺人罪が消えてしまったらってさ」
「は、はい」
「あったんだよ。過去に似たような世界がね」
「なんだと!?」
僕は、ぎょっとして灰色の少年に一歩、近づいた。
少年はあわてて僕を制した。
「過去って言ったでしょ。人間の時間軸とは少しずれがあるけど、今回がまたひとつの試練だったんだよ」
「試練?」
僕はおうむ返しに聞き返した。
「そ、試練。それは罪が人の形を成し、互いに最後のひとりになるまで殺し合う凄惨な闘いさ。ぼくは、それの……前回の優勝者なんだよ」
「あんた……、まさか」
「そ、お察しのとおり、ぼくもまた殺人罪さ。きみたちほど明確に定義されちゃいなかったけどね。知らないかい? 人を殺せば出世したり、刀と刀で斬り結んで頂点を目指し合った時代をさ」
「……あったな」
「その辺のころには、もうぼくらの試練はとっくに終わっていて、人間界から殺人罪が曖昧に消えかかっていたんだよね」
灰色の少年は一息ついて、続けた。
「このまま進んでいたらぼくらの人間界は滅んでいたかもね。そこでぼくも知らない誰かの差し金で、またこの試練がはじまったのさ。人が作り出した法の是非を問い、人の本質をむき出しにして争い合う残酷な試練が」
何回目なのかは知らないけどね、と灰色の少年は付け加えた。
「ぼくは前回の優勝者として、再びこの世界に喚び戻され、試練の進行をつかさどることになったんだ……けどね、同時に気づいたこともあった」
「規約の改変か」
僕が口を挟むと、灰色の少年はこくりと頷いた。
「決闘というシステムは、ぼくが参加者だった当時から存在していたんだよ。ぼくはそれに手を加えて、誰もが楽しめるようなものにしたいと考えたのさ。それが今回のお祭りだったというわけ」
「そうだったのか……」
だがそうすると、疑問がひとつ残る。
「もうひとりの殺人罪、ラデスが使った漆黒のカード『
「…………」
灰色の少年の顔が、憂鬱で翳った。
「あれは、ひょっとしたらぼくの無意識が作り出してしまった負の遺産なのかもしれない」
「負の遺産?」
「うん……お祭りのことを考えているときは、ほんとうに楽しかった。でも致命的な欠点があることに気づいてしまったんだ……」
「それは?」
「ぼくは、ぼくが作ったお祭りに参加できない」
「…………」
今度は僕が押し黙る番だった。
それは、ひどく悲しい告白だった。自分が作った最高に面白い遊びに、自分だけは参加できないと知ったようなものだろう。
「まあ、ぼくの都合はどうでもいいのさ」
憂いを振り払うように、灰色の少年は、無邪気な笑顔に戻った。
「黒衣の殺人罪は、ぼくの意志を汲んでくれた。白衣の殺人罪は、脈々と受け継がれてきた血塗られた規約どおりに行動した。ぼくと同じ罪を持ちながら、片方は理想を体現し、もう片方は行動を体現するなんて想像もしてなかったよ」
灰色の少年は、たははと笑いながら、髪の毛をわしゃわしゃいじった。
どこか共感できる仕草だった。
「ぼくの主催するお祭りは楽しかったかい?」
「ああ」
心残りはあるものの、僕は肯定した。
三人で知恵を出し合い、ゴエモンが試し、僕とミンコの協力プレイで攻略した出店の数々。思い返せば、今でも愉快になる大切な思い出だ。僕だけでは、ただ破壊することしかできなかっただろう。
「……」
隣に立つミンコは、不安そうな表情をしていた。
「……いなくなってしまった人たちは、どうなったんですか?」
ミンコの心残りも似たような場所にあるらしかった。
僕らは三人で行動していた。そのうちのひとりは、ここに居ない。
「罪は人の下に返る、と主催者である今ならわかるし、断言できるよ」
「どういう意味でしょう?」
「転生するきみを除いて、すべての罪たちはまた人々のなかに戻っていくのさ。人は生まれながらに罪を抱えている。死ぬまでにその罪を犯すかどうかはそれぞれかな。つまり……」
灰色の少年は、ミンコの胸の辺りを指差して、ちょんちょんと振った。
「すべての罪の代表者となったきみなら、
それと、と灰色の少年はさらに付け足す。
「ほんとうはきみにだけしか教えちゃいけないのかもしれないけど……またこの試練がはじまって、今度はきみが主催者になるとき、今回の参加者を喚び出すことが可能だよ。きみたちは射的屋さんを覚えているかな?」
ミンコが、ばかでっかいぬいぐるみを収納している、巾着袋を前に差し出した。
あの時を思い出しているようで、ほがらかな笑顔になっていた。
「そ。それをくれたとこね。あいつ実は前回の参加者。まあどう知り合ったかとか、何の罪だったか、とかはご想像に任せるけど、何軒か見回ってみて確認したよ。これ前回の参加者が、出店を切り盛りしてるってね」
だから、また会えるよ。
灰色の少年はにこりと笑顔でそう締めくくった。
「ふっ」
「アキラさん、どうしました?」
「いや、別に」
「あ、隠し事はなしですよぉー」
できれば最期に、叶えてもらいたい望みがあった。
それはもう叶っているのだから、僕から彼女に言うことは特にない。
その代わりに、灰色の少年に向かって、僕のなかに残っている案件を打ち明けた。これはきっと主催者にしか叶えることはできないだろう。
「あんたに頼みたいことがひとつだけあるんだが」
「なんだい? 今回の最大の功労者はきみだからね、ある程度なら聞き届けるよ」
「立派な竹を一本、この場所に出して、飾っておいてくれないか?」
「ん、んんん……できそうだけど、なんに使うんだい?」
「これさ」
そう言って、僕は一枚の細長い紙切れを、袖口から取り出した。
「それは……彼の所持品だね?」
「ああ。なぜかはわからないけど、入っていたんだ」
口を結び、眼を細めて、僕は手のひらに乗せた彼の生きた証を見つめた。
「ミンコさん」
目をつぶり、黙祷を捧げてから、僕は笑顔を作ってそれを彼女に渡した。
「きみの願いは?」
すると、灰色の少年が気を利かせて、筆ペンも彼女に渡してくれた。
* * *
『またここに三人で』
青い世界と、緑の祈り樹に支えられ、その願いはいつまでも風に揺られていた。
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