第2話

 翌日から授業が始まった。とはいえ、教科担当の先生に自己紹介したり、どんな内容の授業になるのか説明を受けたりと、どの授業でもオリエンテーションのオンパレードだった。ある日の二時間目、イケメンの親友を連れて、生物の授業を受けるために北校舎二階にある第二化学室へ向かった。近年改築をしたという冷たいベージュ色の廊下を歩き、北校舎の一番端の教室へ。開け放たれた横開きの扉を入ると、四人掛けの黒い机が整然と設置されているのが目に入った。ガスバーナーとか、流し台が付属しているあの机だ。既に数名の生徒が着席している。


「くじを引けとあるぞ」


 イケメンが黒板を指差した。見ると『到着した生徒から教卓のくじを引いて待っていてください』と達筆な文字で書いてある。なるほど、生物で行う最初の授業は席決めかららしい。しかし、くじはあるが座席表はない。生徒たちが不正をしないように後から貼り出すつもりか。上下を入れ替えられる黒板の前に広い教卓があって、その上に段ボール箱で作られた抽選箱が置かれている。先生の手作りだと思われるそれは、虹のようなペイントがされていて丁寧に作られていた。


「先鋒を譲ろう。引きたまえ、友よ」

「おう」


 右手を突っ込んで、薄い紙の感触を指で確かめたら摘み上げる。三角に折られた赤い折り紙が出てきて、開いてみると『2』と書いてあった。


「2だな」

「どれ、俺も引かせてくれ」


 今度はイケメンが右手を突っ込む。引き当てたのは青い折り紙。折り紙を開くと、そこには彰に相応しい最高の数字が記載されていた。


「ほう、やはり1か。イケメン三浦彰こそナンバーワンだと証明されたな」

「お前の自信には本当に感動する」


 引いたくじがどの席を示しているの分からないから、先生の到着まで適当な席を陣取って座ることにした。俺たちの後にも続々と生徒が入ってきて、虹色の抽選箱からくじを引いていく。もちろん、あの叉神麻璃も引いていた。彼女はどの席を引き当てたのだろう。

 チャイムが鳴り、白衣を着た若い女性教師が入ってきた。背が高く、長い茶髪をポニーテールにしている。清潔な印象で、柔和な笑顔を浮かべていた。


「はぁい、みなさぁ~ん。くじは引いてくれたかな? 大丈夫? うんうん」


 おっとり系の先生らしい。彰が『楽しい一年になりそうだ』とご機嫌だった。噂のハニーちゃんに嫉妬されないようにしてもらいたいものだ。


「じゃあ、座席表貼りますからぁ、折り紙の色と番号を見て移動してくださいねぇ」


 先生が黒板に模造紙を貼り出した。化学室の各机が色分けされ、その机の中で『1』から『4』までの番号が振られている。赤の机は窓側の先頭だった。ちなみに彰の机は青で、廊下側の先頭だった。俺とはちょうど反対側になる。


「ああ、友よ。お前とは反対側になってしまった。生物では共闘できないらしい」

「何と戦うんだ、何と。ほら、移動するぞ」


 イケメン彰と別れて、赤の『2』に向かう。俺の席は教卓の前、先頭だ。四角い木の椅子に腰掛けて一息つくと、オリエンテーションで俺の名前を笑った女子二人が向かい側の席に座ってきた。ショートカットの丸顔が竹井たけい、長い髪を髪留め、バレッタだかで後ろにまとめているやつが田中たなかという。最悪の一年になりそうだと心の中で大いに落胆し、社交辞令の挨拶を済ませていたら、今度は俺の左隣に誰かがやって来た。空気が揺れてベリーみたいな甘い匂いが鼻を掠める。ほのかに香った甘い匂いは、俺の胸に入りこんで、重たい何かを置いて行った。

 胸に感じる重みと甘い匂いに惑わされながら、左隣の存在を認める。もう一度、匂いと一緒に息を呑んだ。


「失礼します。さ、叉神です。よろしく、お願いします」


 ぺこぺこと頭を下げながら椅子に座るお下げの女子。

 叉神麻璃だった。


「あ、ああ! よろしく」


 マジかよ。最高の一年になりそうだぜ。

 手を伸ばせばすぐ触れられる距離に女神様がいる。少し物憂げな白い横顔、ついこの間まで中学生だったとは思えないほど女性らしいその姿。近くで見る叉神はますます俺の胸を苦しく締めつけて惑わせる。ああ、玉のような肌とはこれを言うのか。ニヤニヤが止まらない自分が非常に気持ち悪かった。

