第八章 最強の審判(3)
『貴殿は決して弱くはない』
『でも、僕のせいで、きみが』
『我が輩は最初から貴殿の力を確信しておったぞ』
『……力なき者、って言っていたじゃないか』
『それは心の強さを測っておったのじゃ』
『心?』
『貴殿が悩み、苦しむ後悔は決して間違いではない。後悔とは優しさの裏返し』
『優しさじゃ救えない現実が目の前に立ちはだかっているんじゃないか』
『だから、我が輩が強奪していく。貴殿の抱える後悔という感情を』
『な、なんだって!?』
『願わくば、貴殿のなかに優しき心が残ることを信じて……』
『ゴエモン? ゴエモン!!』
『さらばだ。貴殿らと過ごせて、我が輩は幸せであった……――』
* * *
「ゴエモン!」
僕が手を伸ばした時、もうそこに紺色をまとった偉丈夫の姿はなかった。
「そう、その顔だ」
白い悪魔がこちらを向いてささやいた。ラデスは快楽に満ちた笑みを、見せつけるかのように首を伸ばしてきている。
「絶望しているか? 痛恨しているか? 激怒しているか? 嘆いているか?」
くいくいっと、片手の指を何度か前後に揺らした。
挑発しているようであるが、まったく違った。霧散しそうになっていた粒子の光が収束し、僕の横を通り過ぎてゆく。そして奴に向かって浮遊していく。
浮遊する白く輝く粒子は、徐々に男へと近づいていった。
男、ラデスは大きく口を開けて、それらをすべて吸い取った。
「不味いな。貴様がお仲間などと呼ぶだけあって、甘っちょろい味しかせん」
ラデスが、ゴエモンを喰ったのだ。
「さて、メインディッシュの前にデザートを食べた気分だが……」
僕は、自分の眼が何色に染まっているかわからない。だが、ゴエモンが気づかせて
くれた。僕の強さは、殺人罪という狂気を宿していても失われない優しさだと。眼前に地面が見える。僕はうつむいているのか?
「その女もいただこうか!」
ラデスは、刀を右手に喚びだし、そのままミンコに向かって突進した。僕をなめているのか、いや茫然自失としているように見えるのか……僕の仲間に、そんなものを向けるんじゃない!
「ふうっ!」
僕は跳躍し、ラデスが掲げていた刀を、ずっと握りしめていた右手の刀で、薙いでへし折った。
腕を斬り落としてしまえば早かったかもしれないが、生憎とそんな器用にはできていない。対象を殺す、それしか僕に選択しはないのだ。だから刀を殺した。
相手にはまだ、殺しを無効化する手段が残っている。その正体に迫りつつある今、ラデスを直接狙うのは得策ではないと判断した。
「なにいっ!?」
宙に跳んだ僕は、刀を真一文字に振り抜いた慣性のまま身体を回転させ、回し蹴りを敢行した。念じたのは、目の前の空気よ死ね、だ。
それがどのような事象を引き起こすのか、僕にはわからなかった。
眼前にあったラデスの顔が、しゅっと消えた。手応えならぬ、脚応えはなかった。躱されたと判断してよいだろう。
果たして、僕の脚が通った跡の空間は、膨張して歪んでいるように見えた。
視界を広げると、跳躍して回し蹴りを放った僕の下にもぐりこんでいる白い物体が眼に入った。歯噛みをしたような表情をしているそれは、僕を睨み付け、大きく後ろに跳んで距離を作った。
僕も着地と同時にバックステップをして、距離をつくる。
ボカンッ!
と小規模な爆発が起こったのは、そのすぐ後だった。
空気というものの厳密な概念はわからないが、構成する気体のバランスが崩れての現象だったのだろう。
あの場に留まり続けていたら、巻き込まれていたに違いない。
「やってくれるではないか……」
「もうお前に仲間を殺させはしない」
「ほう、ならば……これはどうかな?」
そう言って、ラデスは起き上がりながら、指を指した。
ミンコに向かって。
「死ね」
必殺無情の言葉が、突きつけられる。
だが。
ギイイイィィィンンンン!!
