第九章
第九章
男 「いやあ、いい話だねえ。みんな実に仲がいい。まるで本当の家族のようだ」
気づけば由希の部屋に喪服の男が立っている。
玄関から入ってきたようだが靴は履いたまま。相変わらず杖もついている。
由 「あなたは、あの時の……」
男 「やあ、お嬢さん。土足のまま失礼。足を悪くしているものでね」
昴 「どうしてあんたがここにいるんだよ。あんたが」
男 「やあ、久しいね。僕も君がここにいるとは思わなんだよ、昴」
由 「なに? 昴の知り合いなの?」
昴 「知ってるさ。最低な下衆野郎だ。前にも話しただろ、鬼を捕まえては実験を繰り返す
狂人集団、研究所の連中の一人。俺が研究所に連れて行かれるまで一緒に住んでいたの
もこの男。俺が研究所にぶち込まれる原因を作ったのもこの男だ」
男 「失礼だな。それではまるで僕が悪者みたいじゃないか。僕はただ、知りたいことをし
りたいだけ。ただそれだけだよ。さあ、どいてくれないか? もう君は用無しなんだ」
男が杖で昴の頭をおもいきり殴りつける。
その場に倒れる昴。由希が駆け寄る。
男 「僕が会いに来たのはそこの君だ。なあ、『犬』っころ? 鬼ごっこもこれで終わりだ」
響 「いや……こないで」
男 「ははははは……会いたかったぞ『犬』。会いたくて、会いたくて、毎晩夢に見た。あ
の日の夜を夢に見た。お前に会いたくて、会いたくて、殺したいほど会いたかったぞ」
響 「殺してやる」
男 「あの夜以来僕はお前のことを忘れたことはないぞ」
響 「殺してやる」
男 「すごいだろ?お前に食われた体もこの通り!元に戻っている。どうやったと思う?」
響 「殺してやる」
男 「『鬼』の肉を使ったんだ。お前と同じ『鬼』の肉を使ったんだ」
響 「殺してやる」
男 「鬼――いや違うな。お前らなんか犬で十分だ。人間をみじめったらしく貪るしかない
犬だ。なあ、犬っころ。この体がなじむのには時間がかかったぞ。痛くて、痛くて、気
が狂いそうだった。今でも拒絶反応がたまに出てね、うずくんだよ、右手が、右脚が、
右目が――!」
響 「殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、
殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる――――」
男 「おいおい、人の心を勝手に読むのはやめてくれよ。それじゃあまるで、僕が君を殺したがってるみたいじゃないか。
こんなに会いたかったのに。こんなに大好きなのに」
響 「い、いい、いや、だ、いやだ……」
男 「ははは!やっと自分の言葉を吐いたか。昴も、君も、知っているかもしれないが、こ
いつは、この犬は人の心が読めるんだよ。強く、強く念じた想いほど、強くこいつに伝
わる。そして言葉を紡ぎはじめるんだ。迷惑な話だよね。でもね、僕はそんな君が大好
きだ。だって興味深いだろ?どうなっているのか、体だってバラしてみたくなる。
人の心がわかるんだ。誰だってそうだよね、人の心がわからないから不安なんだ。そ
れを口にしてしまうこいつは、いったいなんなのだろうね」
「会いたかったよ、『犬』。僕はあの日から君のことを忘れた時間はないよ。毎日毎日君
だけを想い続けた。君のことしか頭になかった。
あの日の夜を、僕は忘れない」
響 「痛い、痛い、痛い……いたいぃ――」
男 「ただの研究対象にすぎない君が僕の中でこんなに大きな存在になるなんて思わなかった」
響 「助けてくれ、やめろ、やめろ、食うな、食うな、食うな、来るな、やめろ、助けてくれ、食うな、来るな、来るな、くるな、来るな、くるな、くるな、食うな―――っ!!」
男 「はははっ!それはあの日の夜の僕の声かい?なんて心地の良い響きなんだ。僕の声は
それほどまでに強いのか!」
響 「まずは右足を喰われた」
男 「そして逃げられなくなった」
響 「次に右腕を喰われた」
男 「痛くて、痛くて、気が狂いそうだった」
響 「楽しそうに笑ったお前は、右目を喰った」
男 「あれは痛かった。痛かった」
響 「右を、体の右を持っていかれた」
男 「それなのになぜ僕は生きている!」
響 「それなのになぜ僕は生きている!」
男・響「うずくんだよ、お前に喰われた右半身が、脚が、腕が、眼が」
男 「ついに鬼の研究はここまで来た。鬼の肉を使って、人間の体を再生する。
(右手の手袋をはずして)ごらんよ、人の体と何も変わらない。綺麗な手だろ。ぐちょ
ぐちょに喰い潰されたのに元通りに戻った僕の手だ。
でもね、時々疼くんだよ。痛いんだよ。拒絶するんだよ。僕が!お前たちの肉から作
