第5話

 翌日の土曜日。

 小倉は西鉄電車に乗って、福岡市中央区天神にひとりでやってきた。

 目的は服。それも蒲原が好みそうな服なのだが、「これと似た物を」「これと合いそうな物を」と店員に質問できるように、すでに自分なりに蒲原の〈選択〉を想像したコーディネートをしていた。

 白いプルオーバーのブラウスに、青のロングスカートと、白いストラップサンダル。その日は五月にしては暑く日差しも強かったので、カンカン帽は日傘の代わりとしてちょうど良かった。

 午前中からいろいろと店を巡ってみたが、これといった出会いがなかった。

 仕方なく駅に戻り、改札正面の大画面前でスマートフォンをいじりながら時間を潰しているときだった。

 西鉄福岡天神駅の正面改札の階段を、もはや見慣れた寝癖で猫背の男が降りてきた。

「!」

 デザインではないダメージのあるジーンズに無地のポロシャツという、ぱっとしない格好の蒲原洋二だった。

 蒲原を見つけた瞬間に、小倉はひとつの試みを思いついていた。

 状況が期せずして、蒲原が彼女の愛の告白を断る際に使用した〈例示〉と同じだった。

 小倉は帽子のつばを少し上げ、顔がよく見えるような姿勢でスマートフォンの画面を見つめる。その振りをする。

 ぬるぬると歩く猫背の男は、まったく気付かずに小倉の前を通り過ぎた。

 一度ではダメか。まさか私が天神にいると思っていないのだろう。

 小倉はスマートフォンをショルダーバッグにしまい、蒲原の背中を追いかけようとした。

 しかし、以前に蒲原が「天神では本屋しか寄る所がない」と言っていたのを小倉は思い出し、横断歩道の色が変わるのをぼんやりと待っている蒲原を置いて、エスカレーターを折り、地下通路を小走りで走って道路の対岸に出た。

 再び地上に出て、小倉は早足である所に向かった。

 西鉄天神駅に近く、一帯で一番大きな本屋といえばジュンク堂しかない。

 店に入り、入り口にもエスカレーターにも近い場所に設置されてある検索機をぽちぽちとデタラメに操作していると、蒲原がやってくる。

 今度は帽子を外してみた。

 今度こそ……

 ……しかし、蒲原はあろうことか、小倉の隣を素通りした。

 そんな馬鹿な、というより、馬鹿野郎と叫びたい気分になる。が、小倉は諦めなかった。

 本屋をトレーニングジムと思っているのではないのかと疑うくらいに、蒲原はジュンク堂の隅々を歩く。それに対し小倉は、自然な形ですれ違ったり、蒲原が進む道順を予想して立ち読みで待ち伏せたりした。

 しかし……蒲原に、小倉に気付いた様子は、これっぽっちも見られなかった。

 蒲原が数冊の漫画を購入して店を出るまで茶番を続けた小倉は、外に出たところで、途方もない徒労感に襲われた。

 蒲原の抱える〈欠陥〉について、小倉は半信半疑だった。

 しかしいくらなんでも、一ヶ月も一緒に過ごしてきた自分なら、普通に気付いてくれるだろうと思っていた。この日は頭の先から爪先まで、蒲原の好みそうな服装を選んでいたのだから。

 しかし、それでも……蒲原洋二は、小倉美姫を、〈見つけられなかった〉。

 夕暮れ間近の街を歩きながら、徒労の次に押し寄せてきた胸の痛みに、深く被った帽子の下で、小倉は顔をしかめる。

 これだけ……これだけ時間をかけても、自分はまだ、〈その他大勢〉のひとりなのかと。

 入れ替わっても気付かれない、見つけてもらえない、どうでもいい存在なのかと。

 ……蒲原を責められないことで、胸に充満していく感情の下ろしどころがなかった。

 蒲原が小倉に気づけていたのなら、きっと話しかけてくるはずだった。唯一彼女を認識できる、あの薄暗い第二図書室では、いつも楽しげに言葉を交わしているのだから。

 彼はどんな世界を見ているのだろうと、小倉は考えてみる。

 男と女、大体の年齢、服装の違いくらいでしか見分けのつかない蒲原にとって、制服の決まっている学校では、人は、似たような顔のマネキンの集合にしか見えていないのではないだろうか。

 蒲原が自分を〈見つけられない〉ことについて、自分が憤りではなく悲しみでそれを思っていることに小倉は気付く。

 何故自分は悲しんでいるのだろうと考えていると、更に疲労は強くなり、横断歩道で待つ間、とうとうその場にうずくまってしまった。

 知らない誰かに話しかけられた。

 顔を上げると、見習いたいくらいに上手に化粧をした、二十代前半の女性がいた。

 どこの誰でもないその女性は、自分に似ている気がした。


 その夜小倉は蒲原に、体調を崩したので、明日はどこにも行けないと伝えた。

 お大事に、という返事。

 日曜日、小倉は本当に体調を崩し、ベッドの中で眠り続けた。

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