5.勝てる気がしない真剣勝負

 引きずられるようにして、離れに位置する道場に連れていかれた。

 ここが「神尾道場」だ。空手の道場として門下生を十人ぐらい抱えてる。


 通りに面する正面入り口じゃなくて、母屋から庭に出て裏側の入り口から中に足を踏み入れる。


 道場には夕方からの稽古の準備で早めにやってきた三人の若いお弟子さん達がいて、床にぞうきんがけをしている。


「ご苦労様。ちょっと使うから空けてくれる?」


 沙夜香さんが言うと、お弟子さん達は「オスッ!」と気合いの入った返事をして、道場の隅に移動して行った。


「闘気使うから、余波に気をつけてね」


 それは、結構広い道場の隅まで闘気が飛ぶぞ、ってこと? 全力でやる気か沙夜香さん。何気に怖い宣言だ。


きわめしものの勝負ですかっ」

「うわー、楽しみだ!」


 弟子さん達は興奮した様子で目を輝かせながら、道場の表玄関の方に小走りだ。透も彼らについて行った。

 うん、そこならいい観戦ポイントだと思う。


 極めし者って言うのは、特殊な呼吸法を使って体の中に流れる「気」を闘気とうきとして自在に操れる人のことだ。闘気を解放している間は超人的な身体能力を得られる。数が少ないけど数年前からの格闘ブームで増えてきたらしい。


 おれは除霊の時にまずは相手の力を弱めるんだけど、その時に解放しているのが、この極めし者としての闘気だ。


 つまりおれは退魔師でもあり極めし者でもある。って言うか、おれの中では霊気も闘気もあんまり変わらない。つまりは体の中のエネルギーを特殊な力に変換できるってことだからね。力の引き出し方の違いと、何に使うかの違い、ってやつだ。


 異能者、って大きなひとくくりだと、極めし者も退魔師もおんなじだっておれも、兄貴も思ってる。

 これを言うと他の異能者から文句が出るらしいから、おおっぴらには言えないんだけど。これも大人の事情ってヤツだな。


「さぁ、どれだけ強くなったのか見せてちょうだいよ、信司くん」

 道場の真ん中で沙夜香さんが得意げに言う。相変わらず目が笑ってないんだけど。

「おれじゃまだまだ沙夜香さん……、師範代にはかないませんから、お手柔らかに頼みます」

 何だかしらないけど怒ってるなら、ちょっとでも機嫌が直るように、頭を下げてみる。

「もちろん手加減はするわ。わたしは超技ちょうぎは使わない。信司くんは使っていいよ」


 超技は闘気を操って出す技のことだ。それを使わないなんて、将棋で言うところの二枚落ち、いや、六枚落ちみたいなものじゃないか。


 でも、そんだけのハンデをもらっても、……勝てる気がしないんだよな。

 どんな話の流れからだとしても、勝負することになったなら全力であたるのみ、だけど。


「それでは、よろしくお願いいたします、師範代」


 真剣勝負を前に、姿勢をただして一礼する。

 沙夜香さんも、感情を見せていたそれまでの顔とは違って、凛と引き締まったそれになる。


「よろしくお願いします」

 涼やかで、鋭い響きの声だ。


 試合が動きだす前の、しん、と静まった道場の中で、おれは沙夜香さんにどう仕掛けようか、と思案する。


 強さを見せて、と沙夜香さんは言った。

 ならばまずは正面から挑んでみるか。


 呼吸を整えて闘気を解放すると、沙夜香さんの体も空色の闘気に包まれる。


 このオーラが大きくて輝きが強いほど、闘気が強いということになる。

 おれのは体の周りをほんのりと明るくしているぐらいだけど、沙夜香さんのは、ぶわぁっと広がって行く感じで、これだけでも力の差が歴然としていることが判る。


 それでも、おれは攻め込んだ。

 足元、膝あたり、腰へと連続で蹴りを放つ。

 避けるために沙夜香さんが動くコースも読んだ、つもりだ。


 が、あっけなく予測を裏切られた。沙夜香さんはほぼ動くことなくおれの蹴りをやりすごした。


 ならば手数で押すか。

 更に何度も蹴りを放つ。上へ下へ、右へ左へ。


 けど、おれの最後の蹴りを、手刀で軽くいなして、沙夜香さんは涼しい顔を崩さない。


 駄目だ、普通に蹴り込むだけじゃ。

 ならば移動をからめてゆさぶりをかける。


 一旦攻撃の手を、いや足を緩めると、道場の入り口の方から、ほぅとため息が漏れる。弟子さん達だ。まさに息をつめて試合を見ていたんだろう。


 小休止の間、またおれはどう攻めるのか考える。

 風禊は足技主体で相手を攻める。それは単純に蹴り技で攻撃するというのだけじゃなくて、変則的な移動を含めてのことだ。それをふんだんに使って、少しでも沙夜香さんの顔色を変えさせられれば。


 気合いの声を発し、道場の床をだんっと蹴りつけて踏み込んで、正面から蹴りを放つ――ふりをして、沙夜香さんの横をすり抜けて背後に回る。


 ガラ空きの沙夜香さんの腰に向け足を振りあげる。

 

 当たる!