 正面二人は俺を笑った女子、隣に座るのは女神様。喜ぶべきか嘆くべきか、この日の生物はちっとも集中できずに終わってしまった。


 しかし、サプライズはこれだけじゃなかった。


 生物以外でも、教室を移動する授業では必ず隣同士になり、他のクラスと行う合同授業でも叉神麻璃が俺の隣になった。席が違うのは二組の教室で受ける授業だけ。一年の間に受ける移動授業の席では、全部、叉神と隣同士だった。


「この授業でも、隣同士ですね」


 授業を終えて筆記用具をまとめていたら、胸に教科書とノートを抱えた叉神が話しかけてきた。正直、驚きの連続で、ここ最近の授業は集中できない日が続いている。想いを寄せる人が隣にいるというのは嬉しいことだが、クラスの連中が何かしら疑ってきそうで不安も感じていた。不正なんて出来るわけないのにな。

 ともあれ、叉神を困惑させるのはよろしくない。不安を感じさせないよう、できるだけ自然な笑顔で返した。


「おう、まただな。必ず隣同士になるとか、何か面白いぞ」

「……怖いとか、気持ち悪いとか、思いませんか?」


 ふと、声のトーンを下げてそんなことを言ってきた。彼女の目元に少し陰が差す。俺は笑いながら首を横に振って否定した。怖がるわけがない。一目惚れした女子と隣同士になるなんて、驚くことではあっても、怖がることではない。奇跡だと喜びたいくらいだ。


「ははは、思うわけないって。そっちはどうだ、俺が隣になるのは怖くないか?」

「こっ、怖いわけありません! 満月くんが不正するわけないですし……」


 言い切ってきたね。ますます嬉しいぞ。持ち物をまとめて、俺も席から立ち上がる。叉神は俺よりも背が低いから、見下ろす形になった。


「そうだ、叉神さえよければ下の名前で呼んでくれないか。『満月くん』はちょっと恥ずかしいんだ」

「あっ、ご、ごめんなさい。では、響志郎くんとお呼びします」


 よし。どさくさに紛れて下の名前で呼んでもらえることに成功したぞ。


「よかった……。私、怖がられていたらどうしようって、不安で」


 ほっと小さく息を吐く。仕草の一つ一つがいちいち可愛らしかった。近くで見れば見るほど、美しすぎる外見に目を奪われる。長い睫毛、細い眉。整った鼻筋に薄桃色の唇。何度見てもこの間まで中学生だったとは思えない。叉神麻璃は、本当にきれいで可愛かった。


「怖いもんか。叉神は可愛いからな、響志郎くんは嬉しかったりするんだよ」


 イケメンの彰を見習って調子のいいことも言ってみる。一目惚れの恋なんて叶わないとかネガティブ全開だったが、ここまでチャンスが巡ってきたら押さない手はない。様々な手を尽くして仲を深めるべきだ。そうするべきだ。


「や、やめてくださいっ」


 叉神が声を上げて顔を真っ赤にした。リアクションがいちいち素直で可愛い。ああ、これが青春か。見てろよ彰、俺だってお前に負けないくらい青春をエンジョイしてやるぞ。


「おっと、叉神が怒る前に早く戻るか」


 移動先の教室だからさっさと自分の教室に戻ることにする。あまり長話をして叉神まで次の授業に遅れたらかわいそうだ。早足で叉神から離れて教室を出ようとしたら、彼女が小走りに俺の後ろに着いてきて、背中をぽかぽかと叩いてきた。


「こら、響志郎くん! からかわないでください!」

「からかってませ~ん。暴力反対でぇ~す」


 様々な授業で隣同士になった奇跡。たとえこの恋が叶わなくとも、せめて一年だけ、叉神と楽しい学校生活を送りたい。可愛らしい攻撃を背中に受けながら、俺は胸の中に温かい幸せを感じていた。

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