Action.21 【 事故物件 】

 ビル管理の会社を始めて、三十年経つ。女一人で宅建の資格だけを頼りにやってきた商売だが、バブルの頃にはそこそこ儲かった。

 郊外にマンションを買い、外車を乗り回し、結婚はしなかった、当然子供もいない。

 独り身の気楽さは有るが、やはり年齢と共にひしひしと孤独を感じることもある。一昨年、十八年飼っていた愛猫に死なれた時には……心にぽっかりと穴が開いてしまった。私にとって身内と呼べる家族はその猫だけだった。

 それ以降、郊外のマンションには帰らず、事務所に使っているビルの一室で寝泊まりするようになった。洗濯以外の理由で自宅に帰る用事もない、帰っても独りだから……。


 ある日、警察から電話がかかった。

 私が管理するビルの一室で、ミイラ化した遺体が発見されたが、親族がいないので遺体の身元確認をして貰えないかという内容だった。もし嫌なら無理にとは言わないと――最後に付け加えられた。

 たとえ、死体だろうが管理を任されたビルの住人なら、プロとしての責任から身元確認をしますと答えたら、気丈ですねと感心された。

 電話を切った後、警察が告げた名前のファイルを調べた。

 これだ。『足立和代あだち かずよ・47歳・無職』、二年前の春に今のビルに入居したようだ。私は目を瞑り当時の記憶を辿る。


 知り合いの不動産業者から、事務所に使える物件はないかと問い合わせがきた。

 丁度、横浜駅から徒歩30分くらいの場所に、1LDKのビルがあると答えた。5階建ての小じんまりした築25年の古いビルだが、入居者は事務所や倉庫代わりに使っていて、人は住んでいない。20畳のLDKと6畳の個室が付いていて、ここで寝泊まりも可能だ。

 足立和代とは、不動産契約をする際に一度だけ会ったことがある。痩せて顔色の悪い、もの静かなタイプの女性だった、年齢よりも老けて見えた。

 輸入雑貨のお店を始める予定だから、店舗に使える部屋を探しているというので、私が運転する車で物件を見に行った。

 5階の角部屋で去年内装工事をしたばかり状態は良い。二人で部屋に入って物件の説明をしたが、足立和代はひと目で気に入ったらしく、賃貸契約を即決した。

 その時、ひとつだけ訊かれた「隣の部屋はどんな住人ですか?」と、それに対して「隣は古美術のお店の倉庫ですよ」と答えた。その返答に満足したように「それなら静かでいいわ」と薄く笑った顔が印象的だった。


 警察で遺体の身元確認をしたが、干乾びてミイラになった人間の特徴など分からない。死因は病死らしく、去年の冬頃に亡くなっていたようだ。一年以上も誰にも発見されず、部屋の中で死んでいたのかと思うと背筋がぞっとする。

 寝たきり老人でもないのに孤独死なんて憐れな最期だ――。

 その後、亡くなった部屋の現場検証にも立ち会うことになったが、死んでいた場所はリビングの真ん中で、倒れていた場所にどす黒い人型のシミが残っていた。それと鼻が曲がりそうな悪臭が……この部屋は事故物件だから、もう人には貸せない。

 自分が管理するビルから『事故物件じこぶっけん』を出したことがショックだった。


 家賃は足立和代の銀行口座から毎月自動引き落としされていた。そのせいで死亡していることが分からなかった。角部屋なので、隣に部屋があるだけ、そこは古美術商の倉庫で滅多と人がこないし、あの強烈な異臭に誰も気づかなかったようだ。

 いろんな要素が絡み合い一年以上も死体は放置されていたが、発見したのはビルの塗装業者で、ベランダの塗り替え工事をしますと何度も連絡したが、一向に返事がないので隣室のベランダから侵入して、中を覗いたら人が倒れているのが見え、警察に通報したのだ。

 現場検証の時に、暮らしていた部屋を見たが森閑しんかんとして生活感がない。必要最小限度の物しか置かれていなかった。警察の話だと、足立和代は生涯独身で身近な親戚や友人もいない。元々資産家の一人娘で、三年前に母親を亡くし、住んでいた屋敷を処分して今の住所に転居したが、心臓病を患い引き籠って暮らしていたようだ。

 足立和代の足跡を辿る時、なぜか自分自身とオーバーラップしてしまう。

 彼女は他者との関わりを拒否していた。それは隣人だけではなく、すべてのものからだった。関わりを持たない自由さで、深淵しんえんの孤独へと落ち込んでいった。

 ――あの部屋は、足立和代が選んだひつぎだったのかもしれない。


 突然、隣室からけたたましい音楽と女たちの騒ぎ声が聴こえてきた。

 最近流行りのルームシェアという、女子大生が二、三人で共同生活しているようだが、パーティでもやってるのか夜中でも喧しい。私が住んでるビルも管理しているので、あんまり騒ぐようなら、彼女たちを追い出す権限がこっちにはある。

 キャーキャー騒ぐ声が止まない! 苛立って、隣室の壁をドンと蹴った。一瞬、静かになった。

 大丈夫、どんな形であれ――私はちゃんと社会と関わっている。

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