あの、空間そのものが悲鳴を上げているような音が、再び響き渡った。
「なにいいっ!?」
ラデスが、驚きに満ちた声を上げた。
「お前がさっき殺した、僕の仲間の罪を知っているか?」
僕は、ラデスを睨み、問いを投げた。
「そんなものを知ってなんになるというのだ?」
あくまでもラデスは不遜な態度を取り続ける。
「強盗罪だよ、あいつは最期の最期まで戦い抜いて散ったんだ」
勘づいたらしく、ラデスはくつくつと笑った。
「くっはははっ……、なるほどなるほど。俺様がやった手口を見事に再現してみせたわけか。まさか仲良し小良しの貴様らが、すでに従属関係にあったとは俺様にも想像できんかったぞ!」
「従属なんて使うな。僕らは、仲間だ」
「きれい事で俺様を失望させないでくれ、同罪よ? して、いかがだったかな、俺様による殺戮ショーの見応えは?」
「外道が」
そう、ゴエモンが残してくれたのは遺言だけではなかった。
ラデスを対象に記憶の断片を盗んで、僕に託してくれていたのだ。それらを再構築すれば、空間が悲鳴をあげるような、謎の現象も解明できた。
殺しの現象を対象に、殺しを発動する。
それがマジックのタネだった。
言い換えれば、殺し能力の相殺現象だったというわけだ。最強の矛と矛がぶつかりあった結果、空間が悲鳴をあげていたのかもしれない。
ゴエモンが託してくれたものは、これだけではない。記憶の断片はまだある。
「お前はカップルやチームを狙って決闘と偽った虐殺を行っていた。そうだろう?」
「なぜそう思う?」
「ひとつ目は、以前は居たはずの参加者が姿を消したと感じた時の違和感だ。場所や屋台の出し物に興味を持って、その場に留まってでもいない限り、単独ならさすがの僕でも気づけやしない。はっきりと認識できたのは……個人じゃなく、複数が同時に消えていたからだ」
「なかなか苦労して回ったようだが、虐殺とは言い掛かりが過ぎるのではないか?」
「決闘前の規約で、強引にチーム参加を呑ませただろう」
「それでは俺様が不利になるだけだろう。どこに利点があると言うんだ?」
「答えは、さっき言ったお前の言葉のなかにある。お前は……弱い者を先に殺して、残りの者が絶望にひしがれているところを、観たかっただけだ!」
こいつは、ミンコを先に狙ったと言った。
だが、予想に反してゴエモンが凶弾に倒れる結果となった。
そして、ゴエモンが残してくれた記憶の断片は、目の前の男の快楽に満ちた笑みも写し取っていた。
「くくく、まるで観ていたかのような口ぶりじゃないか」
実際にすべてを観たわけじゃない。断片的に、その情景が、僕のなかに流れ込んで
きたのだ。吐き気をもよおす、おぞましい光景が。
「ああ、観たさ。あんなものは殺人ですらない。ただの虐殺だ!」
「どうやら俺様の記憶を盗み観たようだが、肝心なところは盗めなかったようだな」
「なに?」
「なぜ俺様が貴様に合わせてこうして最後のひとりを決める機会まで待ってやったと思っている?」
「そ、それは……」
僕には、思い当たる節がなかった。
「思い出せないのなら思い出させてやろう。俺様は貴様との闘いを望んでいたのだ。死ねという言葉とともに、敵の首を刎ねたあの光景を見てからな」
「な、なんだと!?」
いったいどうやって知ったというんだ。
ゴエモンを喰ったから、その能力を使って僕の記憶を盗み見た?
いや、違う。こいつの口ぶりは、あの時、あの場所で、見ていたと……。
ふと、僕の脳裏に、最初の闘いの記憶の光景が甦ってきた。
* * *
周囲の景色が歪んでいった。
祭りの賑やかな音楽や会話が、壊れた音声データを再生しているような、耳障りな音に変わった。
うっすらと白い帯が、視界の端で波打つ幻覚さえ見えた。
* * *
「!!」
「その様子だと、気づいたようだな。そうだ、貴様が殺人を行った一部始終を俺様はあの場で見ていたのだよ。混戦状態でな!」
「混戦状態なら……互いを敵と認識し合わない限り、強制的に終了する……」
「そうだ、俺様は貴様に一度ふられているのだよ。それからずっと考えてきた。どうすれば貴様が俺様に怒りの矛先を向け、荒れ狂う感情のままに敵意をむき出しにしてくれるのかな」
「…………」
「結果は、両者両得になったというわけだ。俺様もここまで実に面白おかしく祭りを楽しませてもらった」
もっとも、とラデスは付け加えた。
「貴様の眼光を鋭くさせるだけの、不愉快な代物であったことは確認済みだがな! ふはははははっ!!」
僕は、姿勢を正し、ラデスの眼をはっきりと見た。
ラデスもまた、斜に構えた独特の構えから、僕の眼を射貫いている。
『優しき心が貴殿の武器じゃ』
ゴエモンの声がしたような気がした。
わかってる。
「やっぱり、どう考えても僕にはお前の思想を理解できそうにないな。お前がやってきたのは自分勝手な虐殺と、殺戮だ」
僕がそう言うと、白の悪魔はふんっと鼻を鳴らした。
あほらしいとばかりにラデスは眼を細め、手のひらで虚空を持ち上げた。肩の横で何を掴むでもない片手が静止する。
「殺しに善し悪しがあるとでも思っているのか? 貴様の脳みそには、法の番人でも住み込んでいるのかな?」
「お前の言うとおりだな。殺しに善し悪しなんてあるわけがない。だがな、
「口だけではないことを願おうか。さあ俺様を愉しませてみせろ!」
「そのまま返そう。二度とその口が開かないよう僕がここでお前を……撃滅する!」
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