った体なんて、嫌なんだ、いらないんだ、キモチワルイんだ!!」
響 「■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――!!!!!」
男 「ほら、僕は会いたくて会いたくて、こんなところまで追いかけてきてしまったよ。鬼
の肉を使った副産物としてね、僕は犬並みの嗅覚を得たわけだよ。研究所に残った君の
臭いを追ってここまで来た。そこのお嬢さんに会ってすぐにわかったよ、犬っころ、お
前の臭いが染み付いてることにな。
彼女の後をつけてここの場所がわかったんだ。最初はすごく不思議だったんだ。あの
凶暴な君が、どうして人間と一緒に暮らしているのか。どうして人間を喰わずにいられ
るのか。
すぐに本性を現すと思って今まで放っておいたんだが……あまり良い結果は生みそ
うになかったんでね。
僕はこの想いに終止符を打つことにしたよ。君を殺すことによってね」
男、懐から小さな拳銃を取り出し、響に向ける。
男 「さあ、立てよ」
由 「やめて!」
飛び出した由希が響を庇うように抱きしめる。
男 「どいてくれよ。これは僕と彼との問題なんだ。部外者は邪魔をしないでくれないかい?」
由 「関係なくなんかない!どうして響を殺さなきゃいけないのよ!」
男 「ふざけるな」
「誰だって、綺麗な自分を夢想する。でも現実はそうではない。人間はど
こまでも醜く利己的だ。
わかるだろ?そいつらは人間じゃない。だから、簡単に殺すことができる。そいつら
『犬』共は人間の害虫だ外敵だ。人間を喰らう、敵だ。敵を殺して何が悪い?自分自身
を、人間を守るために殺して何が悪い?」
「僕は殺しても満足できない。何百回、何千回と殺しても満足できない。
なあそうだろ?犬っころ。どれだけ痛かったか、どれだけ怖かったか、今のお前にな
らわかるだろ?僕の心が流れ込んできたんだ。君になら、わかるだろ?」
響 「あ、あ、あ、あ」
男 「どうした?ほら、立てよ。そして僕に襲いかかって来いよ。あのときみたいに、凶暴な眼を向けてみろよ」
響 「う、あ、あ」
男 「どうしたんだよ、もっとちゃんと僕を見ろよ。あの時みたいに僕を見ろよ。立てよ、来いよ、殺しに来いよ。
見ろよ、僕をちゃんと見ろ!」
響 「うー、あー」
男 「なんだよそれ……あの時の君は、もういないのか?君は、変わってしまったのか?も
うあの時みたいにはなってくれないのか?
……それじゃあ、なんだよ。僕はなんなんだよ。ここまで来たのに。ここまで追いか
けて来たのに。待ったのに、これだけ想ってたのに。僕の気持ちはどうなるんだ!ふざ
けるな!」
由希を払いのけて、響のむなぐらを掴んで拳銃をつきつける。
男 「殺してやる。僕は君を殺すために、ここに来たんだ!」
響 「……あ、あ、……」
男 「……そうか、あの時の君は、もういないんだね」
乱暴に手を放す。
男 「やめた。興が冷めた。こんなガラクタを殺しても何もおもしろいことなんてない。
あーあ、つまらないなあ。僕の思念を流しすぎたせいか……壊れてしまったようだ」
響 「あ、ああ……あ」
由 「響!」
男 「それじゃあ、僕は帰らせてもらうよ。お邪魔したね。騒ぎ立てて申し訳ない。僕も
望んだ結果が得られなかったわけだが。まあいい。
じゃあね、昴」
男 「――あれ? 君、まだ人間(ニンゲン)を食べてなかったんだね」
昴 「帰れよ。もう用はないんだろ」
男 「あーあ、君、ほんとにいらない奴だね。もうすぐ死んじゃうんだね。つまらないね」
由 「なに? ――どういうこと?」
男 「お嬢さんは――知らなくて当たり前か。教えてないんだね。
彼は、昴はもうすぐ死ぬんだよ」
由 「なに、それ」
昴 「もういいだろ、帰れよ」
男 「というか、まだ生きてたの?って感じだけどね」
「こいつ、人を喰ってないだろ?臭いでわかる。こいつからは人間の血の臭いがしな
い。この犬と違ってね」
由 「だから、どういうことなの?昴が、死ぬ?」
昴 「ユキ、こいつの話を聞くな。頭がおかしくなる」
男 「こいつは鬼だ。鬼は人を食べるんだよ。それなのにこいつは、ずっと人間を食べて
ない。僕と一緒にいるときからずっと食べてないんだね。
人間の血肉を受け付けなくなって、もうずいぶん経つが……まだ治らないんだね」
昴 「うるさい」
由 「にんげんを、たべないと、しぬの?」
男 「そうだよ」
由 「どうして?」
男 「だってそうだろ? 肉食動物が植物だけを食べては生きられない。
それと同じさ。人間しか食えぬ者が人を喰わずして生きられる道理はない。どこかで無理や歪みが生まれてくるのは当たり前。
