マリ
松山みきら
第1話
子供の頃、テレビの中で活躍するヒーローが大好きだった。どんなにつらいことがあろうとも、どんなに恐ろしい敵を前にしても、彼らはその全てを退けて平和をもたらす。俺にもそんな力があれば、憧れるヒーローの力があればと何度も願った。しかし、テレビの中のヒーローは、持つ力に苦悩し、自身の存在に疑問を持つことがあった。どんな困難をも跳ね除けるヒーローが敵わない悩みや疑問。それは力の使い道だったり、自分の存在理由だったり。テレビの向こうにいるヒーローたちは苦悩しながらも、人々のため、世界のために戦い続けて、平和をもたらして去っていった。
ここに、そんな力に対して何の疑問も苦悩も抱かない存在がいる。力と共にあることが当然で、それを用いて邪魔なものを摘み取り、ねじ伏せることで、愛する者に対する至上の愛情表現だとする者がいる。
これから話す物語は、そんな特別な力を持った存在と過ごす青春の話だ。
その少女との出会いは偶然だった。
十五歳。十六歳になる年のこと。高校一年生の出来事だった。
「さ、
彼女の自己紹介が回ってきたら、教室の沈黙が一段と深まった。
一人の女子生徒が陽の光を浴びて虹色のヴェールをまとう。左右の肩に垂れる黒髪のゆるいお下げと白い横顔。言葉を詰まらせて自己紹介するお下げの女子と聞けば地味な印象が先に浮かぶものだが、遠くから見る横顔は息が漏れるほど奇妙な艶やかさを感じさせた。光と共に焼きつく女性らしい彼女のシルエットに指先がぴくりと震える。俺が彼女を目の当たりにして最初に抱いたのは、分かりやすいほどの恋心だった。周辺の男子もひそひそと何かを話している。この気持ちを抱いたのは俺だけではなかったようだ。
新入生として新生活が始まった週、俺たちは各教室で自己紹介を行っていた。名を名乗り、出身の中学と趣味を答える。ごま塩頭の穏やかそうな男性教諭が課した、俺たちへの最初の課題。いわゆるオリエンテーションというもの。他の生徒たちが淡々としている中で、彼女だけ極端な注目を集めていた。男女関係なく、生徒全員が彼女を見据えていた。
「趣味は読書と、映画を見ることです。よろしくお願いします」
短い自己紹介を終え、小さく頭を下げて席に座る。深いため息をついたのが横から見えた。相当緊張していたのだろう、うつむいたまま顔を上げない。かく言う俺も、自分の番が遠いと分かっていても先程から緊張しっぱなしだった。俺の名前は
オリエンテーションを終えて、休み時間を迎えた。真後ろの席に座る男子生徒、
「やれやれ。初対面なのに人の名前を笑うとか、可愛さの欠片もないねぇ」
俺の名前を笑っていた女子生徒たちの席を睨みながら彰が腕組みをした。名前を笑われるのは今に始まったことではない。中学でも自己紹介をしたとき、同じように笑われたものだ。俺の名前が笑われるたび、彰はこうして怒ってくれる。それが嬉しくもあり、申し訳なかったりもした。
「気にすんな。いつものことだよ」
「甘ちゃんだなぁ。そんなことじゃ叉神ちゃんに振り向いてもらえないぞ」
彰と一緒に窓際から二列目にある席へ目を向ける。お下げの少女は手元に本を広げていたが、二、三人の女子に話しかけられて読書を中断していた。和やかに話をする彼女は見ているだけで心が安らぐ。
「ほう、叉神?」
「おやおや白々しいな、ミスターフルムーン。叉神ちゃんが自己紹介してるときの視線、後ろからよぉく見えたぞ。あれは恋。我が友の眼差しは、桜色の恋心に染まっていた」
イケメンの大げさな形容はさておき、そんなに分かりやすい顔をしていたのか。恥ずかしくて、何も言えなかった。
叉神麻璃。清楚で淑やかな美しい人。ああ、話したこともないのに清楚だの淑やかだの、そんなのは俺の勝手な印象だ。遠くから見る彼女の様子は、何となくそんな風に見えるだけだった。勝手なイメージを押しつけたりしたら彼女がかわいそうだ。ここは一つ、ガラスケースの素敵なお人形を眺める感じで見守ることにしよう。どうせ俺の想いが成就することはないのだ。満月くんは名前もイジられるし、かっこ悪いし、期待しない方がいい。
頬杖をついて眺めていたら、彼女の大きな瞳がこちらを向いた。
「あ」
目が合ったぞ。
先に逸らしたのは彼女の方で、そのまま女子と話を続けている。続けているが、その後も何回かこちらに目が向いた。俺が熱心に視線を注ぐから気になっているのか。あまり見続けるのも印象が悪くなると思い、頬杖を止めてごまかすようにポケットからスマートフォンを出した。
「どうした友よ。もう女神に飽きたのか」
「目の毒だと思って」
こういう一目惚れの恋なんてのは叶わないものだ。叉神はあれだけ美しいのだから、きっと、頭もよくて裕福な家に生まれた男性のもとへ嫁ぐことになるだろう。世の女性たちが理想とするような男性と温かい家庭を作っていく。きっとそうだ。
でも、心の奥では想いが叶ってほしいと願っている。それは表には出さなかった。
「そうだ、イケメン。お前がアタックしてみたらどうだ」
「俺はハニー一筋なんだよ。浮気なんてナンセンスだ」
そういえば、彰には中学二年から付き合っているという女子生徒がいた。同じ高校に進学したが、クラスは別になってしまったという。確か一組だったか。ちなみに俺たちは一年二組だ。
「さすがだな。イケメンは心もイケメンなのか」
「いや、全てのイケメンがイケメンメンタルだとは限らないんだ。俺は友にも地球にも優しい、特別製のイケメンなのさ」
「そうかよ」
吹き出しそうになった。
調子のいい親友は俺の心を気楽にしてくれる。名前を笑われたことも、叉神に抱いた叶わない恋心も忘れさせてくれた。スマホアプリのログインボーナスを一つもらって、画面を消したら顔を上げる。
大きな黒い瞳がこちらを見ていた。
気のせいじゃない。また、叉神と目が合った。
「……お前はどう考える」
女神の白い顔から視線を引きちぎって、サラサラヘアーのイケメンを見る。彰は前髪を指先で弾くと、不敵に笑って見せた。
「お近づきになれる確率は……。ふっ、シークレットウルトラレアリティかな」
「初めて聞くレアリティだ」
ひとまず、当選確率は非常に低いものだ、と理解する。
しかし、その理解は外れることになるのだった。
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