 確信したけど、空振った。


 いない。


 そう思うと同時に右側から蹴りが襲ってくる。

 すんでのところで跳んで回避して、着地と同時にまた床を鳴らした。


 今度は沙夜香さんの目の前に降りる角度で高く跳ぶ。

 沙夜香さんが迎撃のために身構える。


 それが狙いだ。おれは超技「はね」を発動させる。


 まるでそこに透明の見えない板があって、それを踏んづけて跳び上がったかのように、またおれの体が上昇する。


 あっという間に沙夜香さんの頭上を跳びこしつつ、肩辺りに蹴りを放つ。


 今度こそ、と思ったが、思わぬ衝撃が脚に加わった。

 視界が反転した。


 なんだ? と思った瞬間、道場の床に背中から叩きつけられていた。いってぇ!


 仰向けのまま頭を起こすと、振りあげた足を床につける沙夜香さんがいた。

 反撃を綺麗に食らっちまったか。


 「跳」は風禊では基本の超技だったな。それを真正面から使うのは、なるほど読まれやすかったってことだ。


 おれが立ち上がるまで、沙夜香さんはその場にたたずんでいる。相変わらず余裕な表情なのが悔しい。


 道場の入り口から、「さすが師範代」って、感嘆の声が聞こえてきた。


 ちらっとそっちを見ると、静かに興奮してる弟子さん達。彼らと並んで観戦している透は、驚いた顔だ。

 おれがここまであっさり転がされたことに、びっくりしてるんだろうな。透と一緒にいる時に、こんな一方的なやられ方なんてしたことないから。


 圧倒的劣勢だけど、このまま負けを認めるのは嫌だ。

 よし、最近会得した超技を絡めてみるか。


 おれは落ち着きを取り戻し、深く呼吸をする。受けたダメージと心の乱れで揺らいでいた闘気が落ち着きを取り戻して輝きを増す。


「いい顔だわ」


 沙夜香さんがおれを見て、満足そうに言う。おれが次の攻撃に賭けてるのが伝わったんだろう。


「オスッ! 行きますよ!」


 おれはまた真正面から攻撃をしかける。

 沙夜香さんは、これらを難なくかわし、いなしていく。

 けど、これも作戦のうち。沙夜香さんが「目の前」のおれに集中しきった、その時に。


 超技「おぼろ」を発動だ。

 沙夜香さんの目の前には闘気で発したおれの幻影。おれ自身は沙夜香さんの真後ろだ。


 幻影と一緒に、沙耶さんの背後をとったおれも蹴りを繰り出す。

 これで一矢報いる!


 ……はずだったのに。


「そこ!」


 くるりと身をひるがえした沙夜香さんが、蹴りを放ってきた。

 もろに腹にくらったおれは、見事に吹っ飛ばされて、受け身もなにも取れずに床に転がった。


 痛い、痛すぎる。


「ま……、まいり、ました」


 やっとそれだけ言うと、おれは床に完全にノビてしまった。情けない。




「まだまだかなわないのは判っていたけど、一度も攻撃が当たらないなんて」


 また神尾家の居間に戻って茶をいただきながら、おれはがっくりとうなだれていた。


「それでも最後に分身の超技を使ったのには、びっくりしたわ。危うくひっかかるところだった。会うたびに強くなってるよね」


 沙夜香さんがにこやかに言う。

 そんなふうに慰めてもらっても、嬉しいけど嬉しくない。


「強くならないと、兄貴にも仕事回してもらえないし」

 つい、ぽろっと本音が漏れた。


「武術的な強さが足りないばかりが、仕事を任されない理由とは限らんぞ」


 茶をすすっていたおっちゃんが言う。話に入ってくるとは思わなかったからびっくりした。


「え? ……あぁ、おれがまだ親戚連中に信用されてないとかもあるのは判ってるよ」

「それが理由ならなおさら、実績を得るために仕事を回すだろう」

「それじゃ、どうして?」


 おっちゃん、何か兄貴から聞いてるのかな。


「細かいことは判らん。だが、大きな仕事を任せる前に何か気付いてほしいことが、あるかもしれんな」

「気づいてほしいこと?」

 首をかしげた。


「仕事のノウハウとか? アヤカシに対する知識とか?」

 沙夜香さんも考えてくれている。


 うーん、確かにそれはあるかもしれない。


 おれはとりあえず霊は霊界に帰るように説得して、聞き入れない霊は力を弱めて御札を貼って、って感じで除霊してるけど、その方法じゃ限界がある、ってことなのかも。

 でもこれが一番おれに合ってると思うんだよな。


「あるいは仕事に対する考え方などかもしれぬな。……何が理由にしろ、言えているのは、お主がそれに自分自身で気づくことではないかと、ワシは思うぞ」

 おっちゃんは、そう締めくくってまた茶をすすった。


 仕事に対する考え方? 不真面目にやってるつもりは全然ないけどな。

 ちょっと前までは、兄貴の手助けがしたいから、ってのがメインだったし今もそうだけど、最近じゃ、除霊することで心身ともに救われる人達のために、って思えるようになってきた。


 それだけじゃ足りないってことか?

 足りないなら、何が?


「信司さんが真剣に仕事に向き合ってるのは亮さんも判ってると思いますよ。ぼくらは、与えられた仕事をやって行きましょう」


「水瀬くんの言う通りだな。時が来れば判ることもあろう」

 透の励ましに、おっちゃんがうなずいた。


 結局は、それしかないか。


 いずれ何が足りないのか、どうすればいいのか、判る時がくる。

 そう信じていくしかない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る