彼はもう、とっくの昔に、狂っている」
由 「くるってる?」
男 「言ったろ? 人間を喰わなくなった鬼は、もはや鬼ではない。そんなモノは興味の対象外だよ。
もう一度言ってやる。君、もういらない」
響 「それは違うよ。俺はずっと、会ったときからずっと、」
昴 「やめろよ」
響 「ユキを食べたかったんだ」
男 「くくく……自我を失ってもまだ他人の言葉を紡ぐか。
おもしろい、聞かせてもらおうか。狂い鬼・昴の心情」
響 「今でも、食べたいんだ、ユキを。食べたくて、食べたくて、もうどうしようもないんだ」
昴 「やめてくれ」
響 「ユキのことばかり考えてる。ユキを食べることばかり考えてる」
昴 「もういいだろ」
響 「食べたいんだ、君を」
昴 「もう、楽になってもいいだろ?」
間。
昴 「がまんしてたんだ、ずっと。俺は出会った時からずっと、ユキのことを食べてしまいたかったんだ。今も!」
昴・響「その柔らかい肌に舌を這わせて、味を楽しみたい。君の体臭を味わいながら汗と唾
液に濡れた肌に牙を立てる。少し力を入れるだけで牙は君の中へと侵入していく。口い
っぱいに血が溢れる。鉄の臭いの中に、君独特の味を見つける。ごくり、ごくり、と少
しずつ血を飲み干す。ほんの少し、あとほんの少しだけ顎に力を入れれば君の柔らかな
肉は裂け、骨は砕ける。でもそんなもったいないことはしない。舌で、歯で、口で、鼻
で、耳で、眼で、もっと、もっと君を感じたい。君の生を感じたい。君の感触を、温も
りを、匂いを、声を、色を、もっと感じて、楽しみたい」
昴 「こんなに、こんなに人を、誰かを求めたことはない。
こんなに人間を食べたいと思ったことはない」
「食いたいんだ、ユキを。その白い脚も、細い腕も、綺麗な首も、小さな手も、腹も、
胸も、脳みそも、目玉も、耳も、全部、全部食べてしまいたい。牙を立てて、めちゃく
ちゃにしてやりたい。その白い肌を赤に、血の赤に染めてやりたい。かわいらしいその
顔を、苦痛と恐怖で歪めてしまいたい。
食べたい。全部欲しい。お前がほしい。俺だけのものにしたい。お前だけが、欲しく
て欲しくてたまらない。お前の血を、肉を、骨を、残さず食べて俺のものにしたい。俺
の体と一つに」
「ユキ、お前だけなんだ。お前じゃなきゃダメなんだ。他の人間じゃダメなんだ。他の
人間じゃ、こんなに食べたいなんて、思わないんだ」
昴・響「ユキを、食べたいんだ」
昴、由希に襲い掛かる。
由希は呆っとしたまま抵抗できずにいる。
唇が触れ合うかと思うほどに近づく二人。
響 「でも、好きなんだ」
昴の体が止まる。
響 「ユキを食べたら、ユキが死んでしまう」
由希から離れる昴。頭を抱え、首を横に振る。
響 「俺はユキが好きだ。食べたいけど、好きなんだ」
昴 「でもそれは」
響 「好きだから食べたいのか、食べたいから好きなのか」
昴 「わからないんだ」
響 「ユキに向けていたこの感情が、『好意』なのか、『食欲』なのか、わからないんだ」
昴 「俺はユキのことが好きだったの? それともただ食べたかっただけなの?」
響 「『俺はユキのこと好きなんだけどなあ、食べちゃいたいくらいに』」
男 「はーっはっはっは! こりゃあ傑作だ!
君が抱いている感情が『好意』なのか、『食欲』なのか。それはとても興味があるね。
もしかしたら両方なのかもしれない。しかしあるいは両方違うのかもしれない。
君はいらなくなんかない。君はつまらなくなんかない。とてもおもしろいよ、昴」
「簡単なことだよ昴。わからないのならば、食べてみればいい。そうすれば、君の気持
ちの正体がわかる」
昴 「ごめん、ユキ。俺……なんてことを」
無言で駆け出す昴。
由 「…………」
男 「ねえ、君はどっちだと思う? 何が正しいことなんだと思う? 何が良いことだと思う?」
男 「君は何を望むの?」
男 「……まあいい。昴が死んだ頃に結果でも見に来るか。僕はおいとまするよ。『犬』も壊れたし、イイモノも見れたしね」
「あ、そうだ」
男は懐から拳銃を取り出す。
男 「君に預けておくよ。好きに使ったらいい。
楽しみだなあ。君が昴を殺すか、昴が君を殺すか」
男、由希に拳銃を渡しゆっくりと退場。右足をひきずりながらも心無しか足取りは軽く見える。
部屋には二人が取り残されている。
ベッドの上で壊れたように動かない響。
拳銃を握り締めて俯く由希。
終わりと始まりを告げるかのように、電話が悲しく鳴り響く。
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