第六章 運命の時(2)
設営本部で確認すると、僕らを除くと三名がまだ署名していないとのことだった。
僕らはまだ署名システムの仕様上、記入していない。
最初に物騒な喧伝で煽っていたが、どうということはなかった。決闘による抗争で参加者をすべて屠る必要などなかった。選挙と同じで、最後のひとりになってほしい人を署名し、すべての参加者の了承が得られた場合にも、同等の価値があるとのことだった。
これは、射的屋での一騒動の後に、ルールブックやガイドがないかどうか設営本部に赴いた時、わかったことだ。射的屋の攻略で、いわゆるポイントが加算されていたらしく、新しく手に入れた小冊子に署名のことが書かれていた。
署名自体は誰でも何もしていなくてもできるらしいので、僕らはひたすら参加者に同意を求めて会場を巡っていたというわけだ。
元々やる気などなく、誰が勝ってもいいや、と考えていた人。
祭りが楽しけりゃそれでいいよ、と考えていた人。
殺されるかもしれない恐怖から逃げたい、と考えていた人。
お宅の実力がちょっと気になるねえ、と言った人には、僕とゴエモンが穏便な規約による決闘を持ちかけ、結果として納得してもらった。
なお、署名をした場合は、決闘を申し込むことも、受けることもできなくなるとのことだ。恐怖に怯えていた人は、署名は設営本部で受け付けていることを教えると、すっ飛んで行った。念のため、景品には決闘を拒否できるものもあると伝えてあげたので、署名システムに何か穴があったとしても大丈夫だろう。
「僕らを除いた、残りの三名が誰かはわかりますか?」
「個人を特定する情報は提供しておりません、ご理解ください」
設営本部で受け付け役をしているというお姉さんは、表情を曇らせた。
そりゃそうだわな、と思いつつ無粋な質問をしてしまったことを、僕は悔いた。
と、その時。
どどどどどど。
聞き覚えのある、怒濤のごとき足音が近づいてきた。
急停止したそれに煽られて、テントがぼふんと何回か揺れた。
「あ、いたいた。探したっすよ」
ふう、と汗をぬぐいながら、見覚えのある韋駄天男は僕らに近寄ってきた。
「待てお主、探していたと言ったな?」
「そうっすけど、なんすか救世主の旦那?」
「救世主はやめい。それで?」
「はあ、いやね。さっき頼まれたんすよ。旦那たちを見かけたらこれを渡してほしいってねえ」
韋駄天男は、袖口に手を入れ、何やらゴエモンに手渡したようだった。
「ぬ。書状か? これは誰が?」
「にこにこしたひょろっぽい男でしたよ」
「そうか、ところでお主、署名はしたか?」
「署名? 何のことっすか?」
どうやら、あれから本当にずっと食い逃げを続けながら駆け回っていたらしい。
もはや会場全体に知れ渡っているはずのことを、この男は知らない様子だった。
ゴエモンが説明し、韋駄天男は納得したように、鼻歌交じりで署名をした。
「その姉さんの名前を書けばいいんすね。りょーかいっすー」
すらすらと『道路交通法違反』と署名用紙の空欄に新たな一文が染み込んだ。
「姉さん、これなんて読むんすか?」
「え。あ、はい。ミンコです。『みんなで渡れば怖くない』を縮めてます」
「そう言えば名乗っていなかったか。我が輩はゴエモンだ」
「そう言えばそうっしたねー」
だははは、と韋駄天男は快活に笑った。そして。
「自分は『チョッパヤ』っす」
「ちょっぱや? ハイカラな名前じゃな。して、お主を具現化させておる罪は何なのじゃ?」
「詐欺罪っすよー」
それを聞いて、僕は戦慄した。全身が凍てついたように、ぞっと血の気が引いた。
「ほう、意外じゃな。食い逃げなら業務妨害罪かと思っておったが」
「あははー、よく勘違いされますよー。自分ちゃーんとした詐欺罪なんすよー」
この時、僕はようやく欠けていたピースが嵌まったと確信した。いや、外れていたピースが元の場所に収まったと言うべきか。
僕は慌てながら、受け付けのお姉さんに向き直り、必死の形相で問いかけた。
「仮に、仮にだ。同じ罪を顕現した人物の罪状を署名した場合はどうなる!?」
「は、ふえぇ!?」
僕の様子に仰天したようだが、なりふり構っている場合じゃない。
「答えてくれ!」
「そ、その場合は、その御方の『固有名』をご記入いただく必要があり……」
「この『道路交通法違反』はひとりを指すものなのか!!?」
「は、はいいい! 間違いございません!!」
がくんがくんと首を上下させて、受け付けのお姉さんは肯定した。
この署名がミンコを指していることは立証された。
「あにちゃんは何をそんなに血相を変えてるんすかあー?」
韋駄天男、改めチョッパヤを無視して、僕はゴエモンの隣に立った。
ゴエモンも気になったのか、僕と向き合うように立ち位置を調整した。
「どうしたというのだ、アキラよ。何があった、らしくないぞ」
「ゴエモンには話したはずだぞ。僕が最初に戦った相手の名前を……」
「確か、『騙されるやつが悪い』とかいうふざけた理屈をこねる奴であったと」
「それは理屈じゃない、奴の固有名だ……」
「なに? ま、待て、罪状は…………、!!」
「気づいたか?」
「しかし、まさか……あり得るのか? そんなことが!?」
僕は、首をくいっと斜め前方にいる男に傾けた。
「疑いようがない、事例がそこに突っ立ってんだから……」
「…………」
自分のことを話していると思ったらしいチョッパヤが、思い出したとばかりに付け加えた。
「ああ、そう言えば……」
韋駄天男はすっと僕のほうを指差し……。
「ちょうどあにちゃんに似た連れっぽいのが一緒に居ましたねえー。あにちゃんは、真っ黒な感じっつーか浴衣と髪っすけど、そいつは真っ白だったかなー」
「それ以外に覚えていることは!? なんでもいい!!」
「う、うえええ? えーと、髪の毛もちょうど似た感じにボサってたかなあ。ああ、ついでに髪の毛も白かったっすね。背丈も体格も……そういや驚くほどそっくりっすねえー、ご兄弟か何かでご参加を?」
「……それは違うと願いたいな」
いつの間にか、掴みかかっていた彼の襟首を解放し、僕は感謝を述べた。
「ありがとう。君のおかげで助かった」
「そ、そっすか。じゃあ自分はこれで失礼しやすね。ああ、その辺を突っ走ってると思うんで、ご用でしたら声ぇかけてくだせえなー」
そう言って、チョッパヤは設営本部から外に出て行